他人ではなく自分の過去と比べる生き方

新たな1年が始まった。

いつだって年初めは一つの区切りのように捉えて、
「今年こそは」なんて自分の飛躍に意気込む。

けれど数ヶ月後にはその意気込みは不安材料に変わっていて、
達成できない自分に嫌悪することをもう何年も経験している。

幼い頃、勉強も努力も嫌いで自分に甘いと言われて育った私は、
大人になって、何をやっても自分に甘いと思うようになった。

すると今度は自分への甘やかし方が分からなくなる。

何をすれば頑張りで、何が当たり前なのか。
何が甘えで、何が自分への労りなのか。

人に褒められると「私は頑張っているのか」と戸惑ったりもする。

だからいつも比べるのは他人で、
あの人よりこれだけやっているから私は頑張っているとか、
あの人くらい頑張れば休憩してもいいんだとか、
ものさしが全て他人を軸にしたものになる。

すると今度は他人の目が気になって仕方ない。

自分らしく生きるとはなんだろうか。
人生で立ち止まってもいい時とは一体いつなんだろう。

誰かをものさしにしたところで、
その人との得意不得意も、元々持ってるHP量も違うのに。

そんなことを思いながら半年ほど前に始めた瞑想を続けて、
最近思うことがある。

他人をものさしにして比べていて、
一人馬力しか出せない私は、
いったい何人に勝ち続けなくてはいけないのかと。

途方もなく遠く、絶対的に不可能じゃないかと。

そして瞑想は教えてくれた。
自分の呼吸に意識を集中させるとは、
いつだって軸は自分なんだということを。
呼吸法を使って、他人軸から自分軸に戻す練習をしていたのかな。

他人を軸にしていたものさしを自分軸に変えてみたら、
ものさしは自分自身ということになる。

自分を過去・現在・未来で区切るとすると、
今の自分は現在。未来のことは分からないから、
比べるものさしは過去の自分自身ということになる。

過去の自分と比べて、今の自分は頑張っているか。
休み方を少しは知れたか。時間の使い方が上手くなったか。
人に優しくなれたか。

過去の自分と比べて少しでも今の自分の方がいいと思える部分があったら
それは前進しているといっても良いんじゃないか?

それでも思考の癖というのはすぐに治るものではないから、
気付けばまた他人を目で追っている時もある。
凝り固まった潜在意識を変えるのは
そう容易いことではない。

気付けば当たり前のように
自分自身をものさしにできるようになるには
まだ練習が必要だけど。

自分の呼吸、壱ノ型、ものさしは己
(ごめんなさい)

今年も気付きの多い1年となりますように。

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