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季節はずれの菜の花の辛子和え

看護助手をしていると、患者さんの本音を聴くことがとても多い。
身の回りのお手伝いに入ることが多いので、医師にも看護師にも言えない胸の内をポロッと漏らされることがある。その小さな声や変化を見逃さずしっかりと掬っていくこともまた大切なお仕事です。


ある雨の日、ハイケアのご高齢の女性患者さんのお部屋を尋ねると、泣いていた。

すぐに駆け寄って手を握り声をかける。

この患者さんは手術と入院とをずっと繰り返していて、過去に何度もここの病棟に入院されたことのある、全盲の方。
雨の日をいつも言い当てる。この日も。

他愛ない会話をして少し落ち着かれたところで涙の訳をそっと伺ってみる。


「手術に耐えるだけの気力も体力ももう残っていないことを自分で分かっているから、今回が本当に最後だと思い、入院する前に身辺整理を終え、会いたい人にも会ってきた」と仰った。
手術中にそのままあの世へ行けたらいいなぁと思ったと言う。
「でも目覚めたら病院のベッドの上で。あぁ、生きながらえてしまったのだな、とわかった。これからどうしていったらいいのか分からない…。自由も効かず思うようにできない毎日をまた過ごして堪えていかなくてはいけないのが本当に辛い。目を覚ましたくなかった」と話された。


「それで、なんであなたが泣くのよ」


私は声を出さずに静かに泣いていたけれど、伝わってしまっていた。

どれほどの辛い日々を経て、覚悟を決めて今回の手術に臨まれたのだろう。私が推し量るにはとても足りず、察するにはなおも余りあるほどの。ひとりで準備をして考えてこられたことを思うと、涙が止まらなかった。悔しさもあった。
この方に対する今までの看護や介護においての不足の部分さえ観え、責任も感じた。もちろん病院だけのことではない。

私はまずは、目覚めてくださったからまたこうしてお話ができることへの嬉しさを伝えた。大好きなことも伝えた。誰に頼まれたわけでもないのに、廊下を通る度になにかお困りではないか、ご不便なことはないかと、必ずお部屋を一度覗いて注視していたことも。食事の時も何がどこに置かれているのか1品1品必ず一緒に場所とお料理名と具材の確認をし、その後はスプーンやお箸を落とされていないか、汁物をこぼしてしまったりしていないか、他の業務をこなしながらも心配でちょこちょこウロウロ見に来てばかりいたことをお伝えした。

ようやく笑ってくださった。

ゴミ箱も、右側の頭元に置いた方が使いやすいのを知っているから、看護師が勝手に左に動かしたのに気づいたら、そっと右側に戻しておいたこと、その後も何度もそんな事があったので“ゴミ箱は右側(頭側)に設置をお願いします”の張り紙をしておいたこと。
ピンクのほわほわの靴下がお気に入りで、トイレに行く時やリハビリの時は必ず履き、夜には必ず脱いで寝ることも。

笑顔が戻った。

「だから困った時はいつもあなたがいちばんに気づいて駆けつけてくれるのね」


細かくても、動線の邪魔でも、とても大事なこと。その方にとっての心地よい生活や空間を支えるお仕事、看護とは、介護とはと、常に考えてきた。
病院ではなかなか忙しすぎて看護師では手が回らないものの方が多い。朝、業務がスタートしたら助手とて1日中ノンストップで動き回っている。でもそこをアシストしたりフォローするのも看護助手の腕の見せどころ、重要なお仕事だと思い誰よりも大事にしてきた譲れない部分。


一緒にお話しながら今後の楽しみをみつけていく。これからどうしていきたいかも意向を確認しながら一緒に考えた。

「3人寄ってもいい智慧やアイデアが出ないなら、4人でも5人でもみんなを巻き込んで考えましょう」

難しい問題があったので、病棟カンファに持っていった。


「そうだわ、菜の花の辛子和えなんかが食べたいわねぇ」

私はその言葉を心底待っていた。ご本人の口から発するものこそが明日への希望となる。それがどんなに小さなことでも。
この言葉が聞けて私も救われ、私の希望にもなった。嬉しくてまた泣いた。

その日の担当看護師にも栄養師にもすぐにシェア。菜の花の時期はもうすっかり終わってしまっていましたが、青物のよく出る職場では温室栽培の菜の花を使うこともあり、メニューに組み込むのは可能だということだった。
次に菜の花の辛子和えがメニューに載る日をみんなで楽しみに待った。

その後、患者さんはよくお話をされるようになって、表情も明るくなり、それがいちばん嬉しかった。
悔しいことに、私がお休みの日に菜の花の辛子和えが出た。
悔しいだけで終わらせたくなくて、休み明けに今度は、そのお味の感想を聞くのを楽しみにお部屋を尋ねた。

「それはもう、味が薄かったわよ~」

求めていた答えと違い、笑ってしまった。でも美味しかったそうなのでひと安心。
病院食って、薄味なんです…




「前の職場でいちばん嬉しかったのはどんな時ですか」

面接での質問に、私はこのお話をした。
現場では毎日いろんなことが絶えず起こっている。その他にもエピソードはざくざくあるけれど、このお話を選んだのは「ただ嬉しかった」だけではない、嬉しいに至るまでと、これからの私に繋がるいろんな要素が含まれていたから。


雨の日と、季節はずれの菜の花を見かけたときは、いつもその方のことを思い出します。

お元気にされているかな。


その面接をした施設から先日、採用合格のご連絡をいただきました。
8月から介護福祉士として新たな一歩を踏み出します。


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