見出し画像

マンチョーカンチョー

潮それは人類の神秘である。
飽き足らずに満ち引きを繰り返し
月の引力に影響され
その満ち引きは
大きくなったり
小さくなったり
そのサイクルをひたすら繰り返す。

なんて素敵なんだ。
潮よ。
私は潮になりたい。

満ちたり引いたりする
そんな存在になりたい。

マンチョーは前であり
カンチョーするのは後ろである。

潮の話をしているのだがら
潮とはつまりマンチョーである。

大量に出ちゃう大潮
まずまずの中潮
ちょろりの小潮
若い子の若潮
いつまで続くの長潮

潮といえども千差万別であり
その違いそのものが
信仰の対象と呼べるほど
尊いものである。

カンチョーの潮とは何か
それはつまり放屁である。
放屁芸術である。

潮は液体
屁は気体
期待通りの姿でなくても
屁は潮である。

腹中で蓄えられた無音のガスが
その時を待って放出される。

そういった論点で言えば
放出こそ潮であるとも言える。

カンチョー穴を通過する時に
そのガスは甘美な奏を披露する。

その奏もまた千差万別であり
奏のトリガーも様々である。

自然の神秘と人間の神秘は
似通った特徴を持つことがある。
これもまた人間は
この雄大な自然の中で暮らし
人間こそが自然の一部だという
確かな証なのである。

マンチョー
カンチョー
サイコウチョー!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?