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結婚とお付き合い

浮いた話ではなく、イベント総括からのスピンオフ的お話。

今年のデザートイベント全4回を通して「マリアージュ」と「ペアリング」の違いを自分なりに落とし込めた(と思っている)。

この「ペアリング」なる言葉を初めて知った時はマリアージュと何が違うのか?と疑問に思ったけれど、体験していくうち、作っていくうちに「そういうことか」と納得した。

確実性の高いもの、つまり大多数の人がYESとして受け入れられる組み合わせをマリアージュ。
プレゼンテーターの感覚に委ねるものをペアリング。
と解釈した。

だから前者は言葉の意味通り「結婚」。
では後者は?
これはたぶん仲人(って今どきの人はわかるのか?)あっての「お付き合い」である。
つまりその結果にYESとNOがあって良いって事。

よってペアリングはその仲人たるプレゼンテーターの個性が出ないと面白くならない。
ポイントは「あくまでプレゼンテーターの独断と偏見に委ねる」というところ。
悪く言えば「丸投げ」でもあるので、極論ではそれが理解不能であっても誹りや非難を受ける謂れはなくなる(「選択権をこちらに委ねたんですから」とか「あなたと私では感性が違ったんですね。残念ながら」などとして)。
だからと言って受け手があまりにチグハグだったり独善的に過ぎると感じるものはそうそう出てこないと思うし、出すのが許されるものでもないと思う(一度、けっこうな有名店でやられたことがあるけど、あの時は「どけ、俺にやらせろ」と心底思った)。

この匙加減が楽しくも難しいところで、キワを攻め過ぎると上記のような事になるし、かと言ってセーフティに寄り過ぎるとマリアージュに近い着地で意味を成さない(ならペアリングって言うなよ、と)。
一見、不似合いそうなカップルでも「コアではお似合いだと『思うのですよ、ワタクシ』、皆さんいかがでしょう?」というプレゼンテーションにしないと楽しくない。
つまりペアリングは基本的に「何が出てくるのか?」という期待感があってナンボ。
冒険的、実験的な提案であるべきなのだ。故に「ケーキ×シャンパン」なんて無思考で「誰が見たってお似合い」なのは本来あり得ない。それ、結婚前提じゃないか。その遥か手前、手を繋ぐのもギクシャクしているようなとこが見たいんだよ。

とは言え、僕のような凡人(かつ怠け者)が真に革命的であったり革新的であったりする-つまりギクシャクしている-ような体験を提供できるわけもなく、辿ってみれば何番煎じか解らないような体験提案になっているのもまた事実。
もちろん、そこには自分なりの解釈とアプローチでカクテルにしている自信はあるが。

言い訳がましいけど、全くのゼロから産み出される物や事はもう無いとも思っている。
気鋭のシェフが作る料理や世で注目を集めるアーティストが作る作品だって似たもの、近いものは歴史の中に必ず存在しているわけです。
人の作るモノなんて時代は違えど大して変わらないし、思考だってそんなに大きな開きがあるとも思えない。だからいつの時代だって切り口を変えてどれだけ新鮮-或いは斬新-に見せられるかだと思う。たぶん。

今さら世を驚かせるようなことが自分に出来るとは思えないので、犀の角のようにただ歩む事しかできないし、それがなによりだと書いていて思いましたとさ。

…いや、そんな立派なもんでも無いか。

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