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【短編小説】帰郷

 アイスコーヒーを飲みながら、優弥(ゆうや)は、すっかりさまがわりした故郷の駅舎を眺めた。駅舎というより、駅ビルと呼んだ方がしっくりくるだろうか。

 十四年ぶりに帰ってきた街は、都市開発が進み、ファミリーに人気のベッドタウンとなっていた。
 ショッピングセンターが併設された駅には、平日だというのに主婦や学生やサラリーマンなど多くの人が行きかっていた。
 今いる全国チェーンのコーヒーショップも、ショッピングセンターの一角にあるせいか、子連れのママたちで賑わっている。

 この店、東京じゃ、サラリーマンと大学生くらいしか来ないんだがな……と、客層の違いに、優弥は居心地の悪さを感じていた。落ち着きたくて入ったのに、これじゃ意味がない。

 金色に近い茶髪に、白の七分丈のプリントTシャツに黒のパンツ。まるで売れないバンドマンのような風貌の優弥は、この場所では少し異質な雰囲気を放っている。
 やっぱり、帰ってくるんじゃなかったかな。
コーヒーを飲み干すと、優弥は仕事用のパソコンが入ったリュックを片手で背負い、席を立った。
 いつも使っているカバンなのに、今日はずっしりと重く感じる。少しばかりの着替えと、手土産の煎餅が追加されただけなのに、と優弥は不思議に思った。それは質量だけでなく、優弥の心理的な気鬱が作用しているに違いなかった。

 さっさと用事を済ませて、帰ろう。
 飲み終えたカップの氷をゴミ箱に捨てていると、きゃあーっという子どもの叫び声がして、左足に衝撃を受けた。よろめいた足元に、幼稚園の制服を着た男の子が座り込んでいたので、優弥は咄嗟に避けようとして、男の子の真横に尻もちをついた。

「すみません! 大丈夫ですか?」
 男の子の母親が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「……くそっ、てめえのガキの面倒くらい、ちゃんと見てろよ!」
 虫の居所が悪かったせいもあり、つい怒鳴ってしまった。「しまった」と思ったがすでに遅く、場にそぐわないチンピラ風情のセリフに、人々の視線が、サッと優弥に集まる。
 目の前の子どもは、びっくりしたのか、きょとんとしている。母親は、かばうように自分の身体で子どもを隠して、
「申し訳ありませんでした。あの、お怪我は大丈夫ですか」
 と、優弥に尋ねた。その声音は、優弥に怯える様子はなく、淡々としながらも優弥への気遣いが感じ取れた。
 優弥は目の前の女性の対応に驚いた。見知らぬ男に怒鳴られると、たいていの女性は怯えた目でこちらを伺ってくるのに。

 青と白のボーダーのカットソーに、茶色のワイドパンツを着たカジュアルな服装の彼女は、凛とした佇まいで、こちらをみつめている。
優弥は立ち上がり、彼女に会釈した。
「いえ、こちらこそ大きな声をだして、申し訳ない」
「いえ、うちの子が。ほら、お兄さんに謝りなさい」
 母親の足にしがみつきながら、男の子が小声で「ごめんなさい」と言う。目のクリクリしたかわいい子だった。
 優弥は、ほっこり温かいものを胸に感じ、にやりと笑い、母親を見た。その時、彼女が知り合いに似ていることに気がついた。
「あれ、鈴原? おまえ、鈴原 玲(すずはら れい)だよな」
「え?」
 彼女は、優弥を見返した。一瞬、サッと顔色が変わり、目を伏せた。
「人違いです。私、鈴原じゃありません」
「え、あ……」
「失礼します」
 子供の手を引き、そそくさと彼女は店を出て行ってしまった。
 置いてきぼりを食らった優弥は、自分がいまだ注目の的であったことに気づき、床に落ちていたカップをゴミ箱に捨てると、慌てて店を出た。

 玲だと思ったのにな……と、優弥は中学時代に仲の良かった女友達の鈴原玲のことを思った。
 玲は、中学時代のヤンキー仲間だった。男子のトップは優弥で、女子を仕切っていたのは、玲だった。 

 サバサバした姉御肌で、陰湿ないじめや卑怯なことは嫌いで、仲間思いの女だった。
 女子だったが、同性の男友だちよりもウマが合い、ゲームセンターで対決したり、原付バイクで夜の街を走ったり、優弥が十六歳の夏に街を出るまで、一番良く遊んでいた相手が、玲だった。

 玲との関係は、虚勢を張って体面を繕う必要がなく、けれど、決して越さないと決めた暗黙の緊張感のようなものもあり、異性の友人特有の、ほどよい距離感が、あの頃の優弥には心地よかった。

 さっきの女性は、玲によく似ていた。雰囲気はすっかり変わっていたが、凛とした目や佇まいが、中学時代の思い出を呼び起こした。

 あれはたぶん、玲だと思う。だけど、わざと知らないふりをしたんじゃないだろうか。
すっかり変わった地元の風景を眺めて、優弥はため息をついた。
「そりゃ、変わるよな」

 優弥は、駅から離れて、歩くことにした。さっさと用事を済ませたいが、別に急いで行く必要もない、と自分に言い訳をした。それに、様変わりした街の様子を、もう少し見てみたいとも思った。

 かつて通った商店街は、もうすっかり寂れていて、小学生の時に通っていた駄菓子屋や、初めて煙草を買った自販機があった雑貨屋も、今は戸が閉まっている。店のおばさんたちは、今もここに住んでいるんだろうか。

 やがて、知らない住宅街に迷い込んでしまった。新しく整備された歩道には緑の木々が立ち並び、その道の先に、見覚えのある校舎が見えた。
知らない景色で、そこだけタイムスリップしたように変わっていない。優弥が通っていた中学校だった。

 途端に、なつかしさに胸が苦しくなった。目的地に行くには、手前の道を曲がらないといけないのに、間近で校舎を見たくなった。
 学校なんて、大嫌いだったのに、不思議なもんだ。優弥は唇に笑みを浮かべた。

 校舎に向かって歩くと、ぞろぞろと、帰路につく中学生たちに出くわした。ジャージ姿が多いので、部活帰りだろうか。やんちゃそうな男の子が、優弥のことを好奇心いっぱいの目で見つめている。
 三十路のおっさんが中学生に交じると、怪しまれるかな……。再び居心地の悪さを感じて、優弥はわき道に入った。

 そこには、懐かしい公園があった。中学校の近くにあるこの公園は、ベンチとブランコと鉄棒しかなく、いつも閑散としていた。玲とよく待ち合わせていたのも、この公園だった。
「懐かしいな」
 思わずひとりごとがこぼれ落ち、ベンチに座った。その景色は、昔と変わっていなかった。
 優弥は周りを見渡し、人気がないことを確認すると、電子タバコを取り出した。白い煙が立ち上る。
 煙を眺めながら、全身から力が抜ける感覚がした。どうやらずっと、肩に力が入っていたらしい。

「……ここ、禁煙よ」
 声に驚いて振り返ると、先ほどのコーヒーショップで会った女性がそこにいた。
「え……あれ?」
「なにとぼけた顔してんのよ。さっき転んだ衝撃で頭でも打った?」
「え、ええ? やっぱり鈴原……だよな」
「鈴原じゃないってば。今は桐谷(きりや)。桐谷玲」
 玲は、優弥の前に左手を翳した。薬指には、リングがはまっている。
「結婚したのか。おい、じゃあ、なんでさっき無視したんだよ。そう言ってくれたらよかったじゃねーか」
「だってママ友もいたし。こんなガラの悪い奴と知り合いなんて思われたくない」
「なんだとこのアマ」
「文句あんのかよ、このクズやろう」
 優弥と玲はにらみ合い、ほぼ同時にふたりともフッと表情を崩した。

 優弥は煙草を消し、となりに玲が座った。
「よく生きてたね。なんで一度も連絡くれなかったのよ。いまなにしてんの。なんでいるの?」
 矢継ぎ早に質問され、どこから答えていいか分からず、優弥は笑ってごまかした。その態度に腹を立てたのか、玲は深くため息をつく。
「……もういい。あんたはそういうやつよね。秘密主義で、なんにも教えてくれない。いなくなって、どれだけ心配したか……」
 声を詰まらせて玲が俯いたので、優弥は慌てた。
「いや、そういうつもりはなくて。あの頃は、余裕がなかったんだ。今は、ライターをやってる」
「ライター? なにそれ、どんな仕事よ」
「雑誌とか、WEBサイトに記事を書いてる」
 ライターと言っても、アングラな業界の潜入レポや、芸能人のゴシップなどがメインで、あまり人様に公にできるジャンルではない。玲に詳しく突っ込まれたらどうしようかと、優弥は内心ビクついた。

 十六歳の時、東京にいる従兄弟を頼り、家出をした。新聞配達やチンピラの使い走り、水商売や高額健康機器のセールスマンなど、裏と表のはざまみたいな仕事ばかりしてきて、その経験やツテで今の仕事にたどり着いた。生計を立て始めて、三年近くなる。

「へえ、すごいじゃん! 優弥、本読むの好きだったよね」
「本って、俺が読んでたのはマンガばっかだったけど」
「それでも字、読んでたじゃん。あたし読まなかったもん。今は子どもに絵本の読み聞かせするけど、正直苦痛」
「そういや、子供いるんだな」
「いるよ。四歳」
 指を四本立てて見せ、玲はにっこり笑った。中学の頃にはみられなかった屈託のない笑顔に、優弥は気圧された。そしてつい、ため息が漏れた。

「おまえは偉いよ。ちゃんと結婚して、母親になって……。俺なんて、ライターなんて名前だけで、クズみたいな生活してるからな。だから、ここまで来たってのに、家に帰るのが怖くて遠回りしてるんだよ。くそだせえ」
「別に偉くなんか……。そっか、実家に帰るのか。おじさんやおばさん喜ぶんじゃない」
 優弥は頭を振り、
「喜ばねえよ。おまえもさっき俺のことを知らないって言ったじゃないか。恥ずかしかったんだろ、俺のことが。親父たちだって、俺に会いたくないんじゃないかな……おまえなんて知らないって言われるのが目に見えている」
 押さえつけていた不安が、ぼろぼろとこぼれ落ちた。玲は、弱音を吐く優弥を真顔で見つめながら、
「はあ? 時間が経って生活が変わって、付き合う人たちが変わるのなんて当たり前じゃない。あんただって普通の主婦の私が、急に仕事場や今の仲間の前に現れたら、困るんじゃないの」
 ピシャリと言われ、優弥はぐっと奥歯をかみしめた。少しぐらい優しい言葉をかけてもらえると思っていた甘えは、あっさりとつぶされた。

「……でも、だからって、あんたを恥ずかしいなんて思ってない。さっきは悪かったわよ。久しぶりすぎて、つい知らないふりしちゃったけど……。すぐ優弥だってわかったから、急いで子どもを親に預けて、探したんだからね。……だいたい、私、怒ってるから。何も言わないで、勝手に消えて、ひょっこり帰ってきて、いじけてんじゃねえよ」
「悪かったよ。あのときは、本当に慌ててたんだ。親父とケンカして、着の身着のまま出ちまって、絶対捕まりたくなかったから、誰にも連絡しなかったんだ」
 父と殴り合いの喧嘩をし、母に「警察に電話をする」と言われ、そのまま怖くなり、優弥は逃げ出した。
 従兄弟を頼ったのは、彼もかつて不良少年で、何かあれば連絡しろと言われていたからだった。
「……なんで、帰ってきたの」
「それは……」
 優弥は、帰ってきた理由を歯切れ悪く伝えた。
「結婚したい相手ができたんだ……。親の許可なんていらないって思ってるけど、あいつが挨拶したいっていうから……。一緒に来る前に、先に筋通しておきたいっていうか……」
 玲は、にんまりと笑い、勢いよく、優弥の肩をたたいた。
「めでたい! なに尻込みしてんのよ。じゃあさっさと早く帰りなよ」
「簡単にいうなよ! 十四年だぞ。親子といえど、もう、他人みたいなもんだ。今更どの面下げてって……自信がないんだよ」
 目に見える成功とか、人に誇れる財産とか、そういうものがあれば、卑屈にならずにすんだのかもしれない。毎日、なんとか生き延びているだけで、将来の展望なんて、まるでない。
 こんな自分が、人並みに結婚なんてしていいのかとさえ思う。しかも彼女のお腹には、小さな命が宿っている。

 なるべくまっとうになりたいと、優弥は心から望んでいた。そう望めば望むほど、己がいかにクズでつまらない生き方をしていたのかと後悔する。その過去を清算するためにも、まずは実家の親に会いに行こうと決めたのだった。けれど、ここにきて勇気が出ない。

 優弥の肩を、ぽんぽんと玲が叩いた。
「大丈夫だよ。自信なんてなくても、立派じゃなくても、優弥が元気で生きていたら喜んでくれるよ。そうだ、私の携帯番号って今でも入ってる? 消した?」
「え、ああ。たぶん、入ってるかも」
 玲は、「かけてみてよ」と促した。勢いにおされ、優弥は電話帳から「鈴原玲」を検索して、電話をかけた。すると、玲のポケットが低い振動音を出しながら揺れた。
「もしもーし」
 玲が、おどけたように電話に出る。
「番号、変わってないから。もしもさ、親に拒否られたら電話してきて。やけ酒くらいなら、付き合ってやる」
 そう言って、玲はにやっと笑った。人をからかうようないたずらっぽい目が、中学の時のままだった。

「いけない、こんな時間。ご飯作んなきゃ。じゃあ、気をつけて帰るのよ」
「あ、ありがとう」
 玲はひらひらと手を振り、走っていった。
 優弥は、玲の背中を見送ると、ベンチに沈みこむように座り、やがてリュックを担いで、歩き出した。

 さっきよりも、リュックが軽くなったような気がした。

(了)

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