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愛の三類型①エロスは不足を求める愛

こんにちは。
西園寺えるです。

いま社会に必要な愛についてシリーズ。
さっそくはじまりました!

さっくり読める記事たちをマガジンにどんどん追加していきます(予定)ので、みんなで愛の知識をつまみ食いして、おはなししましょう~。

はじめは、ことばの意味など少し堅苦しいかもしれませんが、共通認識を作るため。
しばしお付き合いください。

愛の定義?

愛については、古今東西あらゆる哲学者が、いろんな視点からいろんなことを言っています(雑)

カント「愛は義務ではない」

エーリッヒフロム「愛することは技術である」

マックスシェーラー「相手の属性ではなく、相手の人格を愛するものだ」

アウグスティヌス「愛するとはそのもの自体のために何かを欲求すること」

それだけ、多くの人を悩ませてきて、
かつ人類共通の関心ごとでもあるわけです。

「愛の定義とは?」を語るとそれだけで話進まなくなっちゃうのでひとまず割愛。

さて、たくさんの定義の中から、私が卒論のベースにしたアンドレ・コント=スポンヴィル著「ささやかながら、徳について」より愛の三類型をこれから紹介します。

  • エロス(性愛せいあい

  • フィリア(友愛ゆうあい

  • アガペー(慈愛じあい

というラインナップです。
スポンヴィルは愛の性質を大きく3種類に分けたんですね。
古代ギリシャだと8種類だったりします。

これから3記事にわたって、ひとつずつ見ていきますよ。

初回は、おそらくもっとも意味を誤解されて広まっているであろう。
「エロス」、性愛について。

タイトルにあるように、「不足を求める愛」なのです。

愛の三類型・エロスとは

エロスというと、どうしても性欲をイメージしがちです。

これは半分合っていて、半分間違い。

自分にないものを情熱的に求める愛であり…
それゆえに持続困難な愛。

つきあいはじめのカップルの情熱的な感じ、ずっとは続かないですよね。
もって、半年〜2年。

いわゆる「恋は盲目」という感じで…

自分自身の欠如を埋めようとする愛であるため、利己主義に近い。
相手の幻想を求めてしまうところもあります。

※利己主義と自己愛は違います。この企画がちゃんと続けば後ほど記事を書いてここに埋め込みますね笑

つまり、相手のことを知り尽くしてしまったとき、エロスは継続不可能。

精神的にも身体的にも2人でひとつになりたかったのに、その先にあるのは圧倒的に埋められない差のある、物理的に独立した2人の人間だという事実が待っているから。

エロスは永遠に満たされないか、破滅を迎えるしかない。

こうやって書くと、未成熟なダメな愛、って感じがしますよね?

でも、そうじゃない。

パワフルな愛であること、たくさんの学びにつながることなど、エロスのいいところもいっぱいあります。

知的好奇心なんて最たる例で、現状の自分に満足していないから、まだ見ぬ世界を求めるわけです。
プラトンは人智を超えた美しさを追求するエネルギーのことをエロスと言ったとかなんとか…。

人は何もできない赤ちゃんの状態で産まれてくるので、そもそもエロスがなければ、人として成長できません。
原始的かつ根源的なもので、人とのつながりの始まりには必要なものです。
エロスがまったくなかったら、ひとりになってしまいます。

エロスばっかりでも、なさすぎても、「理想の愛」にはならなさそうですね。

みなさんはどうでしょう

西園寺えるはエロス知的好奇心が強いです。
間違いない。
HSS型HSPの人はそんなタイプが多いんじゃなかろうかと考えています。

でも、夫とは結婚6年目、とりあえず平和に暮らしています。
2年で愛想を尽かしたり尽かされたりしていません。

それは、相手のありのままを認めあう愛である、「フィリア(友愛)」に変化していったからです。
フィリアは、ギリシャ語で「愛」「友情」「親愛」の意味。

そして、エロスは恋愛の探究(私の場合男性の探究)を終え、世界に対する知的好奇心に発揮されている仮説。

さて、そんなフィリアについては次の記事にて。


なるべく堅苦しくならないように書こうとがんばってみてます。
わかりにくいところがあれば教えてください。

それでは。

○参考文献
アンドレ・コント=スポンヴィル著「ささやかながら、徳について」
西園寺えるの10年前の卒論

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