中国 音楽教育の旅① ピアノ指導3ヶ月の奮闘記 【マイナスからの始まり】
異文化の中での教育や音楽の交流を通じての体験談です
ウィーンから中国へ
中国は河南省鄭州市の音楽院で約3ヶ月間にわたり、客員教授として活動していました。この機会は、姉妹校であるウィーンの音楽院/音楽大学から、既に何人かの教授が訪れており、歌科またはピアノ科の指導者が必要とされていたことから、私にも声がかかりました。
私の仕事は、学校のピアノ科生徒や教員との個別のレッスン、週に一度の講義を担当することでした。
その後、鄭州市からは、市内での公開レッスンやピアノリサイタル、他の学校での公開レッスンやコンサートなど、さまざまな依頼が寄せられました。
訪れた音楽院は鄭州市の町から車で20分ほど離れた、広い瓦礫の中に建てられていました。
大学生たちは全員がキャンパス内に居住し、私もその中で用意された広々とした3LDKの住居に滞在しました。
通訳は、空港でのお出迎えから毎食、休日まで、レッスン以外の時間にも通訳が常に付き添って親切にお世話をしてくれました。
通訳は20代半ばの元気で現代的な青年で、ドイツ語でスムーズなコミュニケーションが取れました。
毎日のレッスン
ピアノ科の学生は30人ちょっとで、彼らは日本でも有名なベートーヴェンのソナタやショパン等を好んで勉強していました。
私達が使用するヘンレ版やパデレフスキー版などの楽譜は誰も持参せず、中国版ばかりでしたので、生徒に尋ねてみましたが、ヘンレ版が何なのか聞いた事も無い反応でした。
キャンパス内にある図書館に行ってみましたが、中国版と多少のロシア版以外の楽譜は見つかりませんでした。そもそも楽譜自体あまり無かった事にびっくりした記憶があります。
その学校は市内でこそ多少の名前はありましたが、北京や上海などの都心の学校に比べれば、田舎の学校でレベルも高くはありませんでした。
また、学科の中で最も多かったのは声楽で、楽器が不要で費用がかからないという理由からでした。
メンタリティからくる特徴
特徴として、どの生徒もとにかく速く演奏したがる傾向にありましたが、指が追いついていないことや、楽譜を正確に読んでいないことなど、率直に言えば「いい加減」な習得が見受けられました。
またメンタリティからの影響もあり「速い=上手」と言う考え方が非常に根付いていました。
通訳の青年が卒業した大学でも外国語を「正確に話す」よりも「より速く話す」方が成績が良いらしいです。発音がいい加減であったり、間違いがあってもその速さが重視される傾向があるとの事。
こうした強く根付いた考えや習慣を修正するのは、数ヶ月では難しい課題であり、生徒が中国にいる限りは違った思考に変わることは難しいでしょう。
マイナスからの始まり
当時、日中関係は極めて緊張した状態で、北京の日本大使館や大使の乗車する車が襲撃されるなど、中国国内での日本に対する怒りや憎しみがかつてないほど激しい時期でした。赴任初日からキャンパス内での視線や耳打ち、ささやきが絶えず、中には「敵」と見なされるような殺気を感じる学生もいました。
正直怖かったです。
幸いにもドイツ語通訳の青年 シュテファンStefan (先陣のオーストリア人先生から付けてもらったドイツ語名) は、海外に行った事はないですが、
何人もの先生と長い間共に過ごしてきた経験から、ドイツ語に堪能であり、外国人とのコミュニケーションにも慣れていました。
頭の回転も速く洞察力もあり、私の思いをとても的確に訳して相手に伝えてくれました。
長くなるので、続きます・・・
日本でのボランティア演奏活動に使わせていただきます。 宜しくお願い致します。