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(240121)ほんの三月前は 指からめた交差点 今も横を歩く気がする

あけましておめでとうございます。
師走どたばたでした。2023年の災厄がすべて年末に集約していた気がする。
12月の記憶がないよ。
noteも12月中に更新したかったのにもう1月も2/3終わってしまった。
取り急ぎ下書き供養と、まとめ近況。
落ち着いたらまたブログ書き始めます。

2023年11月23日(木)
大阪から友達が来たので飲みに行った。
飲みに出る前に新宿の酉の市に行くことになったが、もしかしたら、はじめての酉の市かもしれない。
お祭りみたいなのが苦手なのだ。人が多いし、小さい頃からあまり行った経験がないし、なにより出店の食べ物とかがそんなに得意ではない。
台湾もよく行くけど夜市は苦手なのでほぼ行かない。
しかし驚いたのだけど、ああいう出店って進化しているね?
お祭り出不精すぎて出店の知識が平成10年ぐらいでストップしている(その頃は町内会のお祭りとかは行ってたけど、毒入りカレー事件で出店的なものたちが一旦消滅してその辺り以降お祭りの記憶はない)んですが、イカ焼きとか牛串?みたいなのとか、チョコバナナも色んな色があるしりんご飴もりんご以外のフルーツ使ってたり(タンフルだ!!)僕の知ってる出店じゃない…?的感覚が凄かった。
地理的なものだろうけど、ふらふらしている客層もホストとお客さんとかそういう感じで普段見ないものが多くて面白かった。
酉の市の中はもっと面白かった!
売っている熊手(というので合っているの?)は前年買ったものより大きな物を買わなくてはいけないらしい。僕の身長より巨大な熊手もあったけど、あれを買った人は来年どうするんだろう。オーダーとかすんのかな。
どこに置くんだろうそもそも。
そういう、毎年更新をしなくちゃいけない、みたいなルールがあるものって僕はなぜか物凄く怖いんだけど、商売をする人ってやっぱそういうもののにちっぽけな恐怖は感じずどっしりされているんだろうか。
中国に住んでいた頃からずっと商売や自営の世界への強い憧れがある。中国は商売をしている人や自営の人の割合が日本よりずっと多い。が、憧れを持つ以上に自分のための世界ではないなという諦観もちょっとありこの年になっても手を出さずに生きてきてしまった。
酉の市の盛り上がり方、商売の人が行くお祭りだからという部分も強いなと思った。

2023年11月26日(日)
実家が消滅する。
あるタイミングで実家を売ってしまうか、兄に譲ってしまうかという話になっている。
もちろん親はいつかはいなくなってしまうし、いずれかはそういうことになるだろうなと思っていたので寝耳に水ではないけれど、いよいよその時が来たかという感傷がある。
僕の大好きな本で星野博美著『転がる香港に苔は生えない』がある。
本当に毎年何回も読み返すレベルで好きなのだけど(書かれたのはだいぶ前だけど、昨今の香港情勢理解に繋がる部分もあるし、シンプルに読み物としても面白い)、この中で著者が香港人の実家観にハッとさせられる章がある。
知り合った香港人と手紙のやり取りをしようと住所の交換を行う際に、著者が日本の実家の住所を渡し「ここは変わることのない住所だから」と言うと、マンション社会で分譲だとしても住み替えをしまくる香港人には『変わることのない住所』という概念が理解できない。
彼の発言により、確かに実家だからって永遠の住所ではないのよな…と著者が感銘を受けるようなエピソードである。
同じものがちょっとあるなぁ、親はまぁ別のところに住み替えるので次の年末年始とかはそこに行ったりするんだろうけど、もう『地元』に自分にアタッチした場所が消滅する悲しさ。
兄が住む可能性が高いし二度と入れないわけじゃないけど、もうそうなると『実家に帰る』じゃなくて『兄の家に泊まる』になるのよな。不思議。建物は同じなのに。
まぁでも冷静に考えると父の実家は完全に消滅してるし、母の実家は伯母の家になっているし、誰しもいつかは起こることなのかな。
なんか、はちゃめちゃに悲しい!!とかでは全くないんだけど、なんとも言えない感慨がある。

2023年12月12日(火)
そんなこんなで親のことを方々で話す機会が多い。
いま僕の両親は半別居のような状態にあり、だがしかし関係性が悪いというよりは良好な関係性を続けるために半別居をしている。
母は運転が好きではないのでなんなら免許を返納したいくらいだが、地元のに居ると車がないとどこにも行けないのが嫌で、車が要らない新しい家にてできる限り過ごしたい。父は上記の地元にある実家が大好きで、車の運転も問題がないので極力実家で過ごしたい。と希望が違うし、彼らは生活リズムも違うし二人とも自分のことは自分でできるので無理にストレスを抱えながら一緒に居るより、別々でも自分の好きなように暮らすのが上手くいく秘訣のようなのだ。仲は普通に良い。
だがしかしこれを他所の人に説明するとどうしても『別居』という文字の先にぶら下がった『離婚』のイメージにより「複雑なんですね…」みたいな反応をされがちだ。『離婚』がぶら下がってないタイプの『別居』なんですよと言いたいが、毎回役所の人とかにそんなん説明していられない。
僕自身30代中盤男性のステレオタイプから逸脱しているパーソナリティにより初対面の相手の反応などにちょっこりウッ…となる機会がままあるけど、結構『熟年夫婦のステレオタイプ』みたいなものも世にしっかりあったりするもんなんだなと思った。
確かに母は当初は結構会う人に状況を逐一説明してたけど、途中からあまり別居している旨は必要がなければ言わなくなったが、ステレオタイプからのギャップを埋めるための弁明みたいなものがしんどくなったんではなかろうかと思う。
こういうの、何歳になってもあるものなのね。

2023年12月中旬~2024年1月中旬(総括)
12月に自分が入院して退院したあと1月に親が入院した。交代制なのかよ。
入院して2-3週間ほどで8kg痩せて、退院して年末年始で8kg太った。
水風船みたいな人間。
僕は普段あまりマックを食べないのだけど、入院食みたいな味気ないものを食べ続けていると毎度毎度マックのポテトが食べたくなる。
藤田田がいつぞや「人間は幼少期に食べていた物を食べ続ける」みたいなことを言っていたような気がする(だからマックはハッピーセットに力を入れる)が、僕はマックを高校生になって初めて食べた。親が連れて行ってくれたのは必ずモスバーガーだったから(かつて三四郎の相田さんが同じことを言っていてちょっと感動した)。
幼少期にマックの思い出が一切無いにもかかわらずこんなにも記憶を呼び起こすマックのポテトまじで凄いな。
退院したその足でマックに飛び込んでチーズバーガーセットを食べた。
ちなみに、大人になってからモスバーガーには殆ど行っていない。

入院した際にスマホを家に置いていってしまったため暫くデジタルデトックス状態になっていたが、その余波でSNSからすっかり足抜けすることができた。自分がTwitterで何を呟いていてインスタグラムに何を投稿していてnoteに何を書いていたのか、完全に思い出せなくなってしまって、スマホを手にしてもSNSに関しては完全なるROM専になってしまった。
そういう時期もあるべきじゃないかと自分でも思ったのでひたすらラジオを聞いて(令和ロマンのオールナイトニッポンとヤ―レンズのオールナイトニッポンが面白すぎてそれぞれ12回くらい聞いた)ゲームをやって(1日8時間ぐらいSlay the Spireをやっている、面白すぎて脳が溶けている)韓国語を勉強して(入院によりDuolingoの継続日数が途絶えたので真面目に参考書で勉強している)過ごしている。独り身の生活。

週末には飲みに出るが、同年代(35歳前後)の人々が結構みんな、僕がここ最近もんやりとしていた人生の壁みたいなものにぶち当たっていることに気付く。
そろそろ1周目が終わりかけているのだ。
なんていうか、ブラッシュアップライフみたいな意味での一周目ではなく、なんというか、人生ってまぁまぁに螺旋階段みたいになっていると僕は思っているのだが、その螺旋が2周目に入っていると思う。もしかしたら3周目なのかもしれない。
全てに既視感があるのだ。
エンタメとかを見ていても音楽を聞いていても、あれ…これの『親』みたいなものを僕はかつて見ている…?聞いている…?みたいな気持ちになることが多い。色々なものを摂取しすぎた部分も強いのだろうし、供給側に同年代の人間が増えて、そもそも同じエンタメを幼少期に摂取していた人間たちが供給するエンタメを享受するようになったからなんだろうか。
雑な表現をするのであれば、人生の要素諸々に飽き始めているのかもしれない。誰と会っても趣味が欲しいねとか新しいことがしたいねとか球技じゃない団体スポーツがしたいねとかそんなことを延々と話している。誰も何も新しいことは始めないので、みんな『飽きて』いることについては本気で取り組みをしない。それもまた人生なのかもしれないけど。
それでも、まぁ健康に生きてるだけで儲けもんですね!

消滅予定の実家に居る猫。猫と共に生きていきたい。

今年はまた環境が少し変わりそうなので、真摯に人生に取り組んでいきたいです。以上!


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