見出し画像

滝川一益ナップえんどう

花咲き、草萌え出る春。色鮮やかな春っぽい見た目の料理を作りながら、自分が与り知らない所で起こった事件により運命が大きく変わった戦国武将を妄想しながら料理した記録。


材料

スナップえんどう 1袋(約130グラム)
卵        2個
ツナ缶      1
塩        小匙1
胡椒       少々

ヘタと筋を取りながら考える。実はスナップえんどうとスナックえんどうの区別がつきません。違いがわかる人がいたら教えて欲しい位。取り合えず、どちらにしてもスで始まるということで、すで終わる人名。滝川一益を妄想。


スナップえんどうを塩小匙半分を入れて茹でる。目的は三つ。微かな塩味を付けるため、色を鮮やかにするため、後工程の炒め時間短縮のため。

甲賀出身の滝川一益。彼の名前は一般的に「かずます」と読まれますが、「いちます」ではないかという説もあります。
織田信長に仕える以前の経歴は不明。甲賀出身ということから忍者だったのではないかと言われることも。
いつ頃、織田家に仕官したかも不明。という風に織田信長配下で頭角を表す以前は曖昧模糊。信長に重用されたのは、当時まだ珍しい物だった鉄砲の扱いに習熟していたから。
松平家康(言うまでもなく後の徳川家康)と信長が清州同盟を結ぶ際には、その取次役。


スクランブルエッグを作る。半熟というより1/3熟位で取り出しておく。

伊勢攻略、一向一揆との戦い、三方ヶ原の合戦等々で活躍。
特に長篠の戦いでは鉄砲隊を率いて、武田家を破るのに大きく貢献。
石山本願寺を支援する毛利水軍との海戦では、九鬼嘉隆と共に鉄貼りの船を作って戦い、毛利家を打ち破る。と水陸共に戦で大活躍。

天正十年(1582)三月に甲州征伐が始まり、一益も従軍。
敵の総大将、武田勝頼を討ち取るという大金星。
戦後、武田家の領土は織田家と徳川家で分割され、一益には上野国と信濃の内二郡が与えられる。
信長政権では領土を与えられるということは、それ以上に働けという意味。
有能な者はとことん働かされる。領土はそのための原資として任されるということ。一益に与えられた上野は北条家との国境地帯。
一益は北条家との折衝役を任されたということ。
表向きは協力関係にある北条家ですが、いざ手切れとなったら先陣切って戦わねばならない立場。
一益自身は
「領土よりも茶器の方がよかった」と漏らしていたとか。
もはや戦うことに疲れを覚え始めていた?
茶や能に傾倒していた文化人の側面もあったので、そろそろ隠居してゆっくりしたかったのかも。


茹で上がったスナップえんどうとツナを炒め合わせる。

ここまで順調に来た滝川一益の人生。ここが頂点。つまり、後は転げ落ちるということ。
僅か三か月後に起こったのが本能寺の変。主の信長が急死。
この知らせを受けた一益、配下に入っていた関東の国人達に事実を告げ、人質としていた妻子を返すという思い切ったことを実行。
まだ関東の経営が軌道に乗っていない状態で、信長がいなくなったので、北条家が牙を剥いてくる恐れがあり、それに対抗するために敵味方をはっきりさせる目的?
「一益の首を取って北条方に付くもよし」と去就をそれぞれの裁量に任せました。
武士らしく正々堂々と真実を告げるという考えだったか。
この点は秀吉とは随分と違います。
信長横死の知らせを隠したまま、毛利家と和睦して急ぎ上方に戻った秀吉。
この知らせをオープンにして、諸将の動向を見ようとした一益。これにより信長の弔い合戦に遅れを取ることに。


塩小匙半分と卵を戻し入れる。

国が亡ぶ時には知恵の鏡も曇るというべきか、すぐに上方での本拠地である伊勢に戻らなかった一益に、やはり北条家は軍勢を向けてきました。
まだ織田家の支配がしっかりとしていない内に上野を奪い取るべしということ。戦国は弱肉強食。
この時期、旧武田領ではどこでもそんな混乱と戦。その渦中に残される形になってしまった不運もありました。
前述の国人達に本能寺の変を公表したのが6月10日。翌日には前橋の長昌寺で能興行。戦意鼓舞のためか?或いは今生の名残のつもりか?
寺の周囲は竹矢来で囲まれ、うっかり中に入ったら謀殺されるのではないかと疑心暗鬼に陥る武将もいたとか。既に人心が離れ初めていたか。
19日から神流川で三日間に及び、北条家と合戦。
北条方は5万、一益の戦力は1万8千。やはり北条方に走った者も多かった?
やはり敗北。一益は完全に関東から撤退。伊勢まで戻ったものの、既に秀吉が信長の後継者の地位を確立しつつあり、もはや出番はなし。

滝川一益の動画をどうぞ。↓


滝川一益ナップえんどう

緑、黄色、肌色と色彩鮮やかに仕上がりました。
スナップえんどうはシャッキリ、卵はふんわりという食感。味付けは塩のみのシンプルさですが、これで十分。
卵とツナでタンパク質、スナップえんどうにはビタミンCやB6、鉄分も含まれる。栄養も申し分なし。

その後、柴田勝家に味方して秀吉に対抗しようとしたが、それも失敗。もはや何をやっても昔日の輝きは取り戻せず。
最終的に秀吉に降り、秀吉と家康が対峙した小牧長久手の戦いにも参戦したものの、目立った活躍はなしどころか、城の攻略に失敗、伊勢に逃れるという失態とも言えそうな姿。

信長の下にいた時が花で、後は転落を辿った滝川一益の人生を妄想しながら、滝川一益ナップえんどうをご馳走様でした。

この記事が参加している募集

今日のおうちごはん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?