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運転免許更新手続きでの一悶着

先週の日曜日に運転免許の更新のため運転免許試験場に行ってきた。平針の試験場は改修前は古く非常に不便であったが、新しくなり、大変効率よくなった。公的機関については少し偏見じみた見下した部分を自分は持っていたから感動し、少し驚いた。

この頃ちょうどマスクの着用の緩和について議論がなされていたから、駐車場を降りた後はマスクを外した。建物の中に入る前にはマスク着用のお願いの貼り紙があり、さすがに警察の建物に入るということでマスクを着用した。

最近、自分は一般人として、マスク着脱の雰囲気を作るために、外、コンビニや店舗などではマスクをできるだけ外すようにしている。昔から、学校でも授業中に発言を多くするなど、日本の授業では発言が少ないという一般的傾向、大多数への反抗の意思を示したいほうであるから、そういった性格の傾向の一貫であろう。

もう、マスクが無い方が違和感があるからマスクしないほうがなんか嫌という人も多いだろうが、特に大人については、今は暑すぎるし、マスクを忘れたとか気にするのが嫌と思っている人も多いだろう。だけれども、マスクを外せば目立つから怖く、外せないというのが大多数であろう。逆にマスクを外した方が素顔を見せられて印象が良くなるのではないかとも思い始めている。お客として建物に入る時だけ、マスクを外すというのは傲慢であるから、仕事の時にも、できれば訪問において、特に接客する時など状況に応じて外すようにしている。

更新の書類手続きを終えて、最後の1時間の一般講習に入った。教室で待っている間、全員マスクをして待っていたが、席の間隔は広いから自分としてはマスクしているのも違和感があったので、外したが、さすがに教官が入ってきたら、マスクを着用した。教官は60-70代くらいの定年退職後に見える教官のようで、基本的に今までの経験から教官は礼儀正しく、その教官も礼儀正しかった。しかし、授業中、前方に置いてあった取り忘れた講習の本をとりに行ってうろちょろしていたら、「どうしました?」と強い口調で言われて、少し堅物そうな性格も感じ取れた。その後、トイレは自由に立ち上がって行ってくださいと言ったので、なんでそんなにウロチョロした自分に強い口調で言ったのだろうと思った。

その後、印象を挽回すべく、又、自分の中で教習へのやる気を示すために、横断歩道の歩行者優先の説明の際に、自転車はどうかと手を上げて質問した。運転者への罰則については、明確な答えはないであろうから、曖昧な返事が帰ってきた。講習では手を上げて質問する人などいないから、逆に質問でもしようとここでも自分の社会への反抗の性格が見えた。講習で発言した人なんて覚えている人なんていないのだから、やりたいようにやればいいという気持ちと本当に聞きたいことがあったというのもあった。教官はいい質問ですねと言ったが、質問があるなんて想定外だったのか、講習の時間を気にしていた様子も見受けられた。

その後、講習の終わりがけに交通ルールについて気になり、スマホで検索していたら、その教官が近くに来た時に、「携帯をしまいなさい、電源を切りなさい、もう一度やると免許を渡さない」と自分に言った。自分は「調べたいことがあったから」と言って少し反抗したが、大人しく電源を切った。

教官の堅物なところを全面に出してきたなとまず思った。自分の中では、講習の初めに携帯はマナーモードにしてくださいとしか言っておらず、使うなとも言っていない、そして、ただぼんやり何も考えずに講習を聞いているよりも、教えられる内容について深入りしようとするもののほうがいいじゃないかと、子供の屁理屈のように考えたが、大多数の人は、そういう時は大人しく聞いて、講習が終わってから調べればいいと言うだろう。それが大人だからだと。その後、同じくスマホをいじって怒られていた人を見て少し安心した自分もいた。

自分の見解では、教官はおそらく元警察官か何かで、スマホや携帯の運転中の使用による悲劇も目にしてきたから、1時間の講習で携帯を見てしまう人は運転中でも見てしまうということを警告したかったのではないかと考えた。その考えのもとでは自分は反省したが、今は自動運転の技術も出てきて、自動運転の車には適用されない罰則というのも講習の中で発見した。そんな中、自分は義務教育であったような叱責を受けて、その教官に対して昔ながらのような価値観のおしつけのようなものに苛立ちも覚えた。違反をして、切符を切られた時に警官に対する苛立ちに似たようなものである。「なんでこんな所に隠れとんだて」というようなやつである。

講習が終わると免許証が渡されるが、最後にまた注意されるか、時々公的機関は理不尽なことも言うから万一免許証を渡されないかもしれないといった恐れも少し抱きながら、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。

アラフォーの世代になり、怒られるのも珍しく、たかが免許の更新で、大したことではないが波乱があるのも自分らしいと思ったし、何か一般大衆に対して変化を加えたいというところが自分の性格の中にあると再認識した。ただ、高齢者運転の問題など、免許証については、何かと一悶着あるというか一筋縄の事柄でもないとも思った。

インフルエンサーはマスクを外すことはある程度受け入れられるところもあると一般人として思い、自分のような一般人でマスクを外していくのは相当勇気がいることであるとも思う。インフルエンサーからすればインフルエンサーの方が注目されるしリスクが大きいと言うのかもしれないが。

自分は明らかに必要でないところでのマスクの着用をしなくてもいいようになっていくのは、政府などの公的機関のアナウンスと時間によるものだということもわかっているが、片方で、一般人が外す雰囲気を作っていかないと変わらないという気持ちもある。どちらかというと、自分はリスクをとって、多数とは逆の方向に行きたいという性格があるか、目立ちたいという性格もあるのかもしれない。そんな不必要なリスクを取る必要もないという意見が大多数であろうが、仕事においてもよい結果というか物事を前に進めるためには似たようなリスクをとっていく必要もあると感じる時がある。

晴れて免許証は問題なく渡されて、講習が終わり、建物の外に出るとすぐさまマスクを外して、機械での駐車料金の事前支払後、運転免許試験場は新しくなり感動の連続であったから、デパートであるような最後に車の窓を開けて駐車券を機械に入れずとも車の車両で認識して支払い済みの車については自動でポールが上がるシステムを期待したが、手渡しで駐車券を警備員に渡すやり方になっており、そこはやっぱり人員は配置して、設備にお金は使わなかったんだと落胆して、安全運転をいつも以上に心がけた帰路についたのであった。

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