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#2 アナタノタメ

アメーバブログでも、「未完成のアルバムを。」シリーズを投稿しているのですが、思った以上の反響でビックリしてしまいました。自分の余裕のある時に執筆しているので更新ペースは遅いですが、少しでも誰かの支えになれたら嬉しいです。

実はこのタイトル、私が小学生の時から決めていたんです。当時、こんな自分の境遇を将来どう伝えるか日々考えていたのですが、そんな時に思い浮かんだのがピエロの絵とこのタイトル。中々斬新ですよね笑

〜特売免罪符、アナタノタメ〜

私が大嫌いな言葉の中に「貴方の為」というものがあります。皆さんも一度くらい誰かに言われた事があるかもしれません。私は幾度となくこの言葉を両親に言い聞かされ、そして母の伝説、佐村河合もドン引き号泣謝罪会見時にもまさかの登場でした。(これも後の記事に書きます)毒親あるあるとして私が自論で考えているのは、「貴方の為」を免罪符にしていないか?という事。手を上げても、食事を与えなくても、暴言を浴びせても、全部それはアナタノタメ。だから私は悪くない。アナタノタメに「してあげてる事」という思考なのです。ありがた迷惑にも程がありますよね。

〜意思を持たない人形の完成〜

前回の魔の通信教育を経て、私は中学受験専門塾に小学校3年生時に放り込まれました。勿論親の敷いたレールです。英会話にスイミング、1回数万円もする演奏会に年がら年中連れ出される英才教育っぷり。当たり前に「お受験組」入りは免られませんでした。ちなみに母に言わせれば、これも全部アナタノタメ。私の事なんか興味もないくせに「貴方の性格は地元中学にはそぐわないから」という名目で勝手に受験が決定(済)。私立に行かせると勝手に決めたのは母なのに、行く学校のレベルを勝手に決めてラベリングするのも母。幼少期から私に選択権なんてありませんでした。(ちなみにこれは大学受験に関しても同様の事が起こり、そのせいで私は今学費地獄になっています)

私の興味がある学校でも母親の気に合わなければ自動的に志望校から排除、あなたは女子校の方が向いてから女子校ね、偏差値は最低◯以上。親のエゴでやらされる受験なのに、そこに私の自由は何も無いのです。

さて、日常に溢れる選択はおろか、志望校すらも決めさせてもらえない私はどんな人間になるか。「意思のないお人形」の完成です。親の機嫌さえ損ねなければ何でもいい。何か言ったところで、自分にはどうせ選択権はないのだから。こんな生き方を20年近く続けた結果、私は何か選択を迫られると非常に困惑してしまいます。食べたいご飯くらいなら決められますが、ホテルのチェックイン時間や待ち合わせ時間すら反応が鈍いのです。そんな私を変えてくれたのも、救ってくれたのも今の恋人なのですが、それはまたいつか話すとしましょう。

〜塾=楽しいの時代もあった〜

周りは放課後に遊びに行く中、小学校3年生で入塾した私。最初は気が進みませんでしたが、最初1年は学習習慣の形成が目的のカリキュラムだった事もあり、奇跡の平和な一年を過ごしました。周りもこの頃は「まだ」闘争心なんて殆どないし、先生達も優しい。そんな平和な時間はあっという間に過ぎ去り、小学校4年生。メンバーも増え始め、本格的に受験勉強が始まりました。ここから私の塾イジメ被験体生活が始まります。(これに関しては次回綴ります)

〜虐待の加速と機能しなくなった感情〜

本格的な受験勉強が始まると我が家に何が起こるか。大正解。虐待のパワーアップです。4年生から本格的に始まる全国模試に塾内模試。テストにクラス分けが次々始まりました。これと伴って我が家で「結果が全て」が完全に始まりました。どれだけ努力しようが、どれだけテストが他塾の生徒に有利だろうとお構いなし。母のお気に召す成績でなければ成績表はグッチャグチャに丸めて捨てられ、机の上の物が車のワイパーの如く母の腕で全て振り落とされる。まさにちゃぶ台返しって奴です。私の脳天には母の固く握られた拳と辞書より分厚い参考書が1日に何度も落ちてくるようになります。私は頭を庇って疼くまり、避難訓練のような体制で泣きじゃくりますが、それが母の神経を更に逆撫でします。誰が見ても自分が悪役だから。悪いのは私(母)じゃない。コイツの出来が悪いのが悪い。というモットーで生きている人からしたら、シンデレラの継母のように映る自分が許せなかったのでしょう。

「悲劇のヒロインぶってんじゃねえよ!!!!!!!泣いてる暇があるなら手を動かせ、勉強しろ!出来損ないが!!!!!!」

どこが悲劇のヒロインなのか甚だ疑問ですが、泣く事は我が家では許されませんでした。虐待のターゲットが泣く=自分は悪者に映る。お前が悪いのに、自分が虐めてるみたいじゃないか。という心理なのでしょう。理解を遥か超越していますが、そんなこんなで私の感情は麻痺し始めました。悲しくても泣いてはいけない、苦しくても叫んではいけない。どんなに理不尽でも母に逆らってはいけない。ご飯が貰えないのも、殴られるのも全部自分のせいなんだ。お母さんがこんな事になってしまうのは私のせいなんだ。過度に自分の感情をねじ伏せて耐えるあまり、私の喜怒哀楽はバグり始めました。

結局、この後遺症として私は喜怒哀楽の起伏が殆ど無くなり、中学校では友達に全く笑わないと指摘される程になりました。それを気にして無理やり笑う癖が付き、口元は歪んで、何も面白くないのにケタケタ笑って見せる道化師のようになったのです。この癖はかなり可解していますが、今も完治はしていません。感情の起伏は今でも同世代に比べると圧倒的に少なく、他人の前になると無意識に「無理やり起伏を作る事」を心掛けているので、本当の私を唯一知る恋人からすれば、とても無機質で不気味に見える事もあるようようです。実際に付き合いの浅い友人と出掛けたり食事を共にすると、どんなに楽しくてもそれを易々と超えてしまう疲労感に襲われます。

これがこのシリーズのタイトル、「未完成のアルバムを。」に道化師を幼いながらに私が採用した理由です。

ここから先は内容も今までより更にハードになるので、また少し時間を空けて書こうと思います。

2021/10/30

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