計算高いこと

計算高いって悪いことなのだろうか。


正直、わたしは計算高くていいと思う派だ。むしろ計算高くないとできないことは多い。仕事だってそうだ。「ここでこうしたら反応が来るだろうから今はこれをやろう」とか、そうやって行動をしていかないといつまで経っても日の目をみない。だから今までも「ここでこれを手に入れたい」と思ったら目標から逆算してそうしてきた。

たぶんきっと、生粋の負けず嫌いの性格が故になんだろう。昔から「おっとりしてるね」なんかはよく言われるフレーズだけど、何事も絶対にいちばんじゃなきゃ嫌だった。

小学校の毎週の漢字テストはいつも満点じゃなきゃいやだったし、大学の卒論発表会ではぜったいにいちばんの最優秀賞を取ると決めていた。でも無駄な労力と時間は割きたくない。最低限の時間でそれを手に入れたい。そう考え出したときの頭はいつもフルスピードで回転し始めた。フル回転の状態になったときのわたしは無敵だった。

結果的に卒論発表会では最優秀賞をとった。「どうしてあの人の方が長いあいだ頑張っていたのにあなたなんですか」というバッシング付きだったけれど。

日本では「長い時間をかけること」がやたらと評価されるように感じる。結果が出ていなくても時間をかけたからいいとか、あの人の方が長いあいだ頑張っていたとか。結果よりも過程が重視される。

でも正直言って、効率を求めて最短距離で結果を出すように計算しながら行動する方が時間はより多く作れると思う。その時間で好きなことをしたり友達と会ったり、結果的にいいことが起きるはずなのに。

計算高い方がいいことが起きる確率はグッとあがるはずだ。



でもまあ、唯一恋愛になると計算高くなれないしストレートがいちばんと考えてしまって、うまくいかないのだけれど。いちばん計算高くいるべきはその場面かもしれない。



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