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【エッセイ&映画レビュー】僕が飛び跳ねる理由~君と僕が生きる世界~


ども!

2月も終わろうとしていますが、北海道は最後の冬の悪あがき?笑 風雪が強まっております💦

でも、明日からは気温も上昇!春が駆け足でやってきそうです✨

過ぎてみれば冬はあっという間に過ぎたような気がします。

吹雪の時、極寒の夜、目の前が見えなくて行先を見失ったり、凍える寒さに身を縮め、昇る朝陽を待つような日もありました。

気が付けば時は流れ、晴れの日には目の前に続く道が広がり、昇る朝陽の暖かさは凍てついた心まで解かしてくれるようです。

え?

「何の話やねん?って笑」


ま、色々あるよね~

バッグ失くしたり

バッグ失くしたり

バッグ丸ごと失くしたり…


、、、、、。



アヒャヒャヒャヽ(´>∀<`*)ノアヒャヒャヒャ!!ガハハハ!!



んなものもう、どうでもええわい!
わたしゃ立ち直りが早いのじゃ🤣🤣🤣


もとい(  ー̀֊ー́ )✧︎キリッ



もうすぐ君と僕の生きる世界に春が来る


同じ世界
同じ時を生きる君と僕。


僕が飛び跳ねる理由ってどんな話?

この映画は2020年イギリスで公開されたドキュメンタリー映画で、日本でも既に公開されていて 原作は作家の東田直樹さんが13歳の時に執筆し、世界30カ国以上で公開されたエッセイ本【自閉症の僕が飛び跳ねる理由】を基に作られています。

遡ること7年前。
実はあゆさん、当時NHKで放送された【自閉症の君が教えてくれたこと】という”東田直樹さん”を取り上げた番組を偶然見ていました。
強く心に残る番組だったので、映画化されどんな風に描かれるのかとても興味がありました。

映画は彼の語りを中心に”自閉症”の世界がどんなものなのかを、世界中の様々な「個性」を持つ5人の自閉症者を通して描かれています。

僕が飛び跳ねる理由

東田直樹さんは5歳の時に”自閉症”と診断されました。

まず、自閉症とは具体的にどんな障害なのか。

自閉症とは?

自閉症とは発達障害のひとつ。
原因は特定されておらず、生まれつきの中枢神経機能の障害であると考えられています。
「対人関係の構築が難しく集団に馴染めない」「強いこだわりがあり変化を嫌う」という二大特徴がありますが、これが本人の生活に支障を及ぼしていなければ障害とは呼びません。

反対に、それによって本人が苦しみ生活にも様々な不自由がある場合は、医療や福祉のサポートが必要となります。

精神科の分野における自閉症の歴史はまだ80年に満たないため、その概念は近年でも大きく変化しています。
広汎性発達障害、高機能自閉症、アスペルガ-症候群などの用語も生まれては消え、現在では「自閉症スペクトラム」(スペクトラム=集合体)という名称を使うのが一般的。

「自閉症スペクトラム」は障害者とみなす必要のない人まで含むと、全人口の10%を占めるとも言われています。
もしもそれだけの人数がいるとなれば、これを「障害」と考えるのは無理があるでしょう。

現在では、「症状」を「個性」と受け止め、発達障害を持つ人を社会的マイノリティとして支援する流れも生まれています。
一部引用:KADOKAWA公式より

東田直樹さんと母親の美紀さんをインタビューしたユーチューブがあります。

この動画の中で母親の美紀さんが語られているのですが、子供の頃の彼は「叫ぶ」「飛び跳ねる」等、とにかく育てるのが大変だったと語られています。

彼は人と”普通”に会話することが出来ません。かと言って言葉を発することが出来ないわけではありませんが、話そうとすると頭の中が真っ白になり忘れてしまうそうです。

ただ、幼い頃から文字には強い興味を示し、そのことがコミュニケーションに繋がるのではないか?と考えたお母さまが4歳ぐらいから辞典で言葉を繰り返し教えるうちに言葉を覚えたそうです。

そして8歳でキーボードを打てるようになり、さらに彼と意思の疎通がとれる方法を模索し、PCのキーボードの同じ配列の文字盤を作りそれで会話が成立することに気が付きました。

そして彼は13歳の時、自閉症である自身の思いをエッセイとして本に綴ったそうです。

自閉症は共通する特性はあるものの、抱えてる「個性」は様々。

そんな自閉症者が見つめ感じながら生きる世界を「普通」と言われる私たちはあまり知りません。

彼は映画の中でこう語っています。

「見ている世界はみんなと同じでも、それをどう受け止めるかが違うんだ」と。

「見かけだけで判断しないでほしい。少しだけ僕の言葉に耳を傾けて僕らの世界を旅してほしい」と。


普通って?


普通って一体なんだろう。

ここ数年、多様性(ダイバーシティ)を受け入れるそんな言葉をよく目するようになった気がします。

「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人が共に存在すること」

人種、国籍、性別、年齢、障害の有無、宗教、性的指向、価値観などの多様性からキャリアや経験、職種、働き方と幅広く用いられてるこの言葉。

この世の中に存在する”普通”と言われるマジョリティ。
そして”普通とは違う”と言われるマイノリティ。

あゆさん子供の頃、例えばクラスで何かを決めるときに”多数決”で決めることが多くありました。
しかしあゆさん、いつもその方法に違和感があったんです。
正しさや、不正解は大多数で決まるものなのかと。

自身の性格的なものが影響してたのかもしれないけど、なぜだか、選ぶのは少数派意見の方が多かったので、納得いく結果にならないことが多かったから。

大人になってもそれは同じで、マイノリティが「異質」とみなされ、マジョリティが「スタンダード」となることって多いですよね。

しかし、それは社会生活を営んでいく上で致し方ない事が多いのもまた事実。
マイノリティがスタンダードとすれば、それを許さない圧倒的大多数のマジョリティとの対立構造になってしまう。
なので、マイノリティの声はかき消されることが多いんですよね。


普通って何だ?
個性って何だ?


あゆさんの頭の中でこの疑問はいつも渦巻いています。

君が生きる世界


「言いたいことが言えない生活を想像したことがありますか?」

映画冒頭に出てくる言葉。

数年前彼のドキュメンタリー番組を初めて見た時、飛び跳ね、叫ぶ彼を見て感じた事がありました。

「今、何を伝えたいの?」

「何を感じているの?」

「どうしたいの?」

例えばあゆさんがその時の状況を見て、自分の物差しで彼の心を察することは出来ても、それが彼の感じていること伝えたいこととは違うかもしれない。

「みんなは凄いスピードで話す。頭で考えた言葉が口から出るまでがほんの一瞬だ。不思議でたまらない。
僕には知らない外国語で会話するような毎日なのに」

考えてもみなかった。

意識せずに頭で考えた言葉がタイムラグなく出てくることが当たり前。
知らない外国語で会話する毎日って、想像も出来なかった感覚だ。

彼の紡ぐ言葉は、自閉症の世界を体感させてくれます。目で見て聞いて感じ彼の紡ぐ言葉でまるで旅をしているようです。

共に生きる世界で

この映画の中では世界各国5人の自閉症の人達、そして彼らの家族も登場します。
東田直樹さんのお母様が”言葉に強い興味がある”と気付き、コミニュケーションがとれる方法を見つけたように、それぞれの家族がそれぞれ形を見つけ、言葉では繋げない心を一生懸命結んでゆきます。

同じ世界に生まれ、同じ時を生きている彼等は、普通と言われる私達の何倍も何十倍も生きずらい毎日を生きていると思います。

彼等の世界を映画を通して旅することで、理解が深まり、自閉症者はもとより、様々な生きずらさを抱えてる人の理解が進み少しでも生きやすい社会になって欲しいと心から願うばかりです。

あとがき

人生は台本のないドラマだよく言いますよね。人の数だけ、幸せの形はそれぞれあるし、抱えてるものや、悩みや傷みも様々。

いつも思うのは、目に見えることはその人の本質、全てではないという事。

いつも人前で笑ってる人ほど誰より泣いてるかもしれない。

人に優しい人ほど誰より傷付いてるかもしれない。

いつも頑張ってる人は誰にも弱音を吐けないのかもしれない。

決して見えることのない心の内を思い計ることはとっても大切なこと、そうあゆさんは思います。

そう思えたら少しだけでも、人に優しくなれるんじゃないかなって。

せめて。
あゆさんが大切に思ってる全ての人の弱さや痛みを感じられる自分で居たいと思うし、寄り添えたらといつも思うんです。



君が生きる世界で

僕が出来ることは何だろう

君と生きる世界と

僕が生きる世界は

同じようで違う

近いようで遠い


それでも

その違う世界と

その距離を繋ぐものが

ここに在る。



わずか13歳で東田直樹さんが紡いだ言葉達は海を越え声となり映像となって世界中のおなじ障害を持つ人達や その家族との希望となり心を繋ぐ架け橋となりました。

どうか、この作品が少しでも多くの方に届いて欲しい。そう願わずにはいられません。

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