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愛に悩む人へ 相手を受け入れるとはなんぞや

恋は盲目
好きな人の前では、ついつい取り繕ってしまったり。
つい、相手の意向に流されてしまったり。

相手に好かれたいあまりに、自分の本心よりも相手の希望を最優先してしまったり。

そして、そんな自分の姿を、

相手を受け入れてあげている。
相手に尽くしている。
それが愛情表現なのだ、と思う。


これは恋愛に限らず、息をするように家族や友だちに対しても起きていたりする。


起きていたりもするけれど、こうして字面を見てみると、客観的に見ればこれは相手から好かれるはずもない行為だよなあと感じる。


そこにはきっと、いろんな思い込みがあったり、いろんな心理状態が反映していたりもするけれど。

いったいどんな思い込みがありそうなのかを、思い浮かぶ限りちょっと紐解いてみた。

①相手を受け入れることと、自分を後回しにすることがイコールで結ばれている場合

つまり、自分を空っぽにしてそこに相手を受け入れる。をやっている場合。
相手を受け入れるためには、自分を明けわたさないといけないと思っている。
これは、幼い頃周りにそういう大人が居たりそういうケースを見聞きしたりして、そういうものだと思ってしまっている可能性がある。
もし、そう思い込んでいるのなら、それによって自分が得ていることは、自分を相手のクローンにすることだと気がついてみたい。

→相手のクローンと化した自分を愛してもらうのは、そもそも本末転倒。
相手を、鏡に向かってデレるナルシストに仕立て上げるのは止めておこう。


②自分の価値を疑っている場合
自分自身を好きではない人は、好きな相手に自分は釣り合わないという思い込みを持っているかもしれない。
すると、価値のない自分が相手に釣り合うためには、すべて相手に委ねてしまうしかなくなる。

→やっていることは①の自分明け渡しと同じだけれど、①の場合は"そういうものだ"という思い込みを外すだけで良いけれど、この場合はまず自己肯定感の低さをケアする必要がある。


③これが愛される人、というモデルケースを持つ場合

例えば、男性はみんな巨乳が好き、という思い込みを持っている貧乳女性が、寄せてあげるブラをつけたり豊胸したりするような話しで、実際のところ叶姉妹のファンはむしろ女性が多い、とか。
同様に、女性はみんな背の高い男性が好きだと思って低身長の男性が頑張ってシークレットブーツを履いていたら、進撃の巨人で女性にダントツ人気なのはむしろリヴァイだった、みたいな。

そんな調子で、広い心で相手を受け入れることでこそ愛される、と思い込んでいることもある。

→実際は巨乳や身長の話の比ではないほど、自分の意見をしっかり持っている個性ある人の方が好かれやすい、というオチがつくかもしれない。


①②③を、合わせ技で持っている場合もあったりして、なんか人の心って本当に健気だなぁって思います。


★相手を受け入れるとはなんぞ?

それなら、相手を受け入れるってなに?
ということなのですが。
それは、どちらかの意見をどちらかが飲む、ということではないと思うのです。

つまり、二人いたら2つの意見がそこにある。
自分の意見がある。
相手の意見がある。
それをぶつかり合わせてどちらかを消そうとするから、おかしなことになる。

自分の意見はこれ。
相手の意見はコレ。

お互いにこんな意見を持っているよって表明し合う。
意見を分かち合う。
相手の意見を、相手の意見として聞く。

これこそが、相手を受け入れる、ということの本質なのだと思うのです。

そこには、正解不正解などという、極めて陳腐な判定など要らない。
ただ、人が居てそこに夫々の意見がある。
その意見を持つに至った様々な背景がある。
ただそれを知ろうとする。
それこそが、相手を受け入れるという真髄なのだと思います。

そして、お互いに相手の思いを知ろうとすることこそが、絆のはじまりなのではないかなと、思い至ったこの話を知ろうとしてくださった、ここまで読んでくださったあなたに、ありがとうを伝えたいです(*´ω`*)

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