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わたしはトクベツ。

ツイッターのこの投稿を見て、自分が子どもの頃の記憶を思い出した。

 私の周りはあまり自分の幼少期の頃の記憶がないと話すのだが、私は結構ある方だと思っていて、特に保育園生の頃の記憶はとても鮮明に覚えている。
 両親が共働きだったので認可外の保育園に2つ下の弟と共に朝から夕方の7時頃まで預けられていた私。保育園ではお友達もいっぱいいたし、小さい保育園だったので園の先生とも全員顔見知りでコミュニケーションもとれていた方だった。また、小さい頃から年下の子達の面倒をみるのが好きだったので、先生みたいに赤ちゃんクラスの子たちのオムツを替えたりお着替えを手伝ったり、時にはミルクをあげたり、なんだかんだその小さな世界を私なりに楽しんでいた。

 でも、そんな満喫しているであろう状況でも、やっぱり”保育園に行かない”という状況はなにかトクベツな気持ちになれる嬉しいイベントの一つのようなものがあって、当時の記憶の欠片で弟は保育園に預けられて、私だけ大人との時間がすごせた記憶を思い出した。
 たしか、おじさんとその当時の彼女さんと地元の小さな遊園地に遊びに行った記憶で。なぜ私だけだったのか、そもそも誕生日でもなかったのに遊園地に行ったのかはあまり覚えていないけれど、子どもって何も考えていないようで、結構大人が自分に対する行動とか対応とかを見ている。
 恋愛みたいに”自分だけをみていてくれている”という状況は、とても幸せなもので、その時間の内容を自然と自身の幸福度に結びつけている気がするなぁ~と、当時の自分を思い返して思った。
 特に弟と歳が近かったせいか、小さい頃から「お姉ちゃんなんだから」という言葉とプレッシャーが強かったので、そんな重荷から開放された大人との私だけの時間や私だけだけの幸せみたいな思いから、「コノ人ハ私ノ大好キナ人」と脳内のどこかにインプットされていたんだろう。
 それが母親や父親なら尚の事、愛情という気持ちと信頼で子どもにとってとてもいい影響を与えると自分の気持ちを思い返して感じた。

 まだ子どもはいない私自身だけれども、子どもができたら寝不足になるだろうな~とか、家とか散らかりまくるだろうな~と妄想しつつも、心の余裕とかきっとなくなるんだと自分の性格を分かっているからこそ、こういう呟きで思い出した気持ちや考えを大事にしたいなと思ったので記事にしてみました。

 でもきっとそれって育児で疲れた母親にとっても、心の余裕だったり愛情の再認識の機会になるんじゃないかなーと思うので、子どもとの2人きりの”デート”の時間を大切にできる母親になりたいなと思えたのでした。

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