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2.ADHDが大学教員になるまで②院生サバイバル編

 学期末は、授業も終わりでほっと一息…といきたいのですが、そうもいかず、バタバタしている間に前回から間があきました。成績評価、個別対応、試験監督、ゲラの校正、論文投稿、学会から仰せつかっているお役目、秋学期の授業準備に会議、夏休みの研究出張に向けた準備などなど、本当にこの仕事はマルチタスクだと思います。
 さて、では、本題に入ります。


ADHD、社会人院生(修士課程)になる

 よく言われることですが、大学院は、指導教員との相性が本当に大事だと思います(これは、後になって周囲の院生と先生の関係をみていて強く思うようになりました)。
 私の場合、大学院修士課程進学にあたり、まず、指導をお願いしたい先生のところに出向いて、直接お話をして、受けていただけるかを伺いました(もちろん、院試に合格したら、ですが)。
 個人的には、「自分が納得いくか」「人として尊敬できるか」「信じられるか」、こういったところが指導教員を選択する基準だと思います。もちろん、研究分野の適合性も重要ですが、多少ずれたとしても私は上記を優先します。なぜなら、自分に合った指導を受けられないと、モヤモヤばかりが溜まり、ストレスになるからです。
 私の場合、モヤモヤやストレスとの付き合い方が上手ではありません。また、衝動的に思ったことを口走ったりいろいろと気がそぞろになってしまうので、度量が広く、かつ、進むべき道を示してくれる教員に出逢えたことは本当に幸運でした。

 修士課程は授業もあるので、レポートの期日コントロールに苦労しました。このころはまだアナログで、手帳やポストイット、メモなどを活用して、to do リストをつくり、管理していました。それでも、そもそも計画を立てるのが下手なので、詰め詰めで現実的に不可能な予定を組み、ギリギリになったり、一気に夜中に何本も片付けるということもザラにありました。
 夜中の方が音が少なく集中できますし、仕事をしている以上、どうしても夜になる傾向はありました。関連して、家で集中できない時はよくPC持ち込みでネットカフェなんかも活用していました。なかには、カフェやファミレスでされる方もいますが、周囲の雑音が気になる私にとっては、個室が確保されていて静かに集中できるネットカフェのほうが向いていました。
 また、自分のスケジュールの中にあらかじめ、「何月何日、何時~何時、どこで、なにをする」ということを決めるようにもしていました。ただし、急なアクシデントが生じて予定通りいかないとき、プチパニックになることもありました。そのため、のちには、スケジュール帳に「空白の日」(何も予定を書き込まない日)をつくるようにしました。
 昔は、スケジュールがみっちりのほうが安心できていましたが、少しずれるだけで混乱するので、「空白の日」をつくることで、予定変更にも対応できるようになり、余裕もうまれました。
 指導教員にしても集中してレポートや作業をする場所にしても、自分に応じた環境をいかに見つけるか、が大事だと思います。
 もうひとつ、私にとって大事だったのは、ともに学ぶ院生仲間の存在です。院生仲間とともに勉強会をして、互いの論文報告をして意見交換をする機会がもてたことは有難く貴重な機会でした。研究について話し合う時間や仲間をもてることは、孤独な院生生活にとって精神衛生的にも研究の進展にも重要だったと思います。元来、雑談は苦手ですが、大学院生として研究を進めている仲間という共通項があったので、ここでできた仲間との勉強会は本当に楽しいものでした。

修士課程修了、博士課程へススム

 修士課程でのメインは、もちろん、修士論文を書き上げることです。私は、文系で、かつ、学部卒業から細々と資料や文献を収集して整理していたので、ほかの人に比べると苦労していない部類かもしれません。追加で資料や文献を集め、整理・分析し、文章化していきました。
 ただ、多弁なので、文章を「たくさん書く」ことは得意だったのですが、論理的一貫性のある論文を書くという点では、苦労しました。おしゃべりと同じで、話が行ったり来たりするからです(noteもそうなりつつありますが、これはこれでいいかなと思って、思いつくまま書いてます)。
 そのため、修士論文を書くときは、カレンダーの裏(大きいのでこれが一番よかったです)に、ロジックツリーもどきをつくりました。「もどき」なので、ちゃんとしたものではなく、自分で何をどの章に書くか、ということを視覚化してわかるようにする目的でした。視覚化は、やっぱり大事で、これによって横道に逸れずにポイントをおさえて書き進めることができたと思っています。
 あと、私の場合、指導教員との1対1の指導は、さほど頻繁ではありませんでした。1か月~数か月に1回程度でしょうか。こちらから「できたところまで見てください」というかたちでした。集中力にムラがあり、中間報告などの節目に向けて一気にブーストをかけるタイプの私にとっては、このやり方が合っていました。
 こうして、なんとか修士論文を書き上げることができました。ただ、書き上げてみると、全然足りないということがみえてきて、課題ばかりが残った状態ではありました。修士論文提出後の私は、博士課程にいきなり進学するのではなくしばらくはゆっくりしつつ準備を整え、行きたくなったら行こうかな、くらいのスタンスでした。しかし、指導教員の退官が近づいていることや周囲の後押しもあり、結局、流されて、博士課程へ進むことに…。思えばこれが悪夢の始まり(?)でした(笑)

博士課程サバイバル

 文字通り、博士課程は、身体的にも心理的にもサバイバルでした。修士課程とはレベルが違う世界なのです。語弊があるかもしれませんが、修士課程は、だいたいの場合、一生懸命書けば(そしてそれが一定の基準を満たし、かつ、論理的整合性をもっていれば)通してもらえると思います(理系はわかりませんが)。博士課程の場合は、求められる水準が違います。博士課程では、それまでだれも発表したことのない新しい知見を出すことが求められます。しかも、それが社会的にも研究的にも意義がなければいけません。
 加えて、周囲を見渡せば、最低3年といわれる博士課程で、その倍以上在籍している人がゴロゴロいるのです…。昔は、博士号を博士課程在籍中に取れること自体がレアだったので、それを思えば今は博士号取得は楽にはなっていると思います。それでも、周囲には、博士課程に長年おられる方がたくさんいました。長年在籍して博論を出せればよいのですが、満期退学という方も少なくありませんでした。その状況を知ったときには、時すでに遅し。博士課程に進学したあとでした。
 そんな状況なので、私にとっては、博士課程は、蟻地獄の世界です。這いつくばって這いつくばって必死に穴から出ようとしている自分のイメージが脳内に鮮明に浮かび、いつまでも出られないのではないかという恐怖を抱え続けていました。
 「入った以上は、なんとか博士論文を提出したい」
 その一念で、博士課程に進学してから、私は、それまでの生活のあり方をかなり見直しました。

博士課程サバイバル戦術

 さて、生き残りを懸けた博士課程。優先順位付けが苦手な私も、このころには、「博士論文提出」を優先順位の第一位に置くようになりました(優先順位をつけること、大事です)。そのため、いろいろと試行錯誤を繰り返しつつ、結果的に、次のことをしました。

1.仕事を絞る
 博士課程1年目はまだフルタイムの仕事と非常勤講師の掛け持ちをしながらでしたが、それではとても時間がないことに気付きました。そこで、博士課程2年目以降は、非常勤講師のみに絞りました。非常勤講師は、教歴になるので、のちのことを考えても残しておくことが得策と考えたからです。ちなみに、非常勤講師の仕事は、研究会や院生仲間から紹介してもらいました。その意味でも、縁はとても大切だと思っています。

2.趣味を断つ
 博士課程に進学して、犠牲を払わねば出られない世界だと感じました。私は、そんなに器用ではないので、いくつものことはできません。私には、ずっと週に1~2回で続けていた趣味がありましたが、毎回、それで取られる時間と体力を考えたとき、いったん、離れることにしました。

3.計画、計画、そして計画
 道のりは果てしなく長く、ゴールが見えません。けれど、すべきことは満載です。がむしゃらに動いても、蟻地獄の深みにはまり、わけがわからなくなるだけでした。そのため、とにかく計画を細かく立てました。もともと計画性がなく衝動と思い付きで動くので、計画を立てることも実行することも苦手でした。だから、何度も書き直しながら、いつも机の見えるところに貼って、意識するようにしていました。
 具体的には、いつまでに何を終わらせるという研究スケジュールがひとつです。私の場合、学会発表と論文投稿をそれぞれ年に2回することを目標にして、どこにいつまでに出すかも決めていました。それをすることで、すべきことを細分化し、短期目標の設定が可能になりました。博士号取得にあたっては、査読付き論文が必要なので(本数は大学により異なる)、その条件クリアにもつながるものでした。
 研究計画も、大学院に提出したものから何度も書き直してさらに細かくし、博士論文の全体構造(どの章に何を書くか)をエクセルで表にして視覚化し、いつも手元に置いていました。この研究計画をつくるのに相当の時間を使いましたが、ここに時間をかけて緻密なものをつくれば、かなりやりやすくなると思います。

4.アプリ管理
 計画を立てても、まだ足りません。1日に何をするか、1週間に何をするか。目標に向けて逆算し、すべきことを細分化して洗い出します。これが膨大なので、とても管理しきれません。メモしても、メモをどこかに置き忘れてしまうこともあり、しょっちゅう忘れていました。そこで、タスク管理のアプリを使うようにしました。何をすべきかわかるし、終わって消した時が快感でした。
 同時に、睡眠管理アプリも併用していました。これは、修士のころから使っていましたが、集中すると時間を忘れて没頭してしまうので、そのコントロールの意味でも、視覚化できるアプリは重宝しました。
 もうひとつ、アプリではないですが、ポモドーロテクニックを活用していたこともあります。詳しいことは調べてほしいのですが、注意がいろいろな方向に向かう私にとっては、1回で1つのことをする、というポモドーロテクニックの考え方は役に立つ部分もありました。ただ、合わない部分もあり、のちにはやめましたが。

5.環境整備のための投資
 非常勤講師のみだったので、財政的にはかなり厳しかったです。けれど、自分が集中できる環境整備のためにはお金を使いました。たとえば、椅子やネカフェ代です。あとで書きますが、いろいろと体にきていたので、椅子は、長時間座っても体に負担の少ないものを選びました。また、ネカフェは、先に書いたように、集中して一気にやりたいときに、資料や文献をもってひきこもっていました。そのためのお金はケチらないようにしていました。

まとめ?

 今回は、私なりの院生サバイバル術を書きました。いろいろと書きましたが、結局、自分に合った方法を早く見つけることが何よりの近道と思います。
 個人的には、薬でコントロールする部分と生活の中で工夫する部分の棲み分けも必要と考えています。生活の中での工夫を見つけることで、私自身は、かなり楽になりました。
 今回は、研究に絞った工夫が多くなりましたが、生活のなかでの工夫なども折に触れて書いていきたいと思います。
 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
 
※写真は、沖縄の今帰仁です。

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