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子育てって何歳まで? あべの考え。

 僕の答は他の記事にも書いたけど、もう少し、書いておきたいことがある。

 あべが、あべなりの「子育て観」を身につけた背景の話。

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 父の最終学歴は「工業大学中退」〜父を大学に行かせた伯父の話。

 僕の父は工業大学中退です。その詳しい事情は知りません。ただ、そもそも「大学に行く」という選択自体に様々な葛藤があったということだけは、ここ数年、親戚などから少しずつ聞きました。

 昭和32年、東北生まれ。農家。男三人兄弟の末っ子。

 それが僕の父。

 父の兄(僕の伯父)は、長兄は農家を継ぎ、次兄は今で言うワーキングホリデーでブラジルに渡ってそれから30年帰ってこなかった。長兄は、農家を継ぐために学業を諦めたのだという。それなりに広大な土地を持つ農家だったから、当時ならそれも無理ないことなのだと思う。

 当然、父は進学か就職かを迷うことになった。そして長兄が言ったのだという。

 「俺は大学に行けなかった。でも、お前の学費は俺がなんとかしてやるから、やりたいことがあるならお前は大学に行け。」

 農家をやりながら、ケータイのセールスや山菜の販売、飲食店の経営までやっていた伯父を知っているだけに、その話を聞いた時には妙に納得してしまった。そういうことを言いそうな人だ、と。

 そんな兄の支えがあって、僕の父は工業大学に行った。中退した理由は知らない。父の最終学歴は「工業大学中退」だ。


 僕のこと~当然のように大学に行った、普通のつまらない男の話。

 僕は男三人兄弟の長男だ。いや別に「長男」とかはどうでもいい話だが、ただ、家庭内に「前例がない」というのは今回は大切なところだ。

 中学校3年の時、担任の先生は、就職するか否かの選択などはなから存在しないかのように、進路指導で「どこを受験する?」と訊いてきた。僕はそれを不思議にも思わず、当然のように受験をして、普通の公立高校に行ったのだ。

 高校3年の時、今度もやっぱり「どこを受験する?」という、「大学か専門学校への進学が当然」という空気の中で受験生になり、結果、普通に私大文系に進学した。

 ただ、この時期の父との数少ない会話を今思い返して「すごいなぁ」と僕は思うのです。

 父は、僕が当然のように志望校を選んでいる様子を見ながら、何も文句は言わなかった。僕が志望校を決めた時にも、その理由を一言二言尋ねただけで、他に何も言わなかった。それは、どこにでもある当たり前のやり取りだと思っていた。

 今の仕事に就くまでは。


 あべの結論~そして僕がnoteで「子育てって何歳まで?」と質問したわけ。

 僕は、子育てとは「22歳まで」なのだと思っている。つまり「子どもが大学を卒業するまで」だ。

 理由は簡単。大学をきちんと卒業してほしいと思っているからだ。

 ただそれは、あくまでも「今」僕が考える、子どもが大人になるプロセスの一区切りがそこだと思っているという話で、今まだ子どもがいない僕にとって、少なくとも20年くらい未来の話だから、その時、時代が「大学なんて普通いかないよ」となっていたら、「18歳まで」になるかもしれないし、反対に「修士取るのが普通だよ」という世の中になっていたらもう少し引き上げるのかもしれない。

 僕が、僕の父を「すごいな」と思ったのはそこだ。

 父が高校生の頃、特に父のいた東北の田舎町ではきっと、「大学進学」なんてマイノリティだったと思う。そして、理由はわからないけど結局、父も中退した。(いや、当時は「中退」も決しておかしくはない、「よくある話」だったのではないかと思う。)

 父は中退後、機械をメンテナンスする技術者としてキャリアをスタートし、僕の知る限り、30代後半で現場を離れ、それなりの出世をしている。僕が大学進学するにあたって、奨学金を受け取るために提出した父の当時の源泉徴収は、今冷静に考えると、「そんなにもらってたのか、45歳で。」と少し驚くような金額だった。つまり俗な言い方をすればたぶん、かなり順調にキャリアアップしてきた「デキる奴」なのだ、僕の父は。

 「大学に行く」それは僕にとっては当然のような話だったけれど、父自身の人生にとってそれは当然のことではなかった。そして中退した。それでも順調にキャリアアップした。結果だけを見れば、父個人にとって大学は「卒業しなくても大丈夫」と言えるものだ。でも彼は、そういう考え方はしなかった。「俺がどうだったかは関係ない。今の時代は、高校出たら、大学に行ってから就職するのが普通。」という感じ。自分が生きてきた時代と息子が生きている今は違う時代だということをきちんとわかっている人なんだ。それが凄いと僕は思う。

 時代の変化を無視した「自分の生き様」を押し付ける親。

 僕は今、不良と呼ばれる子たちとその家族に関わる仕事をしている。

 5年前、この仕事についたばかりのとき、不良息子とその父親の会話の中に衝撃を受けた一言があった。父が、偉そうに息子に言い放った一言だ。

 「学校なんて行ってどうすんだよ、俺だって高校なんか通ってねえけど、立派に仕事してんだぞ。学校なんか行かねえで働け!お前ももう16なんだから。」

 衝撃的だった。

 16歳。中学までの義務教育を終えたからお前ももう働くべきだ。そんな感覚自体も驚いたが、それ以上に、「俺が学校行かずに働いて、今、立派になったんだから、お前も学校行く必要はねえ」という、自分の人生以外の尺度を全て度外視したその「教育」に驚愕した。なんだそれは、と。

 その父親は、確かに今、それなりにきちんと仕事をしている。だけど、自分が今それなりになっているからといって子どもが勉強しなくてもいい理由にはならないではないか。

 あれから5年。僕は毎年、年に何回も似たような親子の会話を耳にして、その度に耳を疑い、ひどい言い方だが、「あんたがそんな親だから、こいつが平気で学校サボって不良になってんだよ。」と呆れ返る。

 勉強や進学については「俺の時代は」というくせに、スマホやなんかは平気で息子が小学生くらいの頃から持たせてるんだ。自分が嫌いで逃げたものは「だからお前もやらなくていい」と言いながら、今自分が便利に使ってるものは「お前も使えば?」と与えるのだ。

 大学不要論とか、様々な考え方があるのは僕もわかる。だけど、自分の劣等感をなぐさめるために「お前も別に進学する必要なんかねえんだ」と強がって、「俺は子どもを子ども扱いはしないんで」とそこらの教育者の言葉を歪めて使って自分のいいかげんな子育てを正当化する、自称きちんと子育てしているバカたれが、実際に世の中にはたくさんいるんだ。

自分の息子が不良になって人様に迷惑ばかりかけていることに、「自分も被害者だ」みたいな感覚でいることに僕はいつもびっくりするのだ。

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 僕が「子育てって何歳まで?」と書いた時、いろんな方がそれを取り上げてくれた。そして、それぞれのスタンスで答えてくれた。本当に嬉しかったし、安心した。どれも、自分の生き方を押し付けるような考え方ではなかったからだ。

 時代は変わる。だから僕も、自分の生きてきた道は参考にしてもらいたいとは思うけど、僕の人生と同じ人生を強制しようとはこれっぽっちも思わない。

 ただ、僕は別に偉そうなことは言えないしできないけれど、自分の親としての不甲斐なさで、子どもの可能性が閉ざされるようなことだけは嫌だ。

 22歳という僕の結論はつまり、大学に行きたいと子どもが考えたとき、「うちにはお前を大学に行かせる余裕なんかない。働け!」とは絶対に言わないぞ、という僕なりの覚悟だ。

 子どもがそれを受け取るかどうかはまた別の話。20年くらい先の楽しみにとっておく。


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今日はこんな子育てしてみました 1st.』(共同マガジン第1期はこちら。)

希少種【B型左利き】のナナメのメ』(勝手気ままなコラムです。)

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