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うまき、平賀源内

土用の丑の日。夏のこの時期、鰻を食べるのはもはや風物詩ですが、この習慣、そんなに古い歴史はなし。一人の天才が言い出したことから江戸時代から始まったこと。
鰻受難のきっかけを作った人物を妄想しながら、鰻を頂いた記録。


材料

鰻蒲焼  1尾
鰻のタレ 2/3
山椒   1袋
酒    大匙2

串打ち3年、裂き8年、焼き一生と言われる鰻の調理。とても素人が出来ることではなし。ということで既に焼かれている鰻を購入。これを美味しく温める方法をやっていきます。

江戸時代、鰻屋の主人が嘆いていました。夏場になると脂っこい鰻の売り上げが落ちる。何とかならないものか。そこで一肌脱いだのが平賀源内。
「土用の丑の日には鰻を食べると夏負けしない」という現代風に言うなら、キャッチコピーを作って、店に掲げさせた所、これが大ヒット。以来、夏場の今頃は鰻という習慣が定着。
土用の丑の日には「う」の字が付く物を食べると縁起がいいという迷信があったそうで、それにうまく乗っかったということ。
鰻ではなく「うどん」でも「梅干し」とか「ウド」や「牛」でもよかった?
平賀源内が鰻と特定したために、鰻受難の季節となりましたとさ。


いい大きさに切って、酒を振りかけ、香ばしい匂いがしたら、タレをかけて更に温める。

享保十三年(1728)に讃岐国(香川県)の高松藩の足軽、白石家の三男として生まれた源内。家督相続後に先祖の苗字である平賀に改める。
幼少の頃から賢かったようで、天神様の頬の色がお神酒を供えると赤く変わるという細工を施した「お神酒天神」という掛け軸を製作。
これが評判となり、13歳より藩医の元で本草学を学び、儒学、更には俳諧の会にも参加と早熟な天才ぶり。


電子レンジを使うよりも香ばしく、ふっくらと温まる。

家督相続したものの、学問への情熱冷めやらず、その優秀さもあって長崎、京都、大坂、江戸へと遊学。医学、オランダ語、西洋絵画技法、漢学といった学問ばかりではなく、鉱山や精錬の技術まで習得。どれだけ色んなことに精通してるのかという具合。
藩とか封建社会の枠組みに収まり切れない人物だったようで、ついに妹に婿養子を取らせて家督を譲り、自分は自由な身に。
鉱山開発とか物産展みたいなことを行い、もはや武士とはいえない活躍。
老中の田沼意次、蘭方医の杉田玄白らの知遇を得る。
もはや士分としているのは無理と藩から判断されたか、或いは自ら望んだのか、奉公構えということに。つまり高松藩に再雇用されることもなく、他の大名家に仕えることも出来ずという処分。


ご飯に乗せて、山椒をかけて頂く。

やはり職人が焼いた鰻、よい具合に焼き上がり、弾力、味共に申し分なし。温め方も良かったようで、ふっくら香ばしい、焼き上がりに近い状態を再現。

武士として禄を貰って生きていくことが出来なくなった源内は以後、彼方此方で物産展をやったり、鉱山開発、浄瑠璃の脚本を書いたりと様々な活動。
いわば自由人となる。ただ、やはり封建社会の枠組みから外れたアウトサイダーということで生活に窮したこともあったようで、貧家銭内(ひんかぜにない)という自虐的な名前を名乗ったことも。

さて、ただ鰻を温めただけでは芸がないということで、購入した蒲焼きの一部を使って料理。


材料

鰻蒲焼き  1/4尾
大葉    2枚
卵     2個
豆乳    適量
鰻のタレ  1/3袋

平賀源内の発明として、多くの人がイメージするのはエレキテルかと思います。名前は知っていても何に使うのか?どういう物なのかは知らない人が多いかと思います。私もそうでした。
そもそも、これは源内の発明ではなく壊れていた物を修理したということらしいです。

用途は医療器具。電気のビリビリが健康にいいと思われていた?
他の発明としては、石綿を発見した源内はそれを混ぜた布を作り、燃えない衣を製作。これって「竹取物語」に登場する火鼠の皮衣みたいな物ということで売り出そうとしたのか?
ただ量産する技術がなく、これで一山あてるとはいかず。

茎を落とした大葉と鰻を半分に切る。

他にも万歩計や竹とんぼを発明。西洋婦人の絵を描いたこともあり、江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチと称されることもあります。


溶き卵に鰻のタレを混ぜる。タレの味が濃いのを和らげ、卵を柔らかくするために豆乳を加える。

婦人の絵を描いたとはいうものの、実は源内は男色家。
これも家督を妹婿に譲った一因でしょう。女に興味ないのでは子孫は残せず。家を繋げないというのも封建社会の枠から外れる行為。LGBTとか言われる前に時代を先取りか。


溶き卵を焼いて、大葉と鰻を乗せて、巻く。

安永八年(1779) 大名屋敷の修理を依頼された源内は自宅で大工の棟梁ら二人と酒盛り。酔った挙句、修理計画書を大工に盗まれたということから、大工を殺害。大名屋敷の設計や間取りが外に漏れると一大事。軍事機密が漏れるに等しい。信用問題ということから、下手人と思われた大工達に手をかけた。
ところが、これが勘違い。理由なく大工を殺した罪で投獄。


巻いて、巻いて。

獄に繋がれてほぼ一か月後に破傷風で死亡。享年は52歳。
幕府から許可が出ず、墓碑も遺体もなしで葬儀。取り仕切ったのは友人だった杉田玄白。医学書「ターヘルアナトミア」を和訳した「解体新書」で名高い人。


切る切る。

くさいな。
どうも投獄から死の経緯が不自然。
源内のような頭のいい人が軽はずみに酔って殺人などするだろうか?
嵌められた?
この国では昔も今も人と違うことをする人、枠から外れる人は排除される傾向がある。出る杭は打たれるということ。
封建社会の枠をはみ出す源内は何かと目障りに思われた?
或いは田沼意次と近い存在だったので、後に失脚させられる田沼はそれまでの重農主義的な幕政を重商主義への転換を図ろうとしていました。それを好まない勢力が田沼への牽制として、まずは源内を投獄して、破傷風ということにして始末?
現代でも時々、留置所などで容疑者が首を吊ったとかいう報道がありますが、もしかしたら秘密裡に始末されているのではないかと思うことがあります。


うまき、平賀源内

鰻を巻き込んだ卵焼き、う巻きです。
鰻と卵からWで良質なタンパク質。更に鰻には各種ビタミン、血液サラサラや認知症予防にも期待出来るオメガ3脂肪酸も含まれる。
豆乳でいい感じに柔らかく、大葉が脂っこさを中和して爽やかな風味を加える。

平賀源内は死んだことにされて実際は田沼または出身である高松藩主、松平家の庇護の元で天寿を全うしたという異説もあります。
名前はよく知られているようでも、実像はあまり知られていないように思われる平賀源内を妄想しながら、うまき、平賀源内をご馳走様でした。

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