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ブイヤベー陶晴賢

トマトベースのスープで魚介等を煮込んだブイヤベースを土鍋で作りながら、一般的には逆臣と言われる人物を妄想した記録。


材料

玉葱    半分
魚介セット 1(海老2、蟹、アサリ4、鱈切り身4)
大蒜    1欠け
ジャガイモ 2個
人参    半分
トマト   2個
白ワイン  1カップ
オリーブ油 適量
塩     小匙1
胡椒    適量

戦国時代の前半、中国地方には二つの大勢力。出雲を本拠とする尼子氏、山口を本拠とする大内氏。
陶家は代々、大内家に仕える重臣。陶興房の次男に生まれた五郎が後の陶晴賢。
元服後、大内義隆に仕えるようになり、義隆から一字を頂き、陶隆房と名乗りました。
義隆と隆房、男色関係にありました。このこと自体は珍しいことではなく、武士にとっては衆道と言われた男色関係は嗜みでもあり、男女の性愛よりも深い関係とされていました。


ジャガイモ輪切り

大内家は百済の王族、琳聖太子を先祖に持つという伝承がある一族。陶家も珍しい一文字姓ということから推測すると主同様、朝鮮系?
室町幕府が衰微すると、大内家は勘合符を用いた日明貿易を実質的に取り仕切り、富裕となり、それを元に領国を大きく拡大。長門、周防、安芸、備後、九州北部まで影響下に置きました。
陶隆房は主に戦で大内家に貢献。特筆すべきは、尼子晴久が毛利家の吉田郡山城を攻めた時。大内家の援軍を率いて救援に来た隆房、尼子勢を撃退。出雲へ追い返しました。


玉葱細切り

この勝利に気をよくしたのか、大内義隆は出雲遠征を決定。
自ら大軍を率いて尼子の本拠、月山富田城を包囲。
しかし、堅固な月山富田城を攻めあぐね、味方だった吉川興経らの裏切りもあり、撤退。その最中に義隆は嫡男を失う。この散々な敗戦により、すっかりやる気を失った義隆は以後は戦にまったく興味を示さなくなり、隆房達、武断派を退け、相良武任らの文治派を重用。このことに隆房は危機感を募らせていきます。
戦国の世ですから、武を疎かにすれば忽ち、外敵につけこまれる。


人参を短冊切り。

義隆、その周囲にいる相良達との溝は深まるばかり。ついに隆房は非常手段に訴えることにしました。
謀反
安芸の有力国人に成長していた毛利家にもいざという時の助力を頼み、ついに挙兵。
義隆に不満を抱いていたのは隆房ばかりではなかったようで、義隆は追い詰められていき、津和野へ逃れて、姉が嫁いでいた吉見正頼を頼ろうとしましたが、暴風雨で身動きもままならず。天にも見放されたか。
長門の大寧寺にて自害。
「討つ人も討たれる人も諸共に如露亦如電、応作如是観」が辞世。


微塵切りにした大蒜をオリーブ油で炒める。

義隆の死後、謀反を主導した隆房は豊後の守護、大友義鎮の弟、晴英を山口に迎え、大内家の当主に就任してもらいました。これは晴英の母が義隆の姉だった縁から。
この時、晴英から偏諱を受けて陶隆房は陶晴賢に。
主を殺したことから逃れる改名?また出家して全疆という法号も名乗りました。


玉葱投入。更に炒める。透き通るまで。

主に据えられた晴英も大内家の家督相続後、大内義長と名乗りましたが、所詮は傀儡。実質的に大内家の政治を主導したのは陶晴賢。
義隆の文治政策への反動からか、晴賢は徹底した軍備強化を推進。それに反発する国人領主らも頻発。代表格が吉見正頼、そして毛利元就。


ジュースにしたトマト、人参とジャガイモ投入。

晴賢が吉見討伐に山陰に向かった隙をついて、元就は安芸国内の大内方の城を次々に落としていき、討伐に向かった大内軍も折敷畑の戦いで敗北。安芸一国は毛利家が掌握。
こうして歴史は毛利元就と陶晴賢の直接対決、厳島の戦いに向かっていく。


白ワインと海老と蟹投入。出汁がよう出る。

晴賢は腹心、江良房英が毛利家に通じていると知り、誅殺。
また、毛利家に潜り込ませている間者から、元就は厳島に城を築いたが、あれは間違いだった。あの城を陶に奪われたらえらいことになるとぼやいているとの情報を得る。
また、毛利家の重臣、桂元澄が陶が厳島に渡ったら、自分の軍勢が渡海しようとする元就を背後から襲うと告げて内通してきました。
元澄の父はかって毛利家に誅殺されていたので、その時の恨みを晴らしたいという口上。
これらの情報から、晴賢は毛利との決戦場を厳島に決定。二万の軍勢で島に渡り、毛利家が築いた宮尾城を攻撃。これが天文二十四年(1555)の厳島の戦いの始まり。


塩と残りの鱈やアサリを入れて、しっかりと煮ていく。蓋をして沸騰したら弱火で15分位。

ところが、陶が信じた情報、これらすべては元就が仕掛けた謀略。大軍を動員出来る晴賢と正面から平地で戦っても勝ち目がない。山がちで逃げ場がない狭い島で奇襲攻撃をかけるのが、元就が立てた作戦。
暴風雨が吹き、それに隠れるように密かに島に渡った毛利勢、山を登り、陶の本陣を背後から奇襲。
用意周到なことに、毛利家は瀬戸内海の海運を司っていた村上水軍も味方に付けて、島を包囲。陶方を閉じ込めて殲滅する作戦。


ブイヤベー陶晴賢

魚介の出汁がしっかりと出たトマトベースのスープ。というより、これはもう鍋物。何しろ土鍋で作ってますから。
ジャガイモもほくほくと煮え、人参も柔らかい。
貝のミネラル、海老のキチンキトサン、野菜からビタミンやベータカロチンと栄養たっぷり。

不意を衝かれた陶勢、海に逃げようと船の奪い合い。運よく海に出ても周囲には村上水軍。村上水軍も陶が実権を握るまで認められていた特権、駄別銭という海上交通の案内料を撤廃させられたことから恨みがあったので毛利に味方。
四千の毛利方が二万の陶勢に完勝。逃げ場がなくなった晴賢も山中で自害。
「何を惜しみ、何を恨みん元よりも、この有様の定まれる身に」
陶晴賢の辞世。

武人らしい真っ直ぐさがあったから、陶晴賢は毛利元就の曲がりくねったような謀略に付け入られてしまったのかもしれません。
かっては特別な関係であった主君、大内義隆を討ったのも、下剋上よりも大内家自体の存続を憂えたからかもしれません。
歴史は勝者が書くものであり、敗者となった陶晴賢の本当の所はもはや知りようもない。
そんなことを妄想しながら、ブイヤベー陶晴賢をご馳走様でした。

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