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窮屈な日常で、唯一、心のままに感情を表現出来た場所〜貸し切りの映画館

急に流行を始めた感染症は、当初、感染防止対策が分からなかったから、会社のルールに従って人との会話が出来なくなった。
対策は徐々に緩和していったが、それでもミーティングのときはパーテーションとマスクのせいで誰が何を言っているかわからない。
ランチは、もっぱら一人になった。
人との会話も極力避け、チャットで済ませた。
………………
休日に都内に出かけたとしても、会う友人は、「換気の良いレストランで常にアルコール消毒ができる店」との注文ありき。子供がいたら致し方ないのだろう。

私も感染したくないし、気を使いながらで楽しめないから、無意識に子持ちの友人との面会を避けた。
………………
更に、この3年、感染症はもちろんのこと、

テレワーク、オンライン飲み会、時短営業によって、街から人がいなくなった。
とりわけ夜はそれが顕著で、時短営業の時期には19時にもなると、駅から家まで誰にも会わないこともあった。

私は、治安の悪化が怖くて、外出を最小限にした。
………………
人を避けなければならない。
しかし、人に会わなければ元気が出ない。談笑や挨拶は、自らが元気になる手段でもあったのだろう。

感情を表に出すことで心を空にするから、別の出来事に対する感情が入ってきて、心が回転し活発でいられたのだと思う。
しかし、人に会えない。万が一にも感染したら、会社への感染経路の報告と、社内にいるマスク警察によるお怒りに触れてしまう。

せめて人に会わなくても、感情を出せるところに行きたいと思った。
………………
そこで、緊急事態宣言の最中、こっそり映画に立ち寄ってみた。近所の映画館は空っぽでいつも私だけの貸し切りだった。

「鬼滅の刃、無限列車編」で、久しぶりに泣いた。人を守る温かさや、炭治郎の悔しい気持ちが心を涙でいっぱいにした。

「A NIGHT AT THE LOUVRE LEONARDO DA VINCI」 久しぶりに絵を見ることができた。500年も生き続けるダ・ヴィンチの大好きな作品たちは、私を虜にした。思いの深さが作品を永遠のものとしていたのだろう。気づきたときには、心の中はダ・ヴィンチでいっぱいだった。

「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」 絶対に上手くいくのが分かっているのにハラハラしてしまう。そして、少年探偵団みたいな仲良しグループ、羨ましいなぁとほっこりした。
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感染症の期間、いつも誰かに気を使っていた。
食事に行ってもカゴのフォークに触って、友人は不快にならないか?
大きな声で笑ったら、怖いよね?
咳はしちゃいけない。

会話も遠慮し、感情の表現はほとんどしなくなった。
そんな中で、定期的に行く映画館は外出する契機になった。作品は、人として生きていくために必要な感情を思い出させてくれ、感じたままに遠慮なく気持ちを表現出来る場所だった。
たまたまいつも貸し切りの如く、私以外の観客がいなかったおかげもあるが。
………………
最近、久しぶりに友人と映画に行った。「THE FIRST SLAM DUNK」は、大入り満員で、私と友人の二人の後はSOLD OUTだった。
久しぶりに人が沢山いるところで映画を観た。感想を友人と語った。
勿論、楽しかった。

しかし、一人で歩いて行って、
観た作品に、何かを感じて、心のままに感情が表現出来たのは、あの感染症の期間だったからとも思う。
静かなところで、周囲に全く気を配らず、思いのままに映画を楽しむことが出来た、かけがえのない時だった。
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思い返すとこの3年、思いっきり笑ったり、泣くことは出来なかった。
しかし、貸し切りの映画館だけはそれを許した。

いつも誰かに気を遣い、人の目や感染、悪化した治安への恐れを抱いていた。だから、心はいつの間に草臥れてしまっていたのだろう。
その中で、映画館が心のままに感情を出すことができた唯一の場所でもあった。

もうあの時期に戻りたくはない。しかし、あの時期だからこそ楽しめたのが映画だった。
きっと、映画館での時間が充実していたのだろう。

私の映画にまつわる思い出は、心のなかに潜んでいた様々な感情を、作品を通して出すことができた日々。気遣いや恐怖から解放されて、伸び伸びと過ごすことが出来た。それは、豊かで充実した時だった。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)