見出し画像

めちゃくちゃよく寝た

 この数日間ひたすら寝ていた。春眠が暁を覚えないにも程があった。仕事に行くギリギリまで寝ていて、仕事から帰ってきてまたすぐに寝る。一日10時間は軽く寝ていたはずなんだけれど、それでもまだ眠かった。

 そんなわけで、土日もひたすら寝ることにした。昨日は12時間は寝た上に暇さえあれば昼寝をして、さらに日付が変わる前には電気を消してベッドに入った。昼間に寝すぎたせいで、さすがに寝つきは良くはなかったけれど、バイリンガルニュースのバックナンバーを聞いているうちにいつの間にか意識は落ちていた。
 そして今朝目が覚めたのが午前9時。久しぶりにすっきりした寝覚めで、ここ数日の頭の靄が晴れたような感じがした。

 睡眠はすごい。発達障害を持つ人には休養や一人の時間が必要だというのは、乱暴に言えば「とにかく寝ろ」ということなのだと思う。私は感覚が過敏より鈍麻の方に傾いているのか、自分が疲れているかどうかすらよくわからないことが多いのだけれど、しばらく放っておいたガラス窓を拭いた時に初めて汚れていたことがわかるように、久しぶりに頭がすっきりしたことで、ようやく疲労が溜まっていたことを自覚できた。

 長く眠ると大抵、あまり気分の良くない夢を見る。最近は季節柄か、高校を卒業できないというシチュエーションの夢が多い。出席日数が足りないとか、翌日テストなのにまったく勉強していないとかで、とにかく焦っている夢だ。あとは、家族の中で自分だけがよそ者のように扱われる夢もよく見る。どちらも事実としては起こったことはないのに、自分の中にはそういう不安が深く根を張っているんだろう。

 眠りから覚めてまずニュースを見ると、ロシア情勢の影響でカニやウニの高騰が免れない、ということが話題になっていた。ズワイガニ一匹の相場は安くても5千円~1万円だ。もう当分カニなんて食べられないかもなあ、などと考えていると、ふと、没交渉になる前の実家からは、たまに活ガニや冷凍のカニが届いていたことを思い出した。新卒の春、就職祝いとして、姉がカニ専門店のコースを食べさせてくれたこともある。今思うと、一人暮らしの食べ物としてはもったいないくらい高価なものなのに、私の好物だからと少し無理をして用意してくれていたんだろう。

 そういう行動に、愛情がなかったわけはないのだよな、と、布団の中でぐだぐだしながら、ぼんやりと思った。

 大部分の人が無意識にそうであるように、実家の母や姉は、自分が「普通であること」を疑ったことがない人たちだった。標準的な労働能力と、標準的な社会性があって、今の社会で生きていくことに強い不満を持ったことがない人たち。そういう彼女らには、発達障害や精神疾患を抱えてこの社会で生きていくということがどの程度の苦しみなのかが、おそらく想像がつかないのだと思う。公正世界信念というものにも少し通じるのかもしれない。社会は公正なのだから、それについて行けないのは本人の努力不足か、「気の持ちよう」の問題に過ぎないのだと、彼女たちは思ってしまうようだった。

 それは思考のデフォルト設定のようなものであって、母や姉に特別に悪意があったわけではないことはわかっている。だけれど、私は家族にすら自分の苦しさが理解されないことが何よりもつらく、そのうち関わることすらやめてしまい、実家とはだんだん疎遠になった。

 社会学者の西澤晃彦氏は、放送大学のラジオ講義の中で「日本の家族は弱い」ということを話題にしていた。

 個人主義の欧米よりも、一見すると日本の方が家族間の結びつきが強いように思われるが、実際は、個人が何か問題を抱えたとき、家族は個人を守ることはなく、容易に世間の側に立ってしまう。そうした長いものに巻かれろ的な態度が家族としての弱さを示している、と西澤教授は言う。

 そういえば、発達障害があることがわかる前、東京で働いていくことに限界を感じて弱音を吐いたときも、私の母は「みんな我慢して働いているの。難関大を出て就職できなかった子が、何でもやるから雇ってくださいってうち(自営業の母の会社)に来たりするんだから。あんたも贅沢言ってる場合じゃないのよ」と、私を説得したものだった。
 確かに私にとって家族というものは「自分の味方」ではなく、いつも「世間の代弁者」だったような気がする。

 うつ病でネガティブなことしか考えられなくなった私の中では、そんな認識がさらに強まり、そのうち家族の中でずっと憎まれていたとか、疎まれていたと思い込むことが増えていった。
 実際に、私は無条件に愛せるような子どもではなかっただろう。小さい頃から生きづらく、捻くれた私に、親が呆れ果てていた姿をよく覚えている。けれど、それと矛盾するように、愛情をかけられていたことも事実なのだと思う。人というのは、常に不協和を抱えて生きているものだ。

 私には、障害については理解の入り口にも立ってくれない家族がいたと同時に、私の小さい頃からの好物を折に触れて送ってくれる家族もいた。

 そんなことを思い出した日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?