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多読・濫読・雑読・精読・積読それとも?

みなさんは、本や資料を読むとき、どんなスタイルで読んでいますか?

幅広い知識を身に付けるためには、あらゆるジャンルの本に一通り眼を通すことも必要であり、一見、何ら脈絡の無いようなカテゴリーの本を同時に読んだり、時として、ある分野の専門知識を徹底して身に付けたいと願う時には、1ページに2時間をかけて読むときもあります。

熟読のメリットは、書いた人のレベルまで深く読み込むことで、知識を深めるだけでなく、ものの見方や考え方まで習得できる点にあります。

いくつかのジャンルで熟読をしていくと、ジャンルは違っても、ものの見方や考え方に共通した原理原則が見えてきます。

濫読のメリットは、幅広い知識を身に付けるために必要ですが、知識は知識であってすぐに実践では役に立たない場合が多いものです。

しかし、多くの分野の知識を習得しておくことは、新しい分野の仕事にかかるとき、糸口への対応が素早くできる利点があります。

また、時間の無い場合は、斜め読みをして、ポイントだけデータベースとして脳みそに擦り込んでおくことも必要ですね。

いずれにしても、本は私たちが限られた時間のなかで、経験のできないステージを安価なコストで提供してくれる点にあります。

ただし、これだけ多くの本が毎日出版される現代にあっては、良書と悪書や愚書の区別が難しくなって、きています。

でも、読書というものを、あまり窮屈に考えないほうがよいのではないでしょうか?

前述の文章と矛盾する様ですが読んだからには、何かそこから教訓を学び取らなくてはならないとか、だからまた、大きな教訓が得られるような“良書”だけを選んで読もうと心がけるのは、これは大へん結構なことなのですが、しかし、じつは、あまりそう窮屈に考えず楽しむための読書のあり方もあります。

そう考えたのでは、読書というものが、ぎすぎすした、何か気重なものになってしまいます。

重苦しく、楽しくないものになってしまいます。

読書は、ほんとうは楽しいものですよ(^^)

気の向いたときに、読みたい本を読む・・・・・・

それでいいと思います。

世間には、よく、良書だけ読もうというようなことを考えて、そのうちにすっかり気重になってしまい、結局、本には手をださなくなるというふうな人もいます。

実際には読んでみないことには、それが良書かどうかも本当はわからないわけです。

読もうか読むまいか、と迷っていないで、迷っているひまに読みはじめたらいいのかも。

でも、せっかく期待して読んだのに、こちらの求めているものが、その本からは得られなかったというようなことも、それは全然ないわけではないのですが・・・・・・^^;

でも、また、求めてはいなかったが、やはりそれも知っておいたほうがいいと思われるようなことの一つや二つは、きっとそこから得られると思います。

やはりあの本も読んでおいてよかった、と後でしみじみ思うようなこともありますから(^^)

それでよいのではないでしょうか?

せっかちにならないことですね!

そして、あまり欲張らないことです。

よく言われるように、目先きで欲張ると、かえって損をしますからね(^^)

本は、わたしたちの友だちになれる対象のひとつです。

でも、気のおけない友だちになる可能性もあります。

また、ときとして、かなり手きびしい批判を加えてくれる友でもあります。

現実の生活において、廻りの人達に求めて求め得ないものがあるからこそ、わたしたちは友だちを拵らえます。

いろいろなことで、話しあいや相談に出かけていきます。

そして、そこで満たされないものを、反対に近くの人に期待したりします。

つまり、日常生活において、ひとりの人間にすべてを期待することができないように、一冊の本にすべてを要求するのは、はじめからムリな話なんですよね^^;

書物にはそれぞれの持ち味がありることを、まず、知っておくべきですね。

一冊の或る本が、ほかの友人には求め得ない、ひとりのよい友の役割を果たしてくれたら、それで充分とすべきではないでしょうか?

わたしたちが現実の日常生活において、なん十人、なん百人の複数の人間とのつきあいのなかで、辛うじて自分の要求を満たし、また、それらの人びととのつきあいのなかで、揉みつ揉まれつ自分の“人間”を成長させていっているように、数多くの本に接することで、自分の要求がかなえられるのだと思えれば、本を手にとって、読んでみる価値もあると思います(^^)

また、そのことで、自分の人間的成長が得られるのではないかと思います。

読書とは、そうしたものだと思うのですよね!

けれど、また、友だちをたくさん拵らえるといっても、その友だちがいつも似たりよったりの人たちばかりだと、かずは多くても、これはお互いのあいだに進歩がありません。

成長がとまってしまいます。

いつも相手のいうことにバツを合わせて、ひとをそらさないような“つきあい上手”“お上手もの”なんかも、かずある友だちの中には一人や二人はいるものです、

そんな連中のいうことを真に受けて、いい気になっていたら、それこそおしまいです。

だから、友だちの選びは大事なんでしょうね^^;

それと同じ意味で、本の選びがやはり大事です(^^)

本は選んで読むようにしたいものです!

いつも自分の気もちにぴったりするような読み物にだけ接していたのでは成長はありませんよね。

わたしたちの心の片隅にひそんでる、卑俗な根性に媚びたような、たちのよくない読み物もけっして少なくないのですから・・・・・・

本を選んで読むということは、さっきから繰り返えして言っているように肩の凝るような固苦しい意味でではないのですね。

いつも同じ人とばかり話していないで、たまにはグループ以外の毛色の変った人とも話しあってみることが、生活に幅を増し加わえ、生活に新らしみを添えるように、新らしい本の選択によって、やはり読書の範囲をひろげていく必要があるだろうというまでのことなのです。

そのほうが読書にハリが出てくるし、生活が楽しいものになるから(^^)

そのための現実的な対策としては、やはり、まともな本を選んでそれを数多く読むようにする、精読する読み方が良いのかもしれません。

多読と精読は矛盾しませんしね!

一冊の本をいくら時間をかけて読んでも、ズレた読み方をしていたのでは、結果は“雑読”“濫読”ですし、多読でも読み方がまともでなければ、というわけです。

けれど、どちらかといえば、多読のほうが、良書・悪書を見分ける目もできるようですし、したがって“かんどころをつかんだ本の読み方”“まともな本の読み方”を早く身につけるようになるらしいのですよ(^^)

自分の読書の傾向をつかんで、違ったかたちの友が増えていければいいですね(^^)

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