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榊原康政ば大根の辛味噌煮

館林を訪れました。
徳川家康は関東入部後、重臣達を要地に配置。大名並の領地を与え、守らせました。徳川四天王の一人、榊原康政は館林十万石の城主に。
城跡は市民センターやNHKになっていて、城跡を偲ばせる遺構は土塁のみ。土橋門も再建された物。

土塁の上には狭間が付いた塀。これも再建物でしょう。

善導寺にある墓所。
康政を始め、長男、三男、側室、そして殉死者の墓が並んでいます。

紅梅、白梅が咲いていました。

こちらから動画をどうぞ。↓


ということで、徳川四天王を妄想しながら料理するシリーズも第三弾。榊原康政を妄想。


材料

鯖の干物  1尾分
大根    好きなだけ
生姜    1欠け
コチジャン 小匙2
味噌    大匙3
酒     大匙1
蜂蜜    小匙1

榊原家は松平家の直臣ではなく、酒井忠尚に仕える家、つまり陪臣。そこに次男として生まれた小平太が後の榊原康政。
家康の目に止まり、小姓として仕えるように。更に兄を差し置いて榊原家を継ぐことに。陪臣から直臣へ、更に兄を凌いだということから二重の下剋上?


味噌とコチジャンを練り混ぜる。

初陣となったのは三河一向一揆。
現代の日本人は宗教に無頓着なので、ピンときませんが、戦国時代までの日本人の心には宗教は大きな影響。特に団結した一向宗徒は時には現世勢力である封建領主をも凌ぐ力を発揮。大坂の石山本願寺が好例。また。加賀国は一時は一向宗徒の国。
三河でも一向宗徒が家康に反発。家臣の中にも一揆側に与する者が。
榊原小平太は家康側に付いて奮戦。それが認められて家康から康の字を頂き、康政と名乗るように。


鯖は旨味が凝縮されている干物を使用。

それ以来、家康の数々の戦いに従軍。特筆すべきは小牧長久手の戦い。
本能寺の変後、天下人への階段を駆け上っていく秀吉に対し、家康が待ったをかけた戦。
信長の次男、信雄に合力を頼まれた家康は尾張の小牧山に陣。その周囲に秀吉方も陣取る。睨み合いが続く中、それを打開するために秀吉は中入り。これは密かに家康の本拠、三河に別動隊を送り、そこを攻撃という作戦。
その動きを察知した家康は長久手で待ち伏せ。康政はこの戦で、鬼武蔵と呼ばれた猛将、森長可、信長の乳兄弟、池田恒興を討ち取るという大金星。
これだけでも秀吉を苛立たせるに十分ですが、更に思い切ったことを実行。
秀吉の非を鳴らす檄文をばら撒き。資料によっては、立て札だったとも。
書かれているのは、卑賎の生まれでありながら、目をかけてくれた信長公の遺児達を蔑ろにして、天下を盗み取ろうとしている秀吉には天罰が下る。
その通りと思い当たる所もあったか、秀吉の怒りは頂点。
ついに康政の首に十万石の懸賞をかけました。


合わせた味噌を適当な味になるまで水で溶き、鯖と大根を圧力鍋に投入。

小牧長久手の戦は結局、有耶無耶に終わり、最終的に家康は秀吉に臣従。その時、康政は秀吉に呼び出しをくらう。
殺される覚悟で出向くと、そなたの武勇、誠に天晴と称賛され、従五位下式部大輔という官位と豊臣姓まで下賜。器の大きさを見せつけると共に、徳川主従の離間を狙った?


蒸気が出るまで強火。蒸気が出たら弱火で10分。

秀吉の死後、五大老の一人、宇喜多秀家の家中で内紛。その調停に乗り出し、結果、坂崎出羽守や戸川達安らが宇喜多家を離れ、彼等を徳川家に引き込みます。
仮想敵の宇喜多家を弱体化し、徳川方に内部情報を齎せるという効果。見事に交渉術や政治力も発揮。
関ケ原の戦いでは秀忠と共に東山道。途中、上田城に籠る真田家攻撃に手間取り、本戦に間に合わず。


時間が来たら、開封。生姜の千切りを入れて更に五分煮る。

康政と共に四天王の一人と言われる井伊直政とは険悪な仲。
井伊直政については、こちらへ↓

共に家康に見出され、小姓として仕えることから、ほぼ独力で重臣にまで成ったことは共通。しかし一回り程、年下の直政を目障りに思っていたようです。実は二人とも家康の念者。つまり衆道の相手?という話もあり、嫉妬?
この二人の仲を取りなしたのが、酒井忠次。↓

忠次に窘められ、更に直政の命がけの働きを見て、康政もその存在を認めるようになり、やがて二人は親友のように。
「大御所様の御心がわかるのは、自分と直政だけだ」とまで言うように。


榊原康政ば大根の辛味噌煮

旨味抜群の干物を煮た逸品。圧力鍋効果で大根と共に柔らかく、大根も皮ごと煮たのでタカジアスターゼも摂取。胃腸を整えてくれます。青魚は不飽和脂肪酸の宝庫。生姜は加圧後に煮たので、シャッキリ感が残る仕上がり。最初は甘味味噌味、後からじわじわと辛み。寒い日にも体を温めてくれます。

関ケ原後は老中になった榊原康政ですが、加増や転封の話はなし。館林城主としては街道の整備や利根川の堤防工事等にも尽力。
慶長十一年(1609)に館林城にて、病を得て死亡。
長男は母方の大須賀家を継ぎ、次男は夭折していたため。三男の康勝が相続。
それら家族と殉死者と共に、善導寺に眠っています。

小姓時代から家康と共に歩み、天下取りに大きく貢献した榊原康政の生涯を偲びつつ、榊原康政ば大根の辛味噌煮をご馳走様でした。

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