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ASOBIJOSの珍道中⑨:NY、路上で尺八吹くのは肝試し

 ゴトリ、ゴトリ、と揺れる車窓には、早朝の柔らかな陽にとろけたモントリオールのカラフルなビル群が流れ、ジープとキャンピングカーとロッジが並んだ田舎町も二つ、三つ、と流れてゆき、白樺の樹々の間から覗いた巨大な湖の上で、西陽が燃え、いつしかまた、あのニューヨークへ、無作法に、ぶっきらぼうに立ち並んだ高層ビルの窓が輝きひしめき、三日月もせま苦しそうにかかった、夜の大都会に、列車は突き刺さりました。
 前回からひと月が経って、4月の下旬のことです。今度は私ひとりで来たため、節約しようと、街で一番安いユースホステルの、一部屋に12個もベッドが詰め込まれたドミトリーに泊まりました。
 列車での移動が意外にも快適だったため、疲労感もなく、あまり寝付けぬまま、ぼうっと暗がりを見つめ、寝室内に充満したいびきの大合唱に耳を傾けました。私は大学に入ってから貧乏旅行が大好きで、まとまったお金さえあればすぐに旅券を買って、行ったことのない国、聞いたこともない町へと放浪を繰り返してきました。
 しかし、こうも男とも女とも獣ともさえ判別のつかぬ、汗やら垢やら香水やらの臭いに鼻をねじ曲げられたのも随分久しぶりのことで、いびきの音色も、ガーやらピーやらチューやら、クォップにヴイップに、もはや前衛音楽、、、と妙な感動がたちこめてくるのを感じました。
 そうだ、孤独な長距離列車、安宿の薄汚れたベッド。これこそ、どこよりも深く息がつける…。実家の布団なんかよりも随分と安心する…。

 さて、明くる日、私は人生で初めてのバスキング(路上演奏)に挑戦してみようと、マンハッタンの中心地に繰り出しました。尺八をバッグに入れて、着物に袴に手足を通し、気合は十分です。
 人通りの多いところを探してうろうろと歩き回って、「Penn Station(ペン・ステイション)」と呼ばれる、郊外列車と地下鉄が交差する大きな駅の出入り口にしよう決めました。
 しかし、バスキングの勝手も分からないどころか、全く土地勘もしきたりも分からない街ですから、どこから怒られるのかも分かったものではありません。少し臆病な気分になって、その場でシャワルマと呼ばれる中東料理のキッチンカーを営んでいる男に話しかけてみました。
 ”すみません、そこでちょっと、この竹の笛を吹こうと思ってるんですけど、大丈夫ですか、、、。”と。ところが、
 ”もちろんだ。そんなの自由だ。路上に誰かの許可なんて要るか!”
 と手を叩いて笑われてしまいました。
 ”ショコラン・ハビービ!(ありがとう、大好きな人!)”と、私はアラビア語でお礼を言って、親指を立てると、いよいよ譜面台を立てて、尺八を吹き出しました。
 正直に言って、尺八を習い始めてまだ二年余りですし、お世辞にも大したことなどできません。それでもどうしてもこれをやってみたかったのです。
 まず、最初にびっくりしたのは、想像以上に尺八の音が響かなかったことです。そりゃあ私の技量の問題もありますが、ニューヨークの中心地の騒音といえば、東京の渋谷のようなものです。街頭広告の音に、車から爆音で鳴り響いてくる音楽、それに、ニューヨークを象徴する、あの耳をつんざくようなパトカーのサイレンもしょっちゅう押し寄せて、竹と息吹から生まれる繊細な音色なんて、一曲吹き終わる間に何度もかき消されてしまうのです。
 それに、強盗やひったくりも怖いもので、荷物を全部バックパックの中に入れて、それを足に挟んだまま、立って吹くのです。得体のしれない、ドロヘドロみたいになって地を這い回る、薬物づけのホームレスも右往左往しています。誰かが背後に来ていないか、常にキョロキョロとしていなくてはならず、気が気ではありません。
 それでも、私なりに、かつて虚無僧(こむそう)が吹いていたという尺八古典本曲に、地唄、ポップスなどを手当たり次第に、手にどころか、足にも背中にも、妙な汗をびっしりとかきながら、とにかく吹きまくりました。
 すると、タバコを吸いながら立ち止まってじっくり聴いていって拍手をくれる人もいれば、親指を立ててウィンクをしてくれる子供や、尺八そのものに興味を持って話しかけてくれる若者もいたりして、自分が抱いていた恐怖や緊張は、あっけなくほどけていくのでした。
 ”マロワァナ、マロワァナ”と連呼しながら、ぐちゃぐちゃの髪の毛を引きずって地面を這いづりまわっていたホームレスの女性も、私のところに来て、「You make me feel goooooood .(きもちいぃぃわぁ)」と言ってニッコリと笑ってくれさえしました。

 これに嬉しくなった私は、今度は観光名所であるタイムズスクエアの方に向かって歩いていきました。この日は土曜日でしたので、色んな肌の色をした観光客でごった返していました。あちこちに、屋根のない観光バスに乗ったツアー客の姿もあり、有名な劇場街として知られるブロードウェイの方へ行けば、赤い絨毯の上を歩く有名人らしき人に向かってワーキャーと歓声を送りながら、スマートホンを取り付けた棒を伸ばして撮影をしている群衆に出くわしたりと、いかにも典型的なニューヨークらしい光景が広がっていました。
 そんな光景をぼんやりと立ち止まって眺めていると、袴姿の私もどこかの演劇の脇役の日本人かなんかと勘違いされたのか、”一緒に写真撮ってくれませんか!?”と目をキラキラとさせた家族連れに言われてしまう始末でした。
 すると、むこうから、
 ”Hey, SAMURAI! SAMURAI!!!!"
 と大声で叫びながら、スーパーマリオのキャラクターの着ぐるみを着た男たち4、5人に駆け寄られ、囲まれてしまいました。
 ”お前こんなところで何やってるんだよ〜”と明らかなスペイン語訛りの英語に、わたしは一瞬ハッとしました。こうやって陽気に観光客に駆け寄っていって、一緒に写真を撮った後に、”はい、ワンダラー(1ドル)”、しかも、”マリオにルイージにワリオにヨッシーに、一人ずつ1ドルだからね”、と、まくしたてるという、全く同じやりくちをメキシコのカンクンでも見ていたので、私はすかさず背負っていたバックパックを胸元に抱いて身構えました。
 すると、ルイージが、
 ”お前のそのカバンから突き出た棒はなんだよ、サムライ〜、刀か?お前危ないやつだなぁ”
 と、私の尺八が入った袋に手を触れかけようとしました。これに、
 ”オーケー、オーケー、まぁ、見てみろ!”
 ともったいぶって、刀を抜く構えでゆっくりと尺八を抜いた私は、そのまま「Amazing Grace」を吹いて聴かせました。
 すると、それをたまたま目撃した通行人たちから拍手が起こり、いくつかのスマホのカメラが向けられていたこともあってか、このルイージは、着ぐるみから素顔を覗かせ、不服そうな顔をしながらも、
 ”お前やるじゃん、それ、アメリカの国歌だよな”
 と、一つ素っ頓狂なセリフを吐きながら、仰々しく1ドル札を私に差し出してくれたのでした。
 これにはさすがに驚き、私もわざとらしく、深々とお辞儀をしながらお礼を言うと、握手を交わしながら、”マリオとワリオとヨッシーもやで”と、ニッコリ笑顔で1ドル札をもう3枚ほど巻き上げたのでした。

 そんな調子でタイムズスクエアの周辺を歩きまわりました。とある交差点では、黒いマントに身をくるんで、逆立ちをしながら歩いている男に声をかけられ、着物姿を褒めたてられました。聞けば、彼はブロードウェイで衣装を作っている刺繍家なのだそうで、袴の作りや帯の細部などをじっくり見ていきました。
 ”僕のは、ちまたのゴス・ファッションとは違って、中世の伝統的なファッションにインスパイアされたものなんだ”
 と言って、真っ黒なクリスマスツリーみたいな形で無数のヒダが広がったマントに、金糸で刺繍をほどこした衣装を見せびらかしました。
 ”ところで、なんで逆立ちしているの?”
 と、しゃがみこんで聞けば、
 ”陽の光が眩しいからだよ”
 と、ニッと笑って言いましたが、口元からは異様な牙が覗いていました。

 冷静に考えて、あれは死神だったに違いない、と、背筋も冷え冷えとしましたが、またひとつ気を取り直して、また街角に譜面台を立てて尺八を吹きました。
 今度は狭い歩道を選んでしまったせいか、人の足も速く、すいすいと過ぎ去ってしまうのでしたが、何曲か吹いているうちに、一人の大男が目の前に立っているのに気がつきました。
 私が「鶴の巣籠もり」という難しい古典の曲を下手くそながらも懸命に吹いていると、彼は目を閉じて、そのボーリング玉のような巨大な肩をいからせながら、腕を組んで真剣に耳を傾けてくれていました。
 長い長いこの曲が終わると、キッと目を開いた彼は、まっすぐに私の方に歩いてきて、こう言いました。
 ”オイ、お前。いいか、お金を投資するんだ。デカいアンプを買え。それであのビルを叩くくらい思いっきり吹き鳴らすんだ。”
 と、こめかみに太い血管を浮かばせながら鼻息を荒くしました。
 ”でも、それじゃあ、警察に怒られないか?”
 ”何を言ってんだ。カートに乗せてこい!警察になんか言われたら、カートを押して隣の通りに移って、またやれ。お前分かってないな。”
 とますます荒くなった鼻息からは、テキーラの臭いがしました。
 ”お前、拳作れるか。右手を出せ。親指はそこじゃない。それだと自分が怪我する。そうだ。それで、思いっきり殴ってみろ。”
 と自分の肩を突き出しました。私は、これは逃げないとやばいことになる、と、本能的に察知し、彼の仲間がいないかどうか、辺りを見回しましたが、特にそれらしき姿は見つからず、
 ”ほら、ここだ。”
 と言われるがままに一発、適当に殴りましたが、
 ”なんだそれ、それがお前の本気か。”
 と、ガンと私を睨みつけながら言うので、ムキになった私も、
 ”実は左利きなんだ”
 と言って、今度は左手に拳を作りました。
 ”ちがう。親指は曲げろ。”
 ”オーケー。”
 と、一つ苦笑いをしてから、その男の巨大な肩に、思いっきり、一発みまいました。
 ”もっとだ。”
 この大男は、口をヘの字にしたまま、びくりともしません。
 バシン!
 ともう一発。
 ”もっと。”
 バシン!
 ”もっと!”
 ”ハッ!”と声を出して、
 バシッ!
 ”もっとって言ってんだろ!!”
 男は大声で叫ぶような声で、興奮しています。正直に言って、私はもう恐怖のあまり、全身汗びっしょりで、足も震えていました。カウンターで一発でも殴り返されたら、ひとたまりもありません。
 ”なんだ、お前、怖いのか!”
 ”もうやめよう、これで抱き合って終わりにしようじゃないか。”
 ”バカヤロウ!それはお前が一発本気でかませたらだ。”
 こいつ、絶対、しまいに一発は殴り返す気だろうと、ひやひやとしましたが、それでも、また、
 ”もっと!”
 ”大丈夫だ、オレは殴り返さないから!もっと強く!”
 と言われ、もうどうにでもなれ、と吹っ切れた私は、
 ”オラッ!”と、強く声を出しながらもう一発を突くと、
 私の手首がミシっと悲鳴をあげて、激痛が走りました。
 ”ヨシ。”
 と言った彼は、私を熱く抱きしめた後、私の肩を掴んで、目を真っ赤にして見つめ、酒臭いつばを吐き散らしながら、こう大声で叫びました。
 ”恐るな!この街はお前に噛み付いたりやしない!だれもお前を殺しやしない!いいか!叫べ!叫ぶんだ!”
 といって、そのまま勢いよく、工事中の隣のビルの鉄管の骨組みに手をかけると、ガシガシと揺らしながら、よじ登っていき、建物の4階、5階、もはるかに越えて、グワリ、グワリ、と駆け上がっていき、ニューヨークの高い青空に向かって突き立ったビルの上で、拳を突き立てると、思いっきり自分の胸を叩き、空も破るような怒号で、
 ”ウラァ゛ーーーーー!!ウゥゥゥウ゛ー!!!!”
 と叫んでみせたのでした。


  

 
 
 
 

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