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親の習いごと

家のテーブルに月謝袋があった。封筒の姿をしたその月謝袋には、わたしの名前が書いてあった。そして、4月、5月の欄に金額があり、領収者の朱印がその上に重ねて押してあった。6月の欄には金額のみが書いてあって、領収者印はなかった。未払いなのだろう。

ところでこれは、なんの月謝袋だろう。家族のものだろうか。でも、わたしの名前が書いてあるから、わたしのなんだろう。でも、わたしは習いごとをしていない。いや、し始めたのか? 今年の4月くらいから? 何か始めたっけか? わたし。じぶんの習いごとも思い出せないのって、だいぶやばそうだ。うーん、でも、なんだろう。やっぱりわたしは、習いごとをしていないので間違いないと思う。

4月〜6月の欄にある金額をみる。各月、同じ金額が記載されている。その額面には、何か馴染みがあるような気がしてならない。ちょっと半端な、へんな金額だと思ったが、この馴染みのある感覚はなんだ?……などと思いを巡らせているうちに、これがなんの月謝袋なのかが、わたしにはわかった。子どもの保育園の料金を入れるための袋だと。

わたしの長男(3歳)の通う保育園は、今年度から、「認可」になった。それまでは、「認証」だった。前年度までは、その園の運営者の口座へ直接振り込むことで料金を支払っていたが、今年度から、施設のほうに現金で直接持っていくように決まりが変わった。それに対応する準備が、園のほうでできていなかったようだ。4月分も5月分も、わたしは手渡しで園に料金を支払っていたが、領収証をまだいただいていなかった。

規模の小さい園だし、信用に足りる関係を築けているという思いがあったので、わたしは領収証がまだだということを気にしていなかった。それがこのたび、6月分の料金を徴収する時期になるこのタイミングで、「おなじ月謝袋を使いまわして、そのつど判子を押すしくみにしよう」というやり方が決まり、実行されたようなのだった。このことで、わたしやほかの園児の保護者たちは、じぶんたちが支払った料金がきちんと園に領収されたことを封筒の上で確認できるようになった。

お金のやりとりの方法を月謝袋としたことを、わたしはほほえましいと思った。たぶん、欲しいと強く願うのならば、わたしたちにはひと月ごとに領収証を園に書いていただく権利もあるだろう。だが、わたしはこの月謝袋でじゅうぶんだと思った。

このお金を支払うのはわたしなので、月謝袋に記された名前は、息子のものではなくわたしのものなのだろう。手書きされたその名前は、園のスタッフが書いてくれたのだろう。わたしの字じゃないし、妻のものでもなかった。

子どもが保育園に通う、という行為はどうやら「親の習いごと」らしい。

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後日談
息子の保育料の領収書は、実際は妻が園からきちんといただいておりました。しかもそのことを妻が私に伝えたところ、私は返事をしていたというのです。返事をしたのに、私はその内容を記憶にとどめていないのです。「返事をした」というよりは、妻の音声に対して「反応した」というのがふさわしいのかもしれません。



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