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松平信綱ガーリックポテト

あなたに甥がいたとして、
「おじさんの苗字の方が出世に有利だから養子にして下さい」と頼まれたら、どうしますか。
江戸時代、少年の頃にそんな頼み事をした人物を妄想しながら料理した記録。


材料

ジャガイモ 4個
ツナ缶   1
大蒜    1欠け
塩  大匙 1
黒胡椒   適量
黒摺り胡麻 大匙1
オリーブ油 適量

慶長元年(1596)に生まれた大河内三十郎、叔父の松平正綱に、前述の願い事。それが認められて、念願の松平姓に。何しろ松平と言えば、徳川家の親戚筋。注目度が違う。そんな知恵が子供の頃から回った人物、元服後の名乗りは松平伊豆守信綱。
受領名の伊豆から、知恵伊豆(知恵出ず)と綽名されるように。


ジャガイモは拍子木形に切り、五分、水に晒す。澱粉を抜くため。理由は澱粉でくっつきやすくなるから。

二代将軍秀忠に長男、竹千代が誕生すると、小姓として仕える。
竹千代、後の三代将軍家光は生まれながらの将軍として結構、我がまま。
秀忠の寝殿の軒に雀が巣を作ったのを見て、取って参れと命令。それを受けて、信綱は秀忠の寝殿へ。運悪く見つかると、
「自分が雀の巣が欲しかっただけです」の一点張り。
無断で将軍の寝所に近づいたとなれば、よからぬことでも考えていたのではないかとして、殺される恐れもあるのに、彼は決して家光から頼まれたとは白状せず。
薄々事情を察した秀忠や正室の江も、信綱は忠義者でいずれは三代将軍のよき忠臣となるだろうと期待。


大蒜を微塵切り

叔父の養子になり、松平になったとはいえ、叔父から分家したような形となり、信綱は正に一からのスタート。
最初に城主となったのは武蔵国忍。忍城の動画をどうぞ。↓

忍城主だった頃に起こったのが島原の乱。それについては、こちらもどうぞ。↓

鎮圧に向かった九州の諸藩や幕府軍の指揮を取ったのは板倉重昌でしたが、そこへ信綱が駆けつける。このことから、鎮圧出来ない自分が非難、最悪の時には罷免されるのではと焦ったか、板倉は攻撃を激化。ついに自分が討ち死に。信綱が引き継いで指揮。
オランダ船に砲撃を依頼。城に籠った一揆勢にもこれは予想外だったでしょう。海から、それも外国船が砲撃してくるとは。知恵伊豆の本領発揮か。


大蒜をオリーブ油で炒める。香が立つまで。

兵糧攻めに持ち込み、見事に信綱は島原の乱を鎮圧。
その功績から、寛永十六年(1639)にそれまでよりも三万石加増の六万石で川越城主に栄転。
川越の動画もあります。↓ こちらは何と私の歌声付き。

その後も玉川上水の整備や鎖国体制の確立等に尽力。川越城下の整備も進めました。慶安の変の鎮圧にも一役。


水を切ったジャガイモ投入。

知恵を出し、様々な形で家光や徳川幕府に貢献してきた松平信綱ですが、あまり人気はなかったようで、才はありとも徳がなしと言われることも。
それを物語る逸話。
家光と側近達、江戸市中に出た時、堀に鴨がいるのを見て、あれを仕留めて鴨鍋にしようと思いつく。しかし矢も鉄砲もない。石をぶつけようと誰かが言い出すものの、町中なので適当な石もなし。
目の前に魚屋。それを見た信綱が知恵。
「蛤をぶつけよう」
妙案とばかりに、皆、魚屋に入って行き、売り物の蛤を掴んで鴨に投げる。
見事に鴨を仕留めて、家光もご満悦。
魚屋にしてみれば、たまったもんじゃありません。しかし将軍様では文句も言えず。
そのまま家光達は立ち去るが、一人残った男。
「亭主、蛤の代金は幾らだ」
残念ながら、これを言ったのは信綱ではなく阿部忠秋。


ツナを汁ごと投入。

鴨鍋で盛り上がっていた家光、小姓の一人に
「その窓から飛び降りろ」と命令。
二階とか三階に居たらしく、飛び降りればよくて大怪我、死ぬことも。
小姓は戸惑う。我がまま家光は苛立ち。
一人、立ち上がった人物。何やら持って来て小姓に渡す。
「これを持って飛び降りろ」
傘でした。パラシュート?
これで一同、大笑い。家光ももうよいとわがままを引っ込める。
これもまた阿部忠秋の言動。


塩とブラックペッパー、黒摺り胡麻投入。摺り胡麻なのは、余分な水分を吸ってもらうため。

松平信綱と阿部忠秋、対比される逸話が幾つか。もう一つ紹介。
ある寺に移転を命じる使者として、この二人が選ばれました。
「お上の命令なので、寺を移転して欲しい」と信綱。
「何で私どもが移転せねばなりませぬ。どのような罰を受けようとも、それは承服致しかねる」と住職。
幕府の命令と言うばかりの信綱への反発か、住職も意固地になる。
それまで黙っていた忠秋、口を開く。
「御坊、今、どんな罰を受けようともと言ったな。それならば、罰として移転を命じる」
意表を突かれたと言うべきか、住職は移転を承諾。
信綱に知恵があれば、忠秋は頓智があった。


程よく水分も飛べば完成。

松平信綱の知恵はあくまでも主君、家光や幕府のために使われていたというべきか。それ故か、信綱、柳生宗矩、春日局の三人は家光を支える鼎の脚と評されました。鼎とは中国の古い道具で三本脚で支えられる容器。
当時、主君が亡くなると殉死する武士がいました。家光が亡くなったら、当然、信綱もそうするかと思いきや、それはせず。そのため、江戸の庶民からは揶揄や皮肉が囁かれる。しかし、これは家光の遺言で、跡継ぎの家綱を支えて欲しいと頼まれたから。自分が何と言われようとも、主君の遺言を守ろうという覚悟。


松平信綱ガーリックポテト

彩りにパセリを散らしてみました。
高タンパク、そして不飽和脂肪酸を含むツナ、大蒜の強壮成分アリシン、ジャガイモの炭水化物でお腹一杯。
汁ごと加えたツナが海からの旨味を感じさせてくれます。

自らの知恵はあくまでも主君のために使う。そうすることで世の中のためになると信綱は考えていたと思います。そのために家光には忠義でも、他の者にはそこまでの配慮は出来なかったというべきか。
それでも自分が信じた忠義や道を貫いた松平伊豆守信綱を思いながら、松平信綱ガーリックポテトをご馳走様でした。

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