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どん詰まり28歳、女。

悩みどころしかない年齢を迎えている。
28歳、独身。

人生まさにどん詰まり、と本人(私)は思っているけれど、
今の状況の私が「人生どん詰まり!」と言ったらたちまち総ツッコミが入りそうな社会的に恵まれたドン詰まり女。

それこそがこの私である。

今日は、普段と違って私の現状と本音を心行くまで脚色なしに好きなだけ書きなぐってみたいと思う。

今の私のどん詰まりの根元を掘っていくと、いくつかの要素にぶち当たる。

仕事のこと

新卒で入社した会社も今年で4年目。
入社以来関西で営業仕事をしてきたけど、あまりいい取引先に巡り合うことはできなかった。
これは、客観的かつ事実に基づいた判断だけど、私が新卒で配属された営業所はとにかく上長の人の好き嫌いで与えられる仕事の内容が違い、私は本意ではない仕事が与えられた。

とはいえ、与えられたことだし、新入社員にとってはどんなことでも勉強になると思ってその仕事にも取り組んでは来たけれど、4年間同じことの繰り返しに正直辟易としていて、
自分が何の成長もせず日々やり過ごすように暮らしていることに若さの浪費とを感じてしまっている。

私は、本当に心の底から「がんばりたい。成長したい」という思いでこの会社に入社したのに、
現場から上がってくる些末な要望を調整する毎日の繰り返し。
気付けば頭を使う仕事ではなく脊髄と体力だけを使って仕事を回している。

漫然と流れて消えていく20代は気が付けば28歳になった段階で残り2年になっていた。

なんとなく、世間一般の大企業の営業マンと比べると圧倒的にぬるま湯な環境で、
自分のビジネススキルや交渉力は何も成長していなくて転職市場に出ていこうにもこのスキルと経歴では今いる会社よりもいい条件で私を雇ってくれるところなんてないってことが見えるくらいにはなったお年頃。

まさに詰んでる私の営業としてのキャリア。

ここからの起死回生を図るには上長が変わるか、私がいきなり現上長に愛されて、
取引先を回してもらうしかない。

マジで、どっちにしたって自分で状況を変えられないのがストレスでしかない。

さてさて、そんな私のツムツム具合に神様も哀れに思ったのだろうか?

去年の四月から念願だった国際事業部の中国部門のアシスタント業務が決まり、私はウキウキして夢とやる気に燃えていた。

燃えていたのだが・・・・。

ここでも私はどうしようもない現実の壁にぶち当たってしまう。
この中国部門、中国人しか在籍していなくてまったくもって私にできることはなかったのだ。

そして憧れの中国ビジネスは模造品の取り締まり愛国中国人が騒ぎ立てるデマによって一瞬で売り上げがパーになる混沌としたもので、そこにかつての私が夢見たような経済発展チャイナで掴むチャイニーズドリームなんてものはひとかけらもなかった。

もはや平均的日系企業の中国ビジネスに対する姿勢は「14億の市場は惜しいからまあ・・・やることはやるけれど。。。。でもあんまり乗り気じゃないんだよねえ」って感じで。

ビジネスチャンス到来!!投資!投資!

という5年前とは明らかに違うものになっていた。

そして、日中ビジネスというもの自体が、日本側:中国人VS 中国側:中国人

みたいな感じで、中国人が日本チームと中国チームに分かれて対戦してるようなもので日本人はハンコが推せるシャッチョサンかブッチョサンがいればOK。

そこに私のような若い非ネイティブ日本人ビジネスマンの入り込める隙も立ち位置ももはや残されていなかった。

私は、ずっとずっと夢見ていたのだ。
中国語を勉強し始めた8年前から中国とのやり取りのある仕事を夢見ていた。
しかしその夢がもともと無謀で不可能で、求められていないということ。

それがわかって、突きつけられてすべてに静かに絶望している。

そして、そもそも論日中ビジネスというよりも中国自体にも思うことがたくさんある。

コロナを経て中国は私が夢見て人生をかけたいとまで思いつめた国から全く別の何かに変容した。

日本は黄昏の国。
大学生の私にはそう見えていた。
ゆっくりと衰退していく国。
変化を拒む国。
若者ではなくて老人の国。
私と同世代の若者に夢はなくてささやかで小さな幸せと狭い自分の世界だけを守るために生きている。
多くを望まず、小さくまとまることが美徳なのだと。

でも、私はそこに染まることはできなくて。
自分の人生を何か特別なものにしたくて、大冒険を夢見ていつだってチャンスを探していた。

くすぶっていた20歳の私は、経済成長がいよいよ最高潮に達した中国に降り立ち
明日が今日よりよくなると信じてぎらついた目つきで生きている中国の同世代の若者が激烈にうらやましくて。

そして、熱気と高揚感あふれるその空気感が気持ちよくて。

夢中になっておぼれてはまり込んだ。

中国は独裁国家、共産主義。
LINEもInstagramもグーグルも自由に使えない。
民主も言論の自由もないけれど、「自由はないけど、もうそれはしょうがないからさ。したたかにやろうね」という共通認識をみんなが持っていた。
共産党のことや習近平のことを崇拝してる中国人はほとんどいなくてみんながその枠の中で足を取られながらも一生懸命明日のためにもがいている姿は美しくて、ずっとずっと見ていたかった。

でも、コロナで極端な方向にひた走る中国。

一人一人の大切なもの、これだけは守りたいというもの。
そういう物を乱暴に踏み躙るような防疫対策に、人の命がかかっているのにこのコロナすらも政治利用していく中国政府の在り方に、

そして、情報統制という言論の自由を制限することに依って正しい情報にアクセスできず共産党のプロパガンダに熱狂して口汚く日本やアメリカを罵倒しまくる中国人の発言をネットを通してみるにつけて、どうしようもない気分になった。

そして、夢や野心を語っていた同世代の若者たちも次ぐ次と失業し、海外留学や進学に逃避し、目の輝きを失っていった。

そして最後には「ねそべり」という流行語までが登場した。

もう、どうせ努力したって意味がないからなにも頑張らないで寝そべっていよう。
物質社会や経済社会の奴隷にはならないぞ。

という今のこの言葉。

最早、希望と明日への期待に燃えてた中国の姿はそこにはなかった。

公務員試験の倍率が、
教員採用試験の倍率が、
国営企業の倍率が、
銀行の採用試験の倍率が、

次々と最高値を突破していく。

中国人の若者が安定に目掛けて殺到してる。


その姿は、あれほど退屈に見えた日本の若者の姿と同じだった。

その姿に私は自分が自分で思ってるよりもずっとずっと深いところでガッカリしていたんだと思う。

このままではいけないと、
ビザを申請して年末中国に行っては見たけれど。

そこには変わらない煌びやかな電飾はあったけど、以前確かにそこに存在していた社会全体が勢いよく前に前に進んでいたような高揚感と爆裂なエネルギーはなかった。

社会がゆったりと完成した感じがする。

カオスや混沌はなくなって、暮らしやすくなったんだろうか。

でも、カオスも混沌もないところにチャンスなんてなくて、しっかりとこれから社会が固まっていく。

わずかな余白を突き抜けて起死回生の一発逆転が可能だった、
そして14億人がその夢に酔いしれた経済成長真っ只中の社会に充満していた高揚感はもうそこには存在してなかった。


同世代の友人たちと話をしたけど、
みんな自分の人生をどう着地させて、
小さな幸せをどう掴むかを。
自分の小さな世界をどう完結させるのかを考えてるように見える。

せっかくの大陸という大きな舞台なんてもはや目に入らないみたいに。

そして、中国に対して感じていた、気がつかないふりをしていたもやもやも爆発していく。

コロナを経て私が最も中国人に対して耐え難かったのは、国家がコントロールした言論と情報で綺麗に整えられた中国の国民感情と発言だった。

「中国はアメリカに虐げられてるんだ。
中国が唯一アメリカに勝ててしまう国だから」

そんなことを平然と言ってのける中国人の友人を目の前にくらりとした。

中華民族の感情を傷つける服装は禁止する、という意味不明な理論のもと和服を着てコスプレしていた中国人の女の子が公園から退場させられた。

そして、私が1番耐えられなかったのは「正能量」という概念だった。

習近平の考え方から中国のメディアは正能量というプラスエネルギーや励まされるニュースで満たされている。

べつに、物事のプラス面を見ることやポジティブであることは素晴らしいことだし大事なことだと思う。

私が中国人たちに魅了されたのだって、
「どうせ私たちの身の丈に合ってるのってこの程度よね」
って自嘲気味に笑って気持ちよくなって挑戦することから逃げてる日本人の同世代の子達に嫌気がさして、

プラスエネルギー大爆発の中国人が
「毎日一生懸命生きていけばそれがとんでもないところまで自分を連れていく!上海に家を買うぞ!!!」
と、夢を見ていた中国人の子たちみたいになりたいなあと思ったところからだった。

学生の時は、中国人たちが描く理想や夢が眩しくて夢中になって。

ギラギラとして見えたのだ。


でも、社会に出て私が中国人たちにもらったパワーを爆発させて就活で勝ち取った大企業での内定。

そこで四年耐えたあと、再会した中国人たちの言葉には私はなんとも言えない違和感を感じた。

「頑張れば明日は良くなる」

「今は目の前のことを」

言葉は昔と同じプラスだけど、
そこに熱を感じることはもうなかった。

もう、それしか言葉を知らないみたいだった。

そして、そのプラスの言葉をはぎ取ると、
前述した通り、日本の若者と同じように安定を勝ち取り小さな自分の世界を手に入れてほどほどに幸せになりたいと言う本音を引きずり出せてしまった。

彼らは単純に中国のメディアと同じように正しい言葉を脊髄から発していただけだったのだ。

信じていたものがガラガラと崩れた。
魔法が解けた。
ハリボテが倒れちゃった!!!

中国は私に巨大な野望や夢を与えた責任を取ってはくれないようだった。

もうここに、熱がまた戻ってくる日なんて来ない気がした。

だから、広州の夜の街を歩きながら切々と涙が止まらなかった。

8年間の恋だった。

そしてこの恋を終わらせる手段なんて持ち合わせてない。

一生捧げる覚悟だったんだから、そう簡単に次なんて見つからない。

中国という夢があって、
中国というものがあったから私は普通の人と違うって信じられた。

中国は私の踏ん張る理由、
中国は私の生きる意味、
中国は私の逃げ場所、
中国は私の夢。

あまりにたくさんの心の中の位置を中国に与え過ぎてしまっていた。

中国移住、香港移住の夢も現実的に考えるとそんなに輝くように見えなくなってた。

そして、絶望に暮れる中で出会いもあったのだ。

去年の九月、中国人じゃない男の子の友達ができた。

大阪に来て初めて中国人以外の友達ができた。

同じ民主主義の国に育った彼は。

今まで出会ったどんな人よりも私に優しかった。

心の微細なイライラや、モヤっとしたことを分かち合って帰ってきた言葉は

「わかる。しんどいよな。飲みにでもいこう」

だった時、感動して動けなかった。
正論や的外れな説教は返ってこなかった。
酒を飲みながら自分の母国語で感情の120%を言葉にしていくことが気持ちが良くて仕方がなかった。

口に合わないものを無理して食べて笑ってた時、
微細な表情の動きを見破って
「そういうふうに無理することないよ。」
と言われた時、これまでの人生何度だって繰り返してきた愛想笑いの仮面を脱げた気がした。

自分の好きなものや好きなことを好きと言って、
嫌いなものを嫌いと言える関係性の男の子なんて出会ったことがなかった。

心地よくて、楽しくて、笑っていられた。

彼といれば私の心はどこまでも穏やかで幸せで楽しい。

でも、頭の中でこれでいいのかと何回も問いかける。

「そんなことで若さを無駄にしてもいいの?」

外野の声が鳴り響いてる。

目の前の男の子は、彼氏でもなんでもない子で。

でも、なんでこんなに一緒にいて楽なのに私は次の一手を打たないんだろうかと考える。

あーあ。

めんどくせえなあと思う。

仕事に詰んで、夢に敗れて、目の前の安らぎには理性と現実が邪魔して飛び込めなくて。


楽しいことと夢を奪わられて、今の安らぎには手を伸ばしてはいけない。

あるのは果てしない労働と砂を噛むような毎日だけ。

こんなに優しい子だし、収入低くても私が高収入だし。
この辺でサクッと落ち着いて、日本で幸せになっちゃだめ?

ってほら。

私だって馬鹿にしてたくせに中国人みたいに。
日本人の同世代みたいに。

安定にしがみついて、小さな世界を作ってそれなりに幸せになろうとしてる。

そんな自分嫌いだけど、
どこに向かうかわからない自分の人生に乗っかってついていくことに疲れ果ててしまったのだ。

疲れて、疲れて、疲れて。


もうどこに向かえばいいのかわからないところで、人生の幾重にも別れた道を目の前にどうすればいいのか分からなくてなきわめいている。

結論なんて今出さなくていい。

って声が聞こえてくるけど、私が1番欲しいのは結論だ。

どうなるかわかんないことが怖くて疲れて仕方がない。

幸せになりたいと、強く思って唇を噛んで。

野心のかけらと安定に傾く心と、中途半端なキャリアを背負って今日も通勤列車に駆け込む。

いつかこんな日々を懐かしくも楽しく笑いながら思い出す日って来るんだろうか。


後悔ない人生にしたい。

楽園なんてないって分かってるけど、
楽園を探してしまう。

そんな、愚かで哀れな28歳の恵まれた女。

それがこの私の現状。

描いても描いても止まらない5488文字の本音。

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