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風天の寅

フリッター、衣が膨らんだ天ぷら。
風船のように膨らむ様子は、無理に日本語に訳すと風船天婦羅と言うべきか。
略して風天。
それを俳号としていた人物を妄想しながら料理した記録。


材料

烏賊   2杯
オクラ  6本
パプリカ 半分
ゴーヤ  1本
塩    適量
米粉   100グラム
片栗粉  25グラム
重曹   小匙1
ビール  100㎖

昭和三年(1928)東京市下谷区に生まれた田所康雄が後の俳優、渥美清。
子供の頃から病弱で、髄膜炎や関節炎、膀胱カタル等の病気を患っていた。
不良グループのリーダーだったことから、補導されたことがあり、その時に警察官が
「おまえの顔は一度見たら、忘れられない。そういう奴は役者になれ」
と言われたとか。それが俳優を志したきっかけ。
警察官にしてみれば、特徴ある顔だから悪さをしてもすぐ捕まるから、真面目になれという意味で言ったのではないか。
その言葉を真に受けたのか、旅回りの演劇一座に入り、やがて浅草のストリップ小屋の専属コメディアンになる。


オクラのヘタを取り、塩を塗してまな板の上で転がす。板摺りと呼ばれる作業。産毛を取るため。

昭和二十九年(1954)に肺結核に罹患。右肺を全摘出。二年間の療養を余儀なくされる。復帰後は酒や煙草、コーヒーも一切、嗜まないと節制に努める。この大きな挫折の後、黎明期のテレビに進出。特にNHKで放送されたバラエティー番組「夢で逢いましょう」に出演したことから全国区の人気を得る。正に警察官が言った通りになった。
昭和四十三年(1968)フジテレビで放送されたドラマ「男はつらいよ」に出演。半年間放送されたドラマの最終回、主役の車寅次郎は沖縄でハブに噛まれて死亡。このラストに憤慨した視聴者から抗議の電話が殺到。
罪滅ぼしという意味合いで松竹で映画化。
これがその後、全50作にも及び、最長の映画シリーズとしてギネスブックにも認定される「男はつらいよ」誕生の経緯。

柴又駅前の銅像。


米粉、片栗粉、重曹、ビールを混ぜ合わせて衣を作る。

私もこのシリーズ、48作目までは鑑賞しました。最後の2作は渥美死後の作品で、それまでの映像の切り貼りだろうと思うと見る気が起きず、未見。
それはともかく、この映画の主人公、車寅次郎を演じたことで渥美清は正に不動の地位を得る。
ただ田所康雄、渥美清、そして車寅次郎は決してすべてイコールの存在ではありませんでした。
長男の食器や箸の扱いが気に入らないとひどい暴行を加えることがあったとか。
「男はつらいよ」のウリでもあった地方ロケ。その後で行われた地元の協力者との宴会にも殆ど参加することがなかった。
これらの逸話から、人情味あり人懐っこい車寅次郎とは違う姿が見えます。


衣を潜らせた野菜や烏賊を揚げていく。正に風船のように膨らむ。

公私混同を極端に嫌い、仕事関係者にも自宅住所等は明かさず。私生活のことも一切話さなかったので独身と思われることもあった。
自身の姿が見えて、寅さんのイメージが壊れてしまうことを危惧していたということ。本当に車寅次郎を演じ切ったと言える。
付き人が
「寅さん以外の役をやりたいとは思わないのですか」と訊ねると
「いいか、地方に行けばまだまだ寅さんファンは多いんだ。それに映画は大勢の人間が関わっている。俺一人の我がままで止めることは出来ない」との返答。
自分の役割を知り、それを貫いたということ。
実際に本人が言う通り、渥美清と寅さんは切っても切れない関係のように一体化してしまい、私も彼が寅次郎以外の役を演じていると違和感を覚えることがありました。
「幸せの黄色いハンカチ」で警察官を演じても、「八つ墓村」で金田一耕助を演じても、何で寅さんがコスプレしてんの?と見えてしまう。


揚がったら油を切る。

好きだから、強くぶつけた雪合戦

風天の俳号を持つ渥美の代表作と言うべき俳句ですが、放浪の俳人、尾崎放哉を演じたいという希望からドラマ製作されることに。ただ局側の希望から種田山頭火に変更されたのですが、クランクイン直前になって降番を申し入れる。
これは「寅さん」が坊主頭の山頭火になっては観客がどう思うかを慮ったからだとか。

また、田所康雄としては孤独を好む性格だったのか、原宿に自分専用のマンションを借りて、そこに籠っていることが多かったといいます。
「御自身の死についてどう思いますか」と雑誌のインタビューで問われると、
「きっと板橋の職安裏のドブに頭を突っ込んで死んでいるよ」と答えた。
人間は突き詰めれば孤独。生まれる時も死ぬ時も一人だということを達観していたことが窺われる。


風天の寅

衣がふっくらと膨らみ、歯応えもよし。衣に味はないのでケチャップを付けて食べました。塩胡椒もいいかもしれない。
天婦羅のタネは烏賊以外は冷蔵庫に入っている野菜を使用。お好みで他の物を使うのもよし。最初に揚げたパプリカは特によく衣が膨らんだ。
時間が経つと野菜の水分が加わり、炭酸も抜けてくるので膨らみ力が弱まるので素早く揚げるがよし。
ということで最後の方に揚げたゴーヤは膨らみがイマイチ。
それでもゴーヤからは食物繊維やカリウムが頂ける。イカのタウリン、オクラのβカロテンや水溶性食物繊維のペクチンと栄養も申し分なし。

病弱なのは生涯変わらず、肝臓癌を発症。それが片方しか残っていない肺に転移。これが決定的に命を縮めることになる。
「男はつらいよ」48作目を撮り終えたのは奇跡に近いと医者も言った。
仕事に私生活を持ち込まない方針は最後まで徹底。
「世間様には骨にしてから公表しろ。何か聞かれる時にはお前が代表で対応しろ」と長男に遺言。
その通りに「田所康雄」として親族のみで葬儀。
荼毘に付された後に、山田洋二監督や松竹関係者に知らされる。
享年は68歳。
世間に望まれる姿を悟り、それを演じきった役者、渥美清を妄想しながら、風天の寅をご馳走様でした。

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