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【旅エッセイ60】自分の世界を広げようとして。


 古い写真のフォルダを見ていたら、私が初めてひとり旅をした時の写真が見つかった。

 二十歳の頃。あの頃はまだ旅への憧れなんて気付いていなくて、ひとりで遠出をしたこともなかった。行動範囲は狭く、家と職場を往復するだけ日々。

 数年後には自暴自棄から始まって日本を転々とするけれど、二十歳の頃は毎日決まった場所を行き来するだけだった。そんな狭い世界で生きている自分を変えたくて、ある時「ひとり旅をするぞ」と思い立った。

 旅と言っても、思い付いたのが土曜の昼間なのでせいぜい一泊二日しかできない。飛行機も新幹線も自分で切符を買ったことがないので乗り方を知らない。だから行き先も決めずに電車に乗った。

 まだスマートフォンのない時代、何も調べることもできなかったので、自分の気持ちひとつでどこまで行くか決めるしかなかった。電車の乗り換えも何となくで、都心から離れる方向の電車を選んで乗った。

 思い付きで旅をして、気ままにどこか遠くへ行ける。そんな身軽な人間になりたかったのだと思う。

自分自身をどんな人間か分析してみると、保守的な臆病者。警戒心が強く、何にでも積極的に挑戦するような性格はしていない。安定した同じ日々の繰り返し、自分でスケジュールを決めてその通りに物事を進めることに安心感を覚える。アウトドア派だけど知らない場所を求めて冒険するのではなく、決まった縄張りを巡回する野良猫のようなタイプ。そういう自分が嫌で、性格を変えたいと思っていた。

 私は小説家になりたいと思っていたし、小説家というのは奔放、破天荒、好奇心旺盛で、他人のしていない経験を少しでもたくさんしているものだと思っていた。そういう人間こそ小説家にふさわしいのだとしたら、私は真逆の人間。だから自分を「小説家という肩書きの似合う人物」に変えなきゃと、若い頃は思っていた。

 そうして自分自身に似つかわしくない役割を演じようと鎖でがんじがらめにした結果、数年後には何もかもがイヤになって生活を捨ててしまう。そのあたりは以前のNoteに書いた。

 自分の世界を広げたい。そう思って家を飛び出た二十歳の私が、辿り着いたのは小田原。

 私の初めてのひとり旅のはずが、出身県である神奈川から出られてもいない。同じ時期に私の幼馴染はひとりニュージーランドヘ留学していたのに、私は故郷から電車で二時間程度の場所にいる。

 それでもあの頃の私は、ひとりでずいぶん遠くまで来られたぞとドキドキしたものだった。

 大人になった今なら自分自身の性格を否定しても辛いだけだとわかる。理想の自分になろうと努力をするのは良いけれど、そのために本来の自分を押し殺して捻じ曲げようとしたって苦しいだけ。いつか無理がたたる。本当は自分が何をしたいのか。自由を感じられるのはどんな時か。それを知ることが本当の意味で「自分の世界を広げる」ことなのだと思う。

 写真は、安物のデジカメで撮影した小田原城と梅の花。臆病で保守的、生活の行動範囲が極端に狭かった私が、自分の世界を広げようと無理をしていた頃の一枚。

 あの頃に比べたら、私の世界は少しだけ広くなっている気がする。



また新しい山に登ります。