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自立しているから支えたくなる、頼られるから逃げたくなる

「何かあったら教えてね。」「体調悪いときは連絡してよ。」
仕事や生活で困ったときに人に相談する選択肢がなく、
熱が39度で倒れるほど辛かろうと不調を見せまいとするから、
周囲は声をかけてくれる。

私は自分の問題は可能な限り自分で解決をしたい。確かに客観的意見を人に求めることで、自分に相応しい解決策を手に入れることはある。しかし、自分で出来る仕事や生活の問題は自分で解決したい。他人の貴重な時間と労力を割くものではない。

体調不良であれば、意識があればタクシーで、意識が朦朧とすれば救急車で病院に行く。人の手を患わせることへの申し訳無さは、この上ないのだから。

ただこうやって、可能な限り、自分で、人を頼らないようにしようと思うから、本当に大変な時には自然と誰かが手を差し伸べてくれている。
話しかけてくれる同僚がいたり、連絡をくれる医者がいたり。
だからこそ有り難い。
きっと、最低限の自立をしているから誰かが支えてくれるのだろう。
………………
会社に行くと、数秒に一度、ある女性に話しかけられる。
「昨日も営業の〇〇さん、しつこかった。」
「今日、喉の調子が悪い。」
と。
確かに営業の〇〇さんはしつこい。同じ質問を何度もしてくる。
確かに喉が不調の時もあるだろう。この時期、沢山の人が咳払いをしている。

しかし、自己解決が困難なほど困っているレベルかと考えれば、そのような域には到達していない。にもかかわらず、連日、「困っている。」「不調。」を訴えるものだからただの愚痴になって、周りから人が離れていく。
少なくとも、私は離れた。
………………
優しさはボランティアではなく思いやりだから、思いやるから気づいて支えるのだろう。求められると引いてしまう。

人を集める機会があり、人を呼んでいるとよく見える。
北海道から東京に来てくださる重鎮の弁護士の先生は、ホテルの有無も、飛行機の時間も教えてくれない。それは先生の思いやりで、「忙しいだろうから、気にしないで。」との意味なのだろう。

他方で「行ってあげるのだからホテルを準備して。」という人もいる。更にお金は建て替えを求められたり。
会う前に、逃げたい相手も沢山出来てしまった。

慣れない東京に1人で来てくださる弁護士の先生だからこそ、どう支えたら良いか考えたいし、
ありがとうの思いが胸に染みる。

数十万円の建て替えを、当たり前のように求めてくる見知らぬ人だから、
ご多忙なら、ご欠席いただいて構わないと思ってしまう。
………………
注ぐ労力は、頼らない人への方が大きいだろう。しかし、頼らないでくれる人へ感謝したくなる。

私の周りには、私の労を求める人がいない。だからこそ、全員にありがとうを込めた最高の思いやりを注ぎたくなる。
「私に出来ることがあれば、言って欲しい。」
と常に切に願う。

ホテルの予約も交通費も控室すら求めない。
震災のときすら、水もマスクも私が送るまで求めてこなかった。
そんな人たちがただ会いに来てくれるその思いが、私にはかけがえのない有り難いものに感じる。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)