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「障がい」の理解も難しい

こんばんは。
こちらは風は冷たいけれど日中は青空が広がり、散歩は気持ち良くできました。
そんな今日を平穏に過ごせた事に感謝です。

今日2月5日は「初午」。
京都の伏見稲荷大社での初午祭の様子が、お昼のニュースで報じられていました。
お祭りはしていないけれど、近所の稲荷神社に参拝。
ちょっとで良いので、ご利益がありますように。

障がいについて

昨日は『自分の症状を理解してもらうのは難しい』というお話をしました。
似たような内容になりますが、障がいも同じだと思います。
私の次男は発達障がい(自閉スペクトラム症)です。
見た目は普通の小学生ですが、言葉は話せません。
発作のように突然声を出して怒ったり、泣いたりします。

そんな時、理解してくださる方と、そうでない方の反応は全く違います。
障がいを持つ方と接した経験や知識の有無が、大きく関係してくるのかなと思います。
理解してくださる方の多くは、家族に同じような障がいを持つ方がいらっしゃったり、学校の先生や心理士さんなど専門の知識を持つ方です。

特に公共の場では、そうでない方からの視線は痛く感じます。
こちらも変に気を遣ってしまう事も。
何も悪い事はしていないし、子どもにも罪は無いのに。
『私はそんな余計な事まで考えていたんだなぁ』と、ふと思いました。

年に一度、地域の学校との交流授業があり、昨年の秋頃にも次男が自宅近くの小学校に行きました。
同学年のお子さんですし、前年度とメンバーも変わりませんから、次男を覚えてくれていました。

次男は普段と違う環境をすぐには受け入れにくい為、みんなの輪の中に入ったり入らなかったりします。
それでもみんなは受け入れてくれて、記念写真も撮ってくれました。
近所のスーパーなどで声を掛けてくれるお子さんもいます。

障がいについて理解する上で、こういう交流や教育は大切です。
私自身もまさか障がいを持つ子の親になるなんて、考えもしませんでした。
次男のおかげで良いご縁がありますし、知らなかった福祉制度もたくさんあります。

未来を担う子どもたちだけではなく、お手本となる大人である私たちが、先に理解して良い社会にしていかなければ。
次男が大人になった時、生きやすい世の中である事を願います。


明日も感謝の心を忘れずに。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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