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プペルンルンやオンラインサロン、意識高い系について

おは養分
露骨に「感動しました(´;ω;`)」アピールする奴、大体養分
あずにゃん♂です🐱

某お笑い芸人信者の御一行が教祖様原作の映画を幾度も幾度も視聴することがtwitter上で話題になっている。

ヒト様の金と時間の使い方に文句を言うつもりはない、俺も好きな映画は何度も観るし気に入った漫画は読み返す。ただ、彼らからは違和感というか一種の嫌悪感を感じる。

先にも述べたが、同じ映画を何度も視聴することはオカシイことではない。しかし、彼らのやたらと「○プペ目」などという新しい日本語を使いながら視聴回数と映画に対する具体的な感想もなく「感動しました(´;ω;`)」というアピールはなんか違うんじゃないだろうか?

はっきり言って映画なんてのは娯楽に過ぎない。だから何度視聴し、感動しようがその人が人間として変わったり成長することはない。ただ「映画を視聴した」というだけというのが現実だ(キッカケにはなるかもしれないが)。

なのに、キングコングの餌のバナナさん達は何度も映画館に足を運び、SNS上で視聴回数と感動をアピールする。

なぜだろうか?

彼らにとって大切なのは、映画というコンテンツを消化し人生を豊かにしていくことではない。教祖様が作った映画の素晴らしさと教祖様の素晴らしさを世間にアピールすることがすべてなのだ。もはや、自分の人生を生きていない。

先日バズっていた、失業保険の24万円この映画のチケットと台本の仕入れに突っ込んだ意識高い系君にしてもそうだ。他人が金を「浪費」しようが自由。だが、失業保険だって毎月の給料から天引きされていた立派な自分の金じゃないだろうか。それを他人に投資してしまう愚かさには唖然としてしまう。

幸いなことに昨年は数名の結構ガチな意識高い系と絡む機会があった。彼らに共通している点はみんな「コピペ」みたいな人ってことかな。

とにかく、有名人や成功者といった「他人」の言葉の引用が多い。別に他人の言葉を引用するのは誰だってするが、その言葉をきちんと咀嚼吟味せずに引用するから「~さんがこう言ってた」という言い回しになる。言葉に言霊や責任感がなく、「生きて」いないから心に響かないのだ。

昨年絡んだ意識高い系の中で印象に残ったのは、「20分クソ動画さん」である(名前の由来についてはまたの機会で)。

このクソ動画さん、複数のオンラインサロンに所属しているらしく(金あるなぁ)ZOOM会議中にも関わらず、自分の所属するサロンの主要メンバーのインタビュー記事の宣伝を始める(主要メンバーの方はマジですごい人)。

サロンに所属することでハイスペックな人たちと薄っすらではではあるが繋がりが出来ることで、自分もすごい人間になった気になってしまうんだろう。

オンラインサロンに入り、自己啓発本を読み漁ることで身に着けた張りぼての武装で何も知らないガキや何も考えてないバカ相手ならマウント無双は容易だろう。

余談だが、俺も先日、港区を男前の友人を載せて車で流したら自分もイケメンになった気分だった。あとで鏡見て現実に戻ったが。

今回のプペルンルンにしても同じだろう。

教祖様の映画が興行的に成功することで、「布教活動」に貢献した自分も成功者になった気でいるんだろう。そのためなら、自分の時間と人生を削って稼いだカネを平気で浪費する。

何度もいうが、ヒト様の時間とカネの使い方に文句は言わない。

同じ映画を何回見ようが、オンラインサロンに時間を使おうが個人の自由だ。

ただ、一つ言えることがある。

映画よりも現実を見ることの大切だし、人生はオフラインの方が重要。意識は無理に高く持つのではなく、前を向けるべきだ。

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