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けんちーん

根菜たっぷりなけんちん汁。ふと思い立って作りました。

材料

こんにゃく 1枚
油揚げ   1枚
人参    半分
塩     小匙 1
牛蒡    1本
昆布    5センチ
胡麻油   大匙 2
醤油    大匙 3

けんちん汁、元々は普茶料理だったと聞きます。
つまり禅寺で修行の一環として作られ、食されていた料理。特に鎌倉の建長寺で作られていたことから、建長汁からけんちん汁と呼ばれるようになり、建長寺で修行した僧侶達が全国に散っていき、それに伴って広がったといいます。
建長寺、開山は蘭渓道隆。宋から来た僧侶。彼を招いたのは鎌倉幕府五代執権、北条時頼。
ということで、北条時頼について妄想しながら料理開始。


一晩、水に漬けておいた昆布を沸かして出汁を取る。

時頼の母は松下禅尼。自ら質素倹約の範を示したという逸話。
障子の紙が破れていると、北条家の尼御台という高貴な身分でありながら自らの手で切り貼りをしたと伝えられています。


人参乱切り。

五代執権に就任した時頼、北条得宗家への権力集中を進めて、専制体制を確立することに尽力。どういうことかというと、つまり北条家、それも得宗家に逆らう者や逆らう恐れがある御家人達を排除していったということ。
一つの事例が宝治元年(1247)に起こった宝治合戦。
三浦一族とそれに与した御家人達が反北条氏の乱。鎌倉の町中で戦闘。
最終的には三浦一族達は源頼朝の墓所である持仏堂に籠って自害。
三浦一族に与した中には毛利季光。時頼の妻の父、つまり舅。


牛蒡をささがきにして、水にさらす。変色防止のためです。

妻の父親を自害に追い込んだということになります。
時頼と妻の間には、現代の視点から見ると、奇妙に思える伝説、或いは昔話というべき話があります。
時頼と妻が碁を打っている時、ただ碁をするだけでは面白くないから、賭けをしようと言い出す。負けた方が裸になるという賭け。
妻が劣勢になっていき、ついに敗北。服を脱がねばならないことに。しかし妻は日頃から阿弥陀如来を信仰していて、阿弥陀様が現れて、代わりに裸になったという。

夫婦だから、別に裸くらい見られても何も問題ないように思えます。当時は夫婦といえども裸は見せないものだったのか?
この話、あまり掘り下げると下ネタチックになりそうなので、この辺で止めておきます。


大根はイチョウ切り。

察しがいい人ならわかるかもしれませんが、毛利季光とは大江広元の息子であり、戦国時代、中国地方の覇者となり、江戸時代には周防、長門の大名となった毛利家の祖。季光の息子の一人が当時、越後にいて、宝治合戦とは無関係と見做されて不問。その子孫が後に安芸国に下向。近世大名、毛利家に繋がっていくということ。


油揚げを短冊に切る。この油揚げは特別。

黒大豆を原料としている油揚げ、色も味も濃い。スーパーで売っている油揚げは軽く、ふわふわしていますが、これは密度も濃く、どっしりとした味わい。この料理の特選素材と言うべき逸材。
写真を撮り忘れましたが、こんにゃくも同様に切る。

鎌倉という町、決して広い町とは言えませんが、宝治合戦以外にも多くの血生臭い事件の痕跡があちこちにあり、血が沁みついている町のように感じることがあります。
時頼の嫡男と定められていたのが北条時宗。兄がいたのですが、時宗は正室から生まれていることから早くから跡継ぎと定められていました。時頼は後々、執権となるべき時宗のために地ならしをしていたように思えます。邪魔になるかもしれない北条家以外の御家人だけではなく、時宗の庶兄、時輔ともあからさまな差を付けた扱い。


切り揃えた具材を胡麻油で炒める。全体に油が回るまで。

源氏将軍が三代で絶えた後、鎌倉幕府は摂関家から男子を迎えて将軍としていましたが、時頼はその慣例を改めて、宗尊親王を将軍として迎えました。親王を将軍として迎えることで、朝廷との繋がりを強化しようという意図か、或いは人質のような意味合い?


具材が浸る位に昆布出汁を注ぐ。

時頼、赤痢にかかりました。死に瀕した彼は出家。当時、死ぬ前に出家する武士は結構いました。そうすることで極楽往生を願った?
源頼朝も死の直前に出家。時頼の息子、時宗も同様にしています。
ところが時頼は死の淵から生還。出家したことから一応、引退したことにしましたが、実権はしっかりと握ったまま。最明寺という寺院に住んだことから、最明寺入道と呼ばれました。
因みに最明寺はもうなくなり、跡地は明月院という寺院になっていますが、時頼の墓は其処にあります。


圧力鍋に点火。

入道になってから、時頼は諸国を回って世情を見て回ったという伝説。水戸黄門みたいな話?
そうした回国伝説の一つを脚色したのが、鉢の木という謡曲。
下野国(栃木県)に佐野常世という御家人。彼は訴訟に敗れて、所領を失い、貧乏暮らし。其処に旅の僧。
ろくに食べる物もないが、せめてものもてなしとして、常世は大事にしていた鉢植えの木を焚き木にして囲炉裏へ。寒い夜の暖を僧侶に提供。
「今は貧乏暮らしだが、もし鎌倉に何かあったら、真っ先に駆けつける所存」と心意気を語りました。
後日、鎌倉から招集。常世も痩せ馬に跨り、古びた鎧を着込んで、槍を持って出陣。
鎌倉に着き、集まった御家人達の前に姿を見せたのは、いつぞやの僧侶。最明寺入道、時頼でした。
「言葉通り、鎌倉に参じた心根、天晴である」と褒めたたえ、時頼の鶴の一声で常世に所領が返還され、更に鉢の木に因んだ幾つかの荘園を新たに与えられたという話。


醤油と塩で味付けして、出来上がり。

時頼は跡を継ぐ我が子、時宗のために地ならしをしたと言えます。北条家の専制体制を確立して、命令が素早く行き渡る体制を整えた。そのお陰で、時宗が執権になった時には、彼の命令があまねく行き渡るようになり、元寇という未曽有の国難に対して、素早く挙国一致体制を取ることが出来たと言えます。


けんちん汁

私が使った物以外にも、里芋とか豆腐を具にしても美味しく仕上がります。
食物繊維豊富な根菜をたっぷり。黒豆油揚げもしっとりがっしりした味わいで、大豆のタンパク質を頂けます。昆布出汁がよく利いている。

現在の日本も国難というべき状況。更に問題なのは多くの日本人がそれをまともに考えようとしていない。
尊敬する吉野敏明先生は、今の中学生世代が壊れた日本を立て直さねばならなくなる、我々、今を生きる大人が出来ることは、そのための地ならしと仰っています。
よしりんこと吉野先生については、こちらをご覧下さい。↓

私のような無能が精々出来ることは、我らの先人達が辿ってきた歴史や偉人伝を語り、食と健康にも興味を持つ人が増えて欲しいと思いながら、駄文を綴ること位です。
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そんなさりげない宣伝をしながら、北条時頼が開基となった建長寺で作られたけんちん汁をご馳走様でした。

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