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私たちは“好き”を「仕事」にするべきか

今日何気なくtwitterを見ていて、ふむふむそうだよね、と思ったツイートがあったので引用させてもらう。

SNSをはじめとしていろんなインフラがそろってきて、誰もがつくり手になり得る時代。

確かに昔よりは、「好きを仕事に」することが容易になっていることは間違いない。

しかし、そもそも難しいのは「仕事にしたいくらいの好きなこと」を見つけることだ。もがいている人が多いのはそこ。見つけるのが難しいのだから、そこからさらに仕事にする、お金にする、と考えるとハードルはどんどん高くなる。

こんな時代だから、みんな会社を飛び出して好きなことを仕事にしてこうぜ!って、一見開放的なメッセージに見える。

けれどある意味
「“好き”を「仕事」にしないと人生つらいよ?」
という価値観にしばられている気もするのだがどうだろうか。

「好きを仕事にできてない人」「見つけたいのに見つけられない人」はそんな自分になんとなく劣等感を覚えたりプレッシャーに感じることもあるかもしれない。

私が重要だと思うのは、「好きを仕事にすること」よりずっとハードルが低くて、「好きの種を見逃さないこと」「それを"自分なりの方法で"継続してしっかり育てること」この2つだ(特に2つめが大事)。自分を構成する要素において、「好き」の割合が高い方が人生の満足度・充実度は間違いなく高い。ただ、その表現の仕方は、本人が良いと思えば、趣味でも生活習慣でもなんでも良くて、必ずしも仕事である必要は無い。

重要なのは好きの芽に気付いて、それをつぶさないこと。

情報があふれていて色々なメッセージが飛んでくる今の時代、とにかくマイペースな人が強い。良い意味で鈍感で、周りの声に耳を貸さない、振り回されない。自分がこれ好きかも、と思う種を見つけて、育て、淡々と続けていく。あくまで自分なりのやり方で、淡々と。

日々の生活の中で、好きの種を見つけたら、片足でも片手でも指先だけでも良いので、何かしらの関わりをまずもってみる。そしてそれを続けていく。そうすると不思議と何らかの輪郭が見えてくる(解像度が上がっていくって適格で素敵な表現だなぁ)。

「好き」の活用法は、もっと自由で良いのだ。

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