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よ瀬名べ

そろそろ鍋の季節と思っていると、魚屋で鱈のぶつ切り発見。これで寄せ鍋を作るかと購入。
ということで、寄せ鍋を作りながら、徳川家康の正室を妄想した記録。
と言いたい所ですが、まずは鍋に先立って、ポン酢を作ってみた。


材料

お好みの柑橘 私はスダチと柚子を使用。
醤油
味醂
これらを5:5:3の分量使用。

昆布 適量
鰹節 適量

徳川家康の最初の正室は一般的に築山殿、ドラマ等では瀬名と呼ばれることが多いのですが、実は彼女の実名は不明。
江戸時代中期の史料に「関口或いは瀬名と称する」と記されていることが典拠ですが、父親は関口親永で瀬名氏出身。つまり父親の苗字で呼ばれていることになる。


醤油と果汁に煮切った味醂を混ぜて、昆布とだしパックに入れた鰹節を漬け込む。2,3時間後位から結構いい味に。

三河の松平氏は清康、広忠と二代続けて家臣に殺されるという悲劇。
遺された幼少の竹千代は駿河の太守、今川家に身を寄せる。一般的に人質と言われるのですが、どうもそう呼ぶのは適切ではない気がする。
何故なら松平家は消滅したも同然。人質を取って従わせるべき当主はいない。竹千代を今川家に取り込んで、三河支配を円滑にという思惑だったのではないか。
そのために今川家との縁組相手として白羽の矢が立ったのが関口親永の娘。
前述の通り、実名はわかりませんが以後、便宜的に瀬名と称します。


寄せ鍋の材料

鱈のぶつ切り 半身分
昆布     7,8センチ四方
豆腐     2丁
葱      1本
白菜     1/4
人参     半分
しめじ    1房

関口親永の妻は義元の妹又は叔母と言われています。妹だったとしたら瀬名は義元の姪。姪を娶らせるとは竹千代にそれだけの器量があると見たということ。一門衆として働いてもらおうという期待。
竹千代は元服して松平元信と名乗る。
弘治三年(1557)元信と瀬名が結婚。永禄二年(1559)に長男、翌年には長女を出産と夫婦仲は良好。


昆布を水に漬けて一晩置いて出汁を取る。

夫婦に異変が起こったのは長女、亀姫誕生の年。
今川義元が桶狭間で織田信長に討たれる。この後、元康と改名していた夫は瀬名が待つ駿府には戻らず、三河の岡崎城に帰還。
しかも今川家を離れて、敵対していた信長と同盟。
娘婿が離反したことを咎められて、瀬名の父母は自害。それまでの生活が急転直下。


野菜を適度な長さに切り、シメジは石突を落としてほぐす。

夫の態度次第で瀬名も二人の子もいつ命を奪われるかわからない状態に。これこそ人質というべき状態。
幸いと言うべきか三河の今川方、上之郷城主の鵜殿長照の子らを捉えた松平家は今川家と交渉して、人質交換で瀬名達は岡崎へ迎えられる。
しかし城へ入ったのは子供達のみで、瀬名は城外の寺院に居住。そこが築山という場所だったことから以後は築山殿と呼ばれる。
今川家の血を引く妻を城に迎えることは、家臣達や信長が快く思わないと夫は忖度か。
信長と同盟して義元から貰った「元」の字を捨てて家康と名を改めた夫は長男に信康と名乗らせ、信長の娘と婚姻させる。完全に信長方だと示した。

野菜、豆腐、鱈を鍋に入れて蓋して煮る。土鍋の穴から蒸気が上がるまで。

元は今川領だった遠江に進出した徳川家康は浜松城を築いて移る。信康に岡崎城を任せる。その時になってようやく瀬名は城へ迎えられる。
天正三年(1575)信康の家臣、大賀弥四郎が敵対している武田家と内通したとして処刑される事件。
瀬名もこの事件に関与していたとも言われていますが、彼女自身にはお咎めなし。
天正七年(1579)今度は決定的なことが起こる。
信康の妻、五徳が父親の信長に送った書状に、信康が武田と通じていることや、瀬名が唐人医師、滅敬と密通している等の12箇条からなる訴え。
安土城で信長に謁見した酒井忠次は、これらのことを詰問されても申し開き出来ず。
「家康の思うようにすればよい」というのが信長が申し渡した言葉。


よ瀬名べ

信長の言葉は謎かけ?
つまり家康がどうするかを試した?
放置すれば、家康自身も武田に通じる意志ありと見做されるかもしれない。信長の心情をそう忖度して、家康は妻子の処断という結論を下したのではないか。
長篠での敗戦以来、凋落を続ける武田家と旭日の勢いの信長。どちらに付くべきか考え、信長の意を慮った結果が妻の殺害と長男の切腹。
天正七年(1579)八月二十九日に瀬名は斬首。首は信長の元に送られた。
九月十五日に信康は切腹。


ポン酢と共に頂きたいのが柚子胡椒。

テレビという物体を所有していないので物理的に視聴は不可能ですが、今年の大河ドラマ「どうする家康」で描かれた、一連の築山殿騒動が物議を醸したとか?
ネットの反応やニュースサイトなどからは「有り得ない」「ファンタジーが過ぎる」とか。
瀬名が慈愛の国を作ることを目指して、武田と内通したということらしい?
ドラマを観ていないので、あまり大それたことは言えませんが、ドラマは元々ファンタジーだろというのが私の意見。
そういう解釈があってもいいと思うし、本当に戦国の世を終わらせて互いを尊重して共に繁栄したいと考える人もいたかもしれない。
まして女ならば、余計にそう考えてもおかしくない。


柚子胡椒を溶いたポン酢で頂く。

昆布に加えて鱈からもいい出汁。
野菜たっぷり、ビタミンや食物繊維もたっぷり。
豆腐と鱈でタンパク質補給。
シメジはカリウム豊富なので、老廃物排出を助けてくれる。
柚子胡椒が効いた柑橘系の酸味あるポン酢が淡白な具にしっかりと味わいを加えてくれる。

大河ドラマだから、史実を押さえなければならないと考える視聴者の方々は前提から間違っている。そもそも大河ドラマ自体が史実を無視しています。
戦国時代を描いても、イエズス会とスペイン、ポルトガルのどす黒い陰謀は出てこないし、日本人、特に女が硝石を得るための輸出品とされていたことも、ほぼ描かれない。私が知っている限り、日本人が奴隷として売買されていたことに触れた大河ドラマは「武蔵」だけです。
幕末モノでもフリーメイソンの日本侵略や明治天皇すり替えという史実を無視している。

話が逸れました。
後に天下人となった徳川家康を美化するために、瀬名こと築山殿は必要以上に悪く言われていることが多かったのではないか。
戦いのために家族が引き裂かれ、父母も死に追いやられた女性が戦いのない国を作りたいと考えて描写したとすれば、今年の大河ドラマは一石を投じた?
戦いや殺し合いは嫌だと思う人は少なくない筈。しかし、戦いで天下を取った家康にとっては、そうした女性が正室だったというのはあまり都合がよろしくないので従来、必要以上に悪く言われてきた?
謎多き瀬名こと築山殿、というか実名はわからない徳川家康の正室を妄想しながら、よ瀬名べをご馳走様でした。

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