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伝える相手が誰かを考えて、書いていきたい〜自分への注意事項

「あやとさんの職歴書、準備書面みたいです。キツい人とか、強い人に見えてしまいますよ。」
転職のために書いた職歴書をエイジェントが指摘する。
自分では全く気が付かなかったが、確かに、要件事実にあてはめ趣旨に立ち返る文面は、はっきりし過ぎている人だった。

法務を担っているうちに、横やりの入れようがない、明確で逃げ場がない文章を書く様になってしまっていたのだ。
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確かに、noteの記事や準備書面、小説を書く場合には、
雰囲気や心情にフィットするような適切な言葉を集め、読んでくださる方が迷いなく結論に行き着く文章が適切だろう。
それは読んでくださる方が「この場合はどう?」「そんなことありえないよ」「不自然」と感じると、理解してもらえないから。
しかし、逃げ場のない文章が成り立つのは、読み手が不特定多数、もしくは訴訟においてのみであり、
特定の人に伝えるには、「きっとそうゆうこともあるよね。なんとなく分かる。」でストップしなければならない。なぜなら個人を刺してはいけないからである。
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いつの間にか、あらゆる文章が作品を完成させる場所になってしまっていた。
敢えて真偽を明確にしない、推定が働く余地のある文章の書き方を忘れ、
職歴書への御指摘をいただいても、当初は書き直せなかった。

そこで代わりに書き直してくれたエイジェントの言葉は、法に基づかない文言になっていた。例えば、「贈収賄」は、「年末年始の御礼の品」となり、セクハラで「異動いただいた」は「適切な部署への配置」となった。
通して読むと、従業員一人一人への配慮が見える職歴書に変わった。それは例え絶対悪である、贈収賄を行った従業員に対しても、セクハラをした従業員に対しても穏やかな対応と読むことが出来た。
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特定個人に向ける言葉は、現実にフィットする必要はない。まして、特定個人の心理を描写することはもっての他である。なぜなら、同じ場面にいて、何かを感じた相手に対し相手の思いを知りたい体で伝えるものだから。
他方で、不特定多数に伝えるには、正確な現状と心理描写が不可欠となる。
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悪意や失敗を明確に指摘することは、相手に対し不快感を与え、人間関係を破壊する。そもそも対話する理由は、関係を続けるためなので、敢えて不快感を与える必要はない。一方が不快となると、関係が終わるってしまう。
まして、若くもない女性がそれをやると、「怖い」となる。「かわいい」「純粋」で済むのは学生限定だろう。
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今一度、数ヶ月間のメールを読み返す。理詰めより心に訴える策として「不快」「悲しい」と伝えるのは構わない。
しかし、「○月✕日8時58分11秒、Aさんら3名が、私に茶碗を洗うように仕向けるべく、私の席に使用済茶碗を山にし、給湯室で女性3名に囲まれ、彼女らの仕事たる茶碗洗を私が行っている様子を監視をされていた。従って、打ち合わせに間に合わせようがなかった。」
と上長に送った相談メール。
リアルが想像できるので準備書面ならよいが、このメールを上長に送れば、ひかれてしまうだろう。

「打ち合わせがあるとお断りのお願いしたがお許しをいただけず、茶碗洗を指示され、困った。そのため打ち合わせに遅れて申し訳ありません。」
と伝えるべきだった。

なぜなら、今後もともに働くため、相手が言い訳する隙間を与え、どうにか手を打つべき相手だったから。
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文章は正確な情報を提供すべきためだけにあるのではない。
伝えて、状況を変える役割もある。その場合、言い訳の余地を残し、対話出来るようにしなければならない。

だから、文章を書くときは、伝える相手が特定個人か不特定多数かを考える。特定個人の場合、関係を続けるための対話の手段が文章で、リアルの伝達手段ではないことを忘れたくない。
エイジェントが教えてくれた人間関係を悪くしない大切な教えとして。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)