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佐々成政クラマスマリネ

サクラマスを買いました。鱒といえば、富山にます寿司なる駅弁があるとか。まだ食べたことはありません。しかしサクラマスからマス寿司を連想して、越中富山の領主となった戦国武将を妄想しながら料理した記録。


材料

サクラマス(刺身用) 130グラム
新玉葱        1個
春キャベツ      半分
人参         1/3
トマト        1個
塩麹         大匙4
酢          大匙2
オリーブ油      大匙2
胡椒         少々
蜂蜜         小匙半分
 
織田家には母衣衆という武士達。黒母衣、黄母衣、赤母衣等々、文字通り母衣という大きな吹き流しのような物を背に付けている一団。彼等は信長の親衛隊。
武勇に優れた精鋭で、本陣と前線の連絡役等を務めることが多かった。黒母衣衆の筆頭が佐々成政。
佐々家は近江の佐々木家から分かれたと言われ、成政の父が尾張に来たのが織田家との縁の始まり。


サクラマスを食べやすく細切り。

富山のマス寿司から話を始めていますが、実はこのサクラマスは佐渡島産。それにしても名前の通りに綺麗な桜色。

信長に忠誠を尽くすことになる佐々成政ですが、信長に仕える前には殺害を企てたと言われています。
比良城を治めていた佐々家ですが、城の近くの尼ケ池に大蛇が棲んでいるという噂。
その噂を聞きつけた信長が、それを見ようとやって来る。
成政はその機に乗じて、信長を池に突き落とすとか、船上で斬るという算段。


春キャベツざく切り。

ところが信長の行動は予想外。
周辺の住民達を総動員して、池の水を汲み出し始める。
人が大勢いたのでは、大っぴらに手を下すことも出来ない。水を汲み出しているのでは船に乗せる訳にもいかない。
ある程度、池の水が少なくなると、信長は自ら短剣を持って飛び込んで池の底まで潜ってしまう。信長は水練の達者でもあった。
やがて上がって来た信長は、池には大蛇などいない。迷信か見間違いに過ぎないと断言。これにて大蛇騒動は幕引き。


人参は細切り。キャベツと人参を茹でる。

この大蛇騒動、最初に噂を流したのは成政だったのではないかと妄想。つまり大蛇騒動で信長をおびき寄せて殺すつもりだった?
裏で糸を引いていたのは、佐々家が元々、仕えていた織田信安?
信安は岩倉城主で信長の家系、織田弾正忠家とは敵対関係。
それとも尾張守護の斯波家が復権を目論んだ?色んな妄想が出来る事件。
そんなこともありましたが、というよりもこの騒動での信長の非凡な振る舞いに感じ入ったのか、信長に仕えるようになると忠誠を尽くす。成政は三男でしたが、兄二人は稲生の戦い、桶狭間の戦いで相次いで討ち死に。成政が佐々家を継ぐ。黒母衣衆の筆頭に。
鉄砲にも習熟し、金ヶ崎や姉川等々、信長の戦で大きな活躍。
北陸攻略を任された柴田勝家の寄騎となり、越中富山へ。

くし切りのトマトを更に半分に切る。

信長の天下統一事業に挺身していたのですが、思わぬ所でそれが停止。
本能寺の変で信長が急死。
寄親であった柴田勝家は信長の後継者たらんとしている秀吉と対立。賤ケ岳の合戦へ。成政も秀吉と対決したものの、柴田勝家が敗れると止む無く和睦。成政は和睦の条件として信長の次男、信雄を主として立てることを主張。あくまでも自分の主は織田家であり、秀吉に従う気はない。
ところが、そんな約束は簡単に破られるのが戦国の常。
秀吉は信雄と対立。信雄は徳川家康と組んで小牧長久手の合戦へ。
成政もこの動きに乗っかる。北陸における無二の秀吉方である前田家の末森城を攻撃。
城を守っていた奥村助右ヱ門の奮戦、前田利家が大軍を率いて援軍。それらのために成政敗北。

新玉葱を細切り、5分程、水に晒す。辛みを抜くためです。

更に弱り目に祟り目。
織田信雄は秀吉と和睦。後ろ盾になっていた家康は戦う名目を失って領国へ引き上げる。
成政は単独では秀吉に対抗出来ない。何としても家康に反秀吉の盟主になってもらわねばという思いから、真冬の立山連峰を踏破するという暴挙とも言えそうな行動に出る。
立山連峰といえば、3000メートル級の山が連なる場所。当然ながら冬は深い雪に閉ざされる。
「矢玉が飛び交う訳でもない」と成政は、この山岳地帯を踏み越えて、家康の本拠、浜松へ抜けて説得に行く。
同行した家臣にも死者が出る。この踏破行は佐々成政のさらさら超えと言われます。雪に閉ざされる冬の北陸からは何の動きも出来まいと秀吉は考えているだろうから、その裏を突いた行動?


茹で上がった春キャベツと人参の水気を絞る。

「我々が手を組むことは、武田信玄と上杉謙信が手を組むに等しい」
という口説き文句で、成政は家康に食い下がる。
「貴殿は秀吉公の臣下であるが、我が主は秀吉公の同盟者である」
と家康の家臣に言われてしまう。
格が違うということ。
確かにこの時の成政は秀吉に反抗してはいても、名目上は秀吉の家臣。
返す言葉もない。
家康が駄目ならばと信雄や滝川一益にも面会して協力を求めるものの、誰も首を縦に振らず。
失意の中、富山に引き返すことに。
帰りの立山の寒さはより骨身に沁みたことでしょう。


トマトと調味料を投入。混ぜ合わせる。最後にサクラマスを加える。

やがて天正十三年(1585)八月、秀吉は10万の大軍を率いて、富山城を包囲。成す術なく味方もいない成政は降伏。
ほぼ全ての領地を没収。
秀吉の御伽衆となる、あれ程嫌った秀吉の話し相手として仕えることになったということ。更に羽柴の名字を与えられる。
秀吉にとっては懐柔のつまりだったでしょうが、成政自身はどう感じていたのか。


佐々成政クラマスマリネ

塩麹をメインの味付けに使ったマリネ。サクラマスとの相性もよし。
新玉葱と春キャベツという旬の食材はどちらも柔らかで、塩味や酸味がよく沁み込む。
赤、ピンク、緑、白と彩り鮮やかで目でも楽しめる。
タンパク質、ビタミン、リコピンと栄養も文句なし。

その後、成政は肥後の領主に抜擢されるものの、国人衆の一揆を抑えきれず、ついに切腹を命じられる。
信長という大きな主を失った後の佐々成政、生きる指針を失ったように迷走していたようにも感じられる。そんなことを妄想しながら、佐々成政クラマスマリネをご馳走様でした。

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