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ミスチル最大のラブソングは一体なにか?に答えを出す話

Mr.Childrenことミスチルの楽曲のなかで、どの曲が最大のラブソングなのかということは、過去数十年間さまざまな場所で我々ミスチルファン達によって議論されてきたものとおもいます。
しかし、今回は大変勝手ながらその議論に、一旦終止符を打たせていただこうとこのnoteを書いています。2019年もそろそろ終わり。来年は2020年のオリンピックイヤーということもありますので、ここいらで決着をつけるべきだと考えたためです。もったいぶるつもりはありません。即紹介させてください。

 ※当たり前ですが、私見です。異論反論認めますので、ぜひ「この曲だろ」みたいなのがあったらコメント残してもらえたら嬉しいです。

ミスチル最大のラブソング、すなわちそれは「少年」である

ミスチルのラブソングは数多く存在します。純粋なものから浮ついたものなど、名前を挙げれば両の手に収まることはありません。初期の「抱きしめたい」に始まり、中期のドストレートな「君が好き」、直近の「here comes my love」など、挙げようと思えばどんどん挙げられるほど、ミスチルはラブソングを奏でてきました。
しかし、そんな数多いラブソング達の中で、僕はあえて「少年」が最大のラブソングだと言い切ります。なぜそう言い切るのか? そのことを以下に説明していきたいと思います。

「少年」は、ミスチル十五枚目のオリジナルアルバムで、2008年12月、まさに11年前のいまぐらいに発売された『SUPERMARKET FANTASY』に収録されています。このアルバムは、いまでもカラオケのランキングで常に上位に食い込む「HANABI」を始め、「旅立ちの唄」や「GIFT」など、ミスチルファンでなくとも聞き覚えのある楽曲が収録されています。当時高校生だった僕が凄まじい衝撃を受けた映画『私は貝になりたい』のテーマソング、「花の匂い」なんかもこのアルバムに入っていますね。

そんな中で、「少年」です。一聴するとストレートな表現はないため、ラブソングと捉えられることは少ないのではないかと思います。では、なぜそんな「少年
」をミスチル最大のラブソングと考えるのか。
それは、この楽曲に潜んだ"いじらしさ"と"イノセンス"にあります。

「少年」がラブソングたる、ミスチルの愛の表現とは-前半-

ミスチルが「少年」に込めた(と僕が勝手に考える)、ラブソングたる表現について歌詞を用いながら考察したいと思います。
まず、楽曲冒頭から。

足音を忍ばせ 君の扉の前に立ち
中から漏れる声に耳を澄ましたら
驚かさないようにそっとノックをしなくちゃな

ここで、主人公と想いを寄せる相手(仮に、Aさんとします)との距離感が見えてきませんか? 少なくとも恋愛関係にあるわけではなく、主人公が焦がれているという状況です。主人公とAさんは非常に近しい関係にいる。そうでありながら、Aさんは主人公の想いには気がついていません。
なぜなら、「驚かさないようにそっとノック」すると言っているから。

ねぇそこにいるんだろう?
もう入ってもいいかなぁ?
君のその内側へと 僕は手を伸ばしているよ

踏み込んでよいのか、核心をついてよいものか、「君のその内側」が主人公である「僕」と同じような感情を抱いてくれているのか。そっとノックをするようにAさんに確かめたい、それでも踏み込めずにいる主人公のじれったさが描かれているように思うんです。
恋愛の形なんて様々だし、体の関係から始まろうがとやかく言うことはありません。が、この焦がれる感情ってすごく純愛で、擦れた現代ではともすれば忘れてしまいがちな駆け引きだったりするんだよな、と思うわけです。この部分はもっと掘り下げたい… でも続きます。
このあとのサビでは、主人公がAさんに対する愛の感情をより正直に吐露し始めます。

日焼けしたみたいに心に焼き付いて 君の姿をした跡になった
ひまわりが枯れたって 熱りがとれなくて まだ消えずにいるよ

夏の暑い日、日焼けした時のことを思い出してみてください。太陽に当たった部分だけが、ヒリヒリと痛んで、太陽光に当たっていたことをしっかりと記憶している。
そんな日焼けした跡みたいに、目の前にAさんがいなくても、ふとした折にAさんのことを繰り返し考えてしまう、そんな感情がここには書かれていると思うんです。
街を歩いていても、電車に乗っていても、これと言ったきっかけはなくとも、ヒリヒリとフラッシュバックする。熱病に浮かされているといえばそうかもしれませんが、何していたって頭に浮かんでくるAさんのことを想って一人もがいているのです。
この状況、ものすごく愛だと思いませんか? 郷ひろみが『会えない時間が 愛育てるのさ』と歌ったように、日焼けした跡のように焼き付いたAさんを一人思い出し、さらにらその想いを強くしていくんです。いいよなあ、そういうの。
いじらしくて、イノセンスに溢れている「少年」を、まさに象徴する部分じゃないでしょうか。

「少年」がラブソングたる、ミスチルの愛の表現とは-後半-

前半だけでも、「少年」がミスチル最大のラブソングたる理由がいくつも隠されているわけですが、後半もやばいです。どんどん出てきます。というか、全部の歌詞がそうなんですよね。

余談ですが、ミスチルの楽曲ってものすごく奥が深くて。歌詞の通り読めるものって、ほとんどないんじゃないかと思うぐらいです。独特の婉曲表現というか、視点をずらさせるというか、なんてことのない一文に強いメッセージが込められているものが多いですよね。
ミスチルファンの中では有名ですが、たとえば「Any」のなかの『また十二色の心で 好きな背景を書き足していく』みたいなやつ。十二色の心は1オクターブ分の鍵盤の数を表していて、好きな背景=音色を人生に奏でていくというもの。ほんとかどうかは本人のみぞ知るわけですが、なんと綺麗な表現なんだろうか。

もはやミスチルの音楽ってアートなんですよね。換喩よりも隠喩が近いんだけど、「あ、そこでこの言葉を選択するんだ」と思うものって結構多くて。「血の管」のコンドームの話とか、妙に生々しさが薄れて、愛を語る言葉に変わっていく。そのチョイスがすごいなと思っていて、僕が尊敬する作家は? と聞かれると必ず櫻井さんを最初にあげるのはそういう意味もある。現代アートみたいなんだよな。

趣旨がズレてきたので戻しましょう。二番の頭から。

できるだけリアルに君を描写したいと思う
そのための時間を僕にくれないかなぁ?
どんな名画よりも美しく描くから
じっとしてなくてもいいんだよ
笑ってなくてもいいんだよ
ただ君のまんまでこっちを向いてておくれよ

この部分、「少年」がミスチルのラブソングたる最大の理由だと考えます。
当たり前ですが、主人公がそれこそアーティストだというわけではなくて。単純に、自分の好きな人を全て受け止めたいという想いだとおもうんです。じっとしていなくても、笑っていなくても、自分が見たいように見ているAさんではなくて、「ありのままの君を受け止めるから、無理しなくてもいいから、そのままそばにいてよ」っていう主人公のいじらしさなんです。
この部分に至るたびに、僕は自分の浅はかさというか、汚さみたいなものにいつも直面させられて。見たいように見てしまう自分に気がつかされ、ありのままを受け止めないとダメだよなと襟を正しています。
ミスチルの音楽が好きなのはそういうところ。ふとした歌詞から、自分の生き方を見直せるんです。人のことは変えられないけど人は変えられるというのはこういうことで、琴線に触れる言葉があれば内省することができるんだよな。

「幸せ」はいつだって 抱きしめたとたんにピントがぼやけてしまうから
そうなる少し前でしっかり見続けよう なんて、できるのかなぁ?

そして、サビです。
井上陽水の「限りない欲望」にも歌われていたように、人間らしさがすごく表されていると思うんです。手に入れる前まで感じている焦ったさや胸の痛みは、自分の手中に入った途端に当たり前のものに変化してしまう。だから、あなたのことがそうならないように、(そんな関係になったときにも)一歩さがったところでしっかりその幸せを噛み締めていたい。でも、そんなことできるんだろうか? という揺れ動く生の人間なんですよね。綺麗事ばかりじゃいられなくて、そういう未来への不安も含めてのAさんに対しての愛なんです。
この感情は誰もが抱くものだと思っています。日々に感謝とか、言葉で言ってもなかなかできないのが世の常で。そういう弱さみたいなものもすべて認めながら、それでも抑えきれない焦がれた感情が"いじらしさ"であって、"イノセンス"さの溢れる「少年」の愛だと思うわけです。

まとめ

書いているうちにいろんな感情がでてきて、その感情に任せてバチバチ打ってしまいました。さすがに自分で長すぎるなと思い始めたので、ここで勝手なまとめです。

・「少年」がミスチル最大のラブソングたる所以は、"いじらしさ"と"イノセンス"である
・焦がれる感情が絶妙に描かれている
・ふとした瞬間にフラッシュバックする、恋慕の情を「日焼け」と表現したその秀逸さ
・ありのままでいてよ、と歌うその真っ直ぐな愛
・未来への不安も含めて、それでも求めてしまう純真さ

ぜひ、何度も聞いたことがある方も、一度も聞いたことがない方も「少年」聞いてみてください。聴き方を押し付けるものではないので、ぜひ皆さんなりの感じ方で楽しんで欲しいです。

ではでは

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