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初めてのオトナ〜言葉を使わず目で見守ってくれていた人

風邪をひいて出社した男性を皆が煙たがり、「マスクしろよ」と言う。「お大事に」と通りすがりに伝えた別の男性は、冷徹な心を象徴する冷めた目を向けた。

ある部署では、誰かがミスをすると「それ見たことか」と言わんばかりに笑う。それを見ている同じ部署の聴衆達の視線は、声のない嘲笑だった。

会社に来れなくなった従業員の机を見て、「大した仕事もしていないのに」と、優越感に慕った声を出す男性の失言を誰も止めない。むしろ代わりに言ってくれたことへの感謝と共感から、煽るような目を向ける。

目は心を伝える。
私はこれらの目を見ると、この様な目を他人に向ける能力のある人たちを可哀想と感じる。攻撃的な言葉とともに放つ目が、思いやりを備えている人間の目ではない。
そんな目を人に向けることができる彼らは、人に優しくしてもらったことがないのだろうか。
………………
時は遡る。
遠い昔、私は亡くなった家族と対面し、その場にはいられず、声がなくなるほど泣きながら、待合室と病室を往復していた。
家族のところに行き来する途中、ベッドが1つあって、人工呼吸器をつけていた女性が寝ていた。
多分、30代か40代。

夜から朝まで何度も行き来し、何度も彼女の横を通った。
その度に彼女は必ず私に目を向け、何度も頷く。
泣きながら去っては戻るその度に何度も何度もだ。

彼女の目は同情でもなく、お節介でもなく、子供を見守る目だった。そう、さり気なく横で支えようとしている感じ。桃色の空気が流れていた様に感じた。

きっと彼女は重病か重症だっただろう。あそこにいたのだから。しかしその苦しみは微塵も出さずにただ柔らかい目を向けてくれていた。
…………………
苦しい人や困っている人を見る目を見ると、あの女性のことを思い出す。そしてあの女性から受け取った様な思いやりの目を人に向けたいと思う。

社内の人達の目は、彼女とは違い、幼稚園の頃に居た意地が悪かった男の子に似ている。
困らせて楽しんで、
アラ探しをして勝ち誇り、
優越感に浸っている目。
…………………
生きていると思い通りになることは殆どない。誰も自分に合わせてくれないし、誰も自分と同じではない。同じ仕事をしていても、体力も感情も全部違う。
にもかかわらず、「自分と違う」人は「悪い人」となり、そのストレスを発散するように不快感を示す目でイライラを解放する。

伝えるのは口であり、言葉だよ。
目で嫌味を伝えても貴方の思い通りにはならない。
……………………
働き始めて、あの女性の様な桃色の空気を宿す目を見ることはなくなった。

それでも自分は、人には柔らかい目を向けたい。気に入らないからといって、嘲笑の目で発散することはしたくない。

いつ、いかなる時も、誰に対しても、まずは思いやりの目をもちたい。なぜなら他人は自分の思い通りにならないのだから、自分の持つ概念に合うか合わないかで不快感を目で示すことはしたくない。
とりわけ苦しい状況の人が居た時には穏やかな目を向けたい。あの女性の様に。

オトナだから出来ることを、オトナだからやっていきたい。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)