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パリ凱旋門


ローマからウィーン、ハイデルベルグ、ジュネーブと回りパリに着いた。この間は各都市のホテルだけが指定され、移動はユーレイル一等車パスを使って各自自分の計画で移動した。私は日程通りに旅したが事前申告し、指定のホテルには泊まらず他のルートで移動する事もできた。私はほとんど大阪グループと行動を共にしたように記憶している。
6人用のコンパートメントでトランプゲームに興じ、皆で笑い転げているこの時の写真が残っていて、列車の旅を楽しんだ記憶がある。しかし、25年以上前の事、忘れている事も多い。ジュネーブのホテルには一人でチェックインしたことを薄く覚えている。
若い頃から女性としては、度胸はある方だったと思っているが、グループから離れどのように単独行動したのか記憶がない。ジュネーブでどうしても訪れたい場所があり短時間グループを離れたのか。その記憶がなく謎だ。ジュネーブ以外の街でもひとりで行動した記憶が少し残っており、大阪グループとの団体行動は無論楽しい思い出だが 、時には単独行動も欲していたのだろうと思う。
パリで滞在したのは少し郊外の近代的なホテルで、ヨーロッパ風の古風な部屋に憧れていた私はホテルに着いて軽く落胆した。天蓋付きのベッド、泊まりたかったわ〜。
パリに着いて3日目。メトロの駅も近かったので、私とルームメイトの大阪娘A子は凱旋門を真近で見ようと街中に出た。世界的な名所というのは時に、えっこれ?と何かがっかりするものも多いが、凱旋門の威風堂々とした姿は私の心を圧倒した。
満足しながらシャンゼリゼ通りを歩いていた私たちは、洒落たカフェに魅了されちょっとお茶でもしようということになった。ところがお互いの所持金を確認してびっくり。二人共相手を頼って帰りの地下鉄代さえ持ち合わせていなかったのだ。しかも運の悪いことにその日は日曜日。銀行はどこもしまっている。
そこで私たちはどこかのホテルのフロントなら両替してくれるのではと考えた。しかし、基本、ホテルの両替はそのホテルの宿泊客が対象であり、5、6軒のホテルを回ったが全て断られた。泊まっていたホテルまでは歩いて帰れる距離ではない。携帯やスマホなどもちろんまだない時代。異国での心細さで心をいっぱいにしながら、次に見つけたこじんまりとしたホテルのドアを押した。
フロントには若い女性がいて怪訝そうに私たちを見る。拙い英語で事情を説明した。彼女は少し待ってくださいと言って、一旦奥の事務室に消えた。戻ってきた彼女は、申し訳無いが両替はできないと告げた。やっぱりかとガッカリして私とA子は顔を見合わせた。そして、その場を去ろうとした時、もう一度彼女の口が開いた。
「両替はできないが、よかったらこのお金を使って。」それは、2人分の地下鉄代だった。それは彼女の個人としての厚意だろう。私たちは、思いがけない申し出に驚きつつほっとして、ホテルに戻って直ぐお返しに来ることを告げた。
すると彼女は優しく微笑んで、
「その必要はありません。あなたたちが困っていることはよく分かるので、私がそうしたいと思うだけです。そして、もしできるなら今後、同じように困ってる人に会ったら、あなたたちが同じようにしてあげてください。」
私は彼女の思いがけない言動に感激して、胸が熱くなった。A子も同じように見えた。
無事地下鉄に乗りながら、やっぱりお金はお返ししようと話し合った。個人主義の考えが強く、時に異国人に冷淡だと言われるフランス人。しかし、彼女のような優しさを秘めている人も沢山いるはずと私は悟った。
翌日になったが、私たちは彼女にお金を返し、お礼を言うことができた。きっとこの優しさのお返しはどこかの困ってる誰かにしますからと言い添えて。



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