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【掌編小説】58 やさしい侵略者

「われわれに必要なのは対話です、武器を捨て、ただちに投降してください」

 ――拡声器の声が絶えず響くなか、敵は着実に迫っていた。物陰からスコープで覗くと、瓦礫の散乱する広場には無防備に素肌をさらした若い女の 被寄生体キャリアが数人たむろしている。われわれを誘惑し、戦意を削ぐ目的だろう。瞳のない虹色の眼球、それに耳をヘッドフォンのように覆う薄い橙色の 外部組織エキステルナを、もはや敵は隠そうともしない。頭部に狙いを定めて、一匹ずつ確実に仕留めていく。その後は駆虫班が、弾痕から滑り出たナメクジ状の 本体インテルナを念入りに焼き払って仕舞いだ。

 これほどの激戦で、これほどの人死にを出してなお非武装を貫く彼らの目的は、われわれへの寄生だろう。だからわれわれが負けるその時は戦地で華々しく散ることもなく、五体満足の状態で彼らに拘束され、耳、口、鼻から抗いようもなくナメクジの侵入を許し、脳を支配された挙句身体を乗っ取られ、死にながらにして生き恥を晒すことになるだろう(しかし、それは実際死と言えるのだろうか)。

 敵のファランクス状集団をグレネードと機関銃の掃射によりどうにか食い止め、ようやく午後五時。休戦の鐘が鳴り響いた。

 月曜日から金曜日の午前九時から午後五時。

 残業なし。

 われわれと彼らとの間に交わされたこの協定はつまり、この戦争自体が彼らの善意か、お情けか、あるいは単純な好奇心によって成り立っていることを示している。被寄生者の社会のなかで希少種と化したわれわれは、無寄生体として生きる権利さえ保障されている。休戦時に彼らはわれわれに一切手を出さず、それどころか愛想よく接してくる。

 われわれ戦闘員の間では決して口にしないが、実のところ彼らは総じて「いいやつ」である。「いいやつ」を演じることでこちらの戦意喪失を狙っているのではと疑ったものの、そんなことが必要な状況でもない。社会全体を見渡しても、彼らに乗っ取られてからこのかた牧歌的もいいところで、地上からはあらゆる民族闘争、階級闘争、権力闘争が消失し、いまやわれわれの戦場だけが失われた歴史を実演し続けている。

 だから本当のことを言うと、このようなお仕着せの戦争などする必要もなく、そもそも勝利というのがどのような状態でありうるのかさえ誰も思い描くことができずにいる。人類のほとんどが寄生者に乗っ取られた今となっては、彼らを掃討することは社会を滅ぼすことにも等しい。今や寄生者の容れ物として品種改良および大量生産されている廃人類も、管理者を失えば同時に滅ぶだろう。そこまでを成しうることさえ不可能だが、仮にも達成したとして、その後われわれが再度繁栄を遂げるのに、頭数がそろっているのかどうかも疑わしい。ほとんど戦争しか知らないわれわれがその後どのようにして社会を築いていくのか――そもそもわれわれの住居や食料も、加えて彼らを殺すための武器でさえ彼らからの供与によりまかなっているのだ。

 それでも毎朝せっせと戦地へ出かけていくのはなぜなのか。圧倒的多数と化した彼らに対して反旗を翻す存在でありつづけることによってこそ、われわれ人類はその命脈を保っているのだ――というのがわれわれ戦闘員に敷衍するほとんど唯一の信条である。

 しかし、そんなことにどれほどの意味があるのか、今となってはわからなくなってきた。

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