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百歳炒め定食

人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり。
織田信長が好んだという幸若舞、敦盛の一節。
この言葉が示すように、50年も生きれば恩の字とも言えた江戸時代、108歳という驚異的な長寿を生きたのが、南光坊天海。
家康、秀忠、家光と三代に渡り、徳川家に仕え、主に宗教関係について貢献。徳川将軍家の菩提寺の一つ、上野の東叡山寛永寺の建立、徳川家康の霊廟、日光東照宮の造営、江戸という都市の設計にも関与。
100歳以上という長寿、更に高齢になっても活躍した天海僧正への敬意を込めた料理の記録。


材料

白菜 半分
大豆ミート(粒状) 大匙 3
片栗粉 大匙 2
柚子胡椒 小匙 1
醤油  大匙 2
蜂蜜  大匙 1
胡麻油 大匙 1


大豆ミートを水で戻す。

その間に白菜をざく切りにしていく。

天海という人、実は素性がよくわかっていません。陸奥国に生まれたとされていますが、彼は自身の出自を殆ど語りませんでした。
蘆名氏や武田信玄に仕えた後、徳川家康に仕えるようになったと言われていますが、いつ頃からか?
関ケ原合戦を描いた絵図に、鎧を着た南光坊という人物が描き込まれているそうですが、これが天海だとすれば、少なくとも関ケ原の頃には家康のブレーンだったことになります。


中華鍋に白菜を入れて、胡麻油で炒めていく。

歴史好きな人の間では割と有名なことですが、素性がはっきりないということから、天海とは実は生きていた明智光秀だったという説があります。
日光に明智平という場所があります。命名者は天海。
眺望が開けた、その場所を明智平と名付けようと言い出した時、傍にいた者が言いました。
「智に明るいとは、いい名前ですな」
「なに、私の名前が明智だからだ」と答えた天海、呵々大笑。
当時からすでに、そういう噂があり、暗にそれを認めた?或いはそれを自分から笑い飛ばした?

明智光秀について、こちらもどうぞ。↓

明智平の他にも、天海が修行したであろう比叡山には、慶長二十年(1615)建立と刻まれた、願主光秀と刻まれた石灯篭があるとか。
この年は大坂夏の陣で豊臣家が滅びた年であり、当然ながら光秀とっくに死んでいる筈。
こうした幾つかの根拠から、前半生がよくわからない天海は光秀が変身した姿だと、信じている人はいますが、根拠が弱いとして笑い飛ばす人も。


戻した大豆ミート投入。


調味料を投入して炒めていくと、嵩がどんどん減っていく。

謎がある人物で100歳以上の長寿を誇った、政界の黒幕。こういう風に書くと、何やた妖怪めいた陰湿な感じがしてしまいますが、伝わってくる逸話からは、天海とは豪快でからっとした人物だった風に思われます。
家康から長寿の秘訣は?と問われた天海の答えですが。
「粗食、正直、毎日の入浴」
ここまではまあ普通。
「だらり、時折、ご下風あそばされかし」
だらりとは、睾丸が緩んだ状態。つまり金〇縮みあがるような緊張感は禁物ということ。
ご下風?何のことかというと、屁。
出す物は我慢せずにぶっ放せということ。


水溶き片栗粉を投入して、とろみを付ける。


百歳炒め

白菜が日本で栽培されるよになったのは日露戦争の頃なので、江戸時代には存在していません。それでも語呂合わせで作りました。
冬野菜の代表、白菜ですが、むくむ防止のカリウムも豊富。ビタミンCも含まれています。
百歳炒めに合わせる特別なご飯も用意。

クコ飯

研いだ白米二合にクコの実を大匙2混ぜて炊きました。レシピという程のこともなし。
クコの実は3000~4000年前から中国で薬品として使われてきました。滋養強壮や疲労回復に絶大な効果。
このご飯は天海が食べていたご飯の再現。


百歳炒め定食

百歳炒めにクコ飯、八丁味噌の味噌汁を合わせて定食としました。
とろみでくっ付いた大豆ミート付きの白菜、甘しょっぱい味ですが、その中に時折、柚子胡椒のぴりり感が見え隠れ。天海の後ろにちらちら見える明智光秀の影のよう。
クコの実は微かな甘みがあり、如何にも体によさそうな薬膳飯。この甘味飯がぴり感ある百歳炒めをしっかりと受け止める。
クコの実の赤い色素にはペタインが含まれ、疲労回復を促す。いいことずくめのご飯。

私自身は天海が明智光秀だったという説を信じているかというと、根拠が弱いと思っています。願主光秀の石灯篭にしても、その光秀が明智光秀とは限らない気がします。
明智平の命名にしても、本当に光秀だったら、そこまであからさまなことをするだろうかとも思えます。
ただ、もしかしたら明智光秀と何等かの接点があった?或いは近しい関係にあった可能性はあるかもしれないと考えています。
昔、テレビ番組で光秀と天海の筆跡鑑定をしたところ、別人だが、近親者ではないかという結論が出たことがありました。近親者だったとすれば、自分の名前の明智から明智平と名付けたということも頷ける。
天海と同じく、家光に仕えた乳母の春日局は光秀の重臣、斎藤利三の娘でした。もしかしたら、これも縁故採用?
妄想がどんどん広がる。
百歳炒めと共に妄想もクコ飯と一緒にご馳走様でした。

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