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交響曲第2番「四つの気質」【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

ニールセン (C.Nielsen) 作曲
Symfoni nr. 2 “De Fire Temperamenter”
(CNW26 /1901〜02年) 
 
交響曲 第2番「四つの気質」op.16

 

 こんど、9月1日(日)のクラシック音楽館(NHK)では、パーヴォ・ヤルヴィ指揮で、ニールセンの交響曲 第2番「四つの気質」が放送されます!

N響第1915回定期公演 (2019年6月8日、NHKホール)
指揮 パーヴォ・ヤルヴィ
 
マーラー こどもの不思議な角笛
     (バリトン マティアス・ゲルネ)
 
ニールセン(ニルセン) 交響曲 第2番 ロ短調 作品16
          「四つの気質」

 パーヴォ・ヤルヴィがN響でニールセンを振るのは、私の記憶に間違いになかったら、交響曲 第5番に続き、2回目になります。
 せっかくなので、ニールセンがはじめての人でも楽しめるよう、鑑賞の手引きを書いてみました。

※スコアはこのサイト↓の作品タイトルをポチると出てきます。

 

・◇・◇・◇・

 

6つの交響曲のなかでの第2番の位置付け

 ニールセンには6つの交響曲があります。どの交響曲ひとつとっても、似ているものはありません。すべての交響曲が進化し変身し続けています。
 こんな作曲家は他には見当たらず、曲の出来栄えがどうだろうとこうだろうと、とにかくその「一生若い」とでもいうべき精神にはしびれてしまいます。

 交響曲においてニールセンらしさがひとつの完成を見せ、自己が確立するのは、第3番「シンフォニア・エスパンシーヴァ」です。この後、第4番「不滅」で新しい取り組みをはじめ、従来の交響曲の枠をぶっ壊した交響曲を作り続けます。
 交響曲の作曲自体は第6番「シンフォニア・センプリーチェ」で終わってしまうのですが、新しいクラシック音楽の模索は、フルート協奏曲クラリネット協奏曲に引き継がれます。この2つの協奏曲は、実質的に、交響曲の系譜に並ぶものと見るべきだと思います。

 その手前の時期に作られた第2番「四つの気質」は「ニールセン未満」の過渡期の楽曲だと私は評価しています。
 ニールセンらしい、明るく澄みわたった軽やかなサウンドはまだあらわれず、交響曲 第1番同様の、どちらかといえば鈍重な濁りのある響きがします。
 だけど、ニールセンらしい性格……とにかく前向きなこと、前進を目指すこと、ユーモラスなこと、朗らかなこと、地に足が付いていて堅実であること、聴衆を文句なしにハッピーにすること……が、交響曲として初めて全面に発露されているのも、この「四つの気質」です。

 さらにいうと、初期のニールセンって、まだ「自分らしさ」が完成してないのに、音もメロディもめっちゃ「ドヤ顔」なんです。
 この「若気のいたり」過ぎてこっちがちょっとイタくなる感じ、「新しいものをオレが作ってやる!」的なドヤった勢いも、この時期のニールセンの愛すべきポイントです。

 

4つの「気質」を磯野家にたとえると……

 さて、「四つの気質」はタイトルのとおり、各楽章が、「癇癪持ち」「ゆっくりさん」「おちこみやすいぐちぐちタイプ」「活発にぎやかお調子野郎」と4つの性格を表しています。いや、もちろん、ニールセンはこんな表現はしていません。が、あえてわかりやすく表現するとこうなります。
 そして、全楽章をとおして、それらの気質がユーモラスに表現されています。

 第1楽章は「バッカも〜ん!」と噴火する「サザエさん」の波平みたい……てか、そもそも、波平がかんしゃくを爆発させた瞬間からはじまります。第4楽章だって、単に陽気でにぎやかなだけでなく、おっちょこちょいな雰囲気で……あっ、これはもう、ほぼカツオですよ、磯野家の。

 あのう……みなさんすみません。
 波平にたとえてみて、いま気がつきました。この交響曲、全体的に人間くさくて、ユーモラスなんですが、それってすごく、サザエさんの世界的なあたたかさや、ほがらかな雰囲気とそっくりなんです。
 なので、どんどん磯野家にたとえていってみたいと思います。

 第3楽章は、憂鬱な気分満載で、異色の楽章なのですが、その一方で、「ちょっと大げさに嘆きすぎだろ!?」みたいにカリカチュアライズされている感もあります。
 だからといって、ほっとけなくて、結局は「よしよし」してなぐさめてあげてる雰囲気があるのが、ニールセンらしい、いいところなんですよね。
 磯野家にたとえると、会社でやらかしてしまった……と、ため息つきまくりのマスオさんと、それをなぐさめるサザエさん、みたいなものでしょうか。心配ごとって、悪い方向に想像しだすとますます不安がふくらんでいくものですが、そのことも音楽で絶妙に描写されていて、「ああ、どうしよう……サザエ〜」と頭をかかえる増岡弘さんの声が聴こえてくるような気がします。

 第2楽章は夢見る天然キャラで、どこかしらおまぬけさんなのがかわいくて、個人的にはいちばん大好きです。後半に、ティンパニがどんっ!となって、びっくりする瞬間があり、そこはもう、手放しにかわいい!
 むかし、目覚まし用のカセットテープを作っていたのですが、ぽや〜んとした半睡半覚な感じが気持ちよくて、目覚めの1曲目をこれにしていました。
 この楽章にぴったりな磯野ファミリーは……あえていうなら、おっとりとしたフネ、夢見がちなワカメ、でしょうか。けど、第2楽章って、フネやワカメみたいにしっかり者のキャラには思えないんですよね……。

 

 なによりも特筆すべきは、キャラとして動きだしかねないくらい、各感情の描写が的確なことです。
 自分が腹が立ったとき、落ち込んだとき……とかとかと重ねながら聴いていると、「たしかに、こういうルートで気持ちをおさめようとしたり、逆に感情が高まったりするする!」と、手触りを感じるくらいリアルです。それはまるで自分の分身を観察しているみたいな感じで、真剣になればなるほど、なんだか可笑しくなってきます。

 こむつかしいことに立ち入ると、そもそも「この曲は表題音楽かどうか?」という議論もあるようです。
 が、私自身は、表題音楽だろうかなんだろうが、「描写の名手のニールセンが具体的なものを思い浮かべずに音楽を書くわけないじゃん!」と思っています。だから、最近は、抽象的なものを描いた音楽として理解することは放棄していますし、具体的なものを想像していくほうが理解がスムーズなように感じています。

 そもそも、第1楽章の冒頭なんか、

 「ドッカーン!ドッカーン!
 わしゃ、心底怒っておるのだぞ、こりゃ!」

 ……って、いきなりセリフ言いながら始まりますので。

 え?
 冒頭過ぎて聴き逃したって?
 大丈夫です。すぐに2発目がきます。

 「ドッカーン!ドッカーン!
 クソっ、この腹立ちをどうしくれようかっ!カツオーッ!」

 ……って。
 で、そのまま、波平が怒涛のようにカツオを説教しはじめます。

 この冒頭からの第一主題の提示だけで、「こりゃたまらん、そんなに怒らんでもええやんか……」とでも言いたげな、説教される側の閉口ぶり、戦々恐々ぶりももらさず表現されているので、ニールセン、マジでさえています。
 もちろん、こちらも説教される一方では大変なので、おそるおそる反論を試みるんですけど、またこんこんと説諭されるんですよ……これが。

 

 ……こんなふうに、各楽章ごとに、サザエさんファミリーを想像してみたり、「激怒してる人」「ぽや〜んとして、ちょっとあぶなっかしい人」「グチっぽくなってる人」「はしゃぎすぎの人」を目の当たりにして、いままさに自分が相手をしている、と思いながら聴くと、音楽に入りこみやすいと思います。

 そして……音楽全体をとおしてなんだかんだあって、第4楽章ではカツオが調子にのって、なにかとやらかし気味になりつつも、最後には、

 「じゃーん!
 やっぱりボクってすごいんだなぁ!」

 なんて、きめポーズとりながら終わる、と理解しておいて間違いはありません。

 

 ついでにいっちゃうと、ニールセン自身は、内面は波平のごとく、非常に実直な人であるのが音楽からうかがえるのですが、キャラ的には第4楽章、ということで間違いないと思います。

 なにせ、写真がまだまだ高価で貴重だったろう時代に、変顔写真を何枚も残しているような人なので……。

 このページ↑、ほかにもたくさんの写真が収録されています。
 ニールセンって、どうやら、ムロツヨシ似のイケメンだったみたいですね……

 

モチーフはシンプルに、音符「にこいち」で

 磯野家のことはいったんおわりにして、音楽的なことも。

 王立図書館の作品解説ページ↓の、各楽章の冒頭の譜例をみていて、気がついたのですが……

 このページ↑の「Music」という項目をポチると、譜例が出てきます。

 全楽章を通じて、3度もしくは5度の上行する音符が「にこいち」になって、各主題の主要なモチーフになっています。
 それぞれ、曲の冒頭でもちいられている如く臨場感をもって書きますとこうです。

 第1楽章 …… シっ #ファー 、ミっ ソー (5度と3度)
 第2楽章 …… シレー シレー シレー (3度)
       (どちらの楽章も、シは「下のシ」です)
 第3楽章 …… ミ♭ーソ♭ーー、ミ♭ーソ♭ーー (3度)
 第4楽章 …… レラレっレーレ、ミ #ドミラっラー  (5度と3度)
      (レラレで1オクターブ上がって、最後のレで
                    下がっています)

 文字だけでは限界があるのですが、なんとなく、「にこいち」感が伝わるでしょうか……第4楽章だけは、にこいちが発展してアルペジオになってます。

 「四つの気質」は、この「上行するにこいち」モチーフで全体が統一されています。なので、にこいちになっている音を探しながら聴くのも、楽曲理解の一助になると思います。

 

 さらに、クラシックにくわしい人はピンときたと思いますが、この音符の「にこいち」、ブラームス交響曲 第4番を意識している可能性がありそうです。

 このページ↑の「楽曲構成」をポチると譜例が出てきます。

 ブラームス第4番第1楽章は、冒頭から、

 シソ、ミド…  ラ#ファ、#レシ…

 という、下行する3度と上行する6度(しかも、6度は回転すると3度になります)のにこいちの音符がたがいに応答しあう、というもの。
 このシンプルなモチーフが楽章全体を貫き、楽曲全体に流れています。

 

 ニールセンの若かったころは、ブラームスは現役で、しかも、クラシック界の重鎮でした。
 ニールセン自身もブラームスにあこがれていたようです。交響曲 第1番ブラームスの影響があることを指摘されているし、実際に、自分で作曲した楽譜をたずさえて会いにいったこともあります。
 当時は、ブラームスに認められなかったらクラシック業界では冷や飯を食わされるような状況もあったろうと思うので、あこがれの人に会える興奮と、自分の将来の命運の分かれ道とで、ニールセンもハンパなく緊張したんじゃないのでしょうか。

 逆に、ブラームスの死後は、その影響力を気にせずに作曲することができるようになった、とも想像されます。ブラームスが亡くなったのは1897年。その5年後に、「四つの気質」が完成したことになります。
 だとしたら、この「四つの気質」は、ニールセンにとってはブラームスへの最後のオマージュであり、決別の歌であったのかもしれません。

 ……書簡などの文献に当たれたら、こんなことも直接確認できるのでしょうが……デンマーク語という壁は厚いです。

 

金管、強烈!……からの、マーラー

 オーケストラの華は、なんといってもバイオリン……のはずなのですが、この「四つの気質」は、とにかく金管楽器の存在感がすごいです。
 とくに第1楽章は、低音楽器もティンパニもガンガン圧をかけてくるので、ときどき、ふと、「いま聴いているのは管弦楽曲でなく、ブラスバンド……!?」「いや、もしかしたら、むかしの東宝特撮映画の怪獣が暴れるシーンのBGM……」と錯覚しそうになるほどで……。

 あっ……そうか!
 だから、ヘッダーの写真に面白い顔のゴジラを選んでしまったのか……!
 たったいま、自分の選択に納得がいきました。

 ニールセンの人生は、金管楽器と切っても切れない縁があります。父親はコルネットの名手だったようですし、ニールセン自身、14歳で軍楽隊に就職し、起床ラッパを吹いたりもしていました。
 このとき体験した音の響きが、「四つの気質」の金管楽器に反映されているのではないか、という気がしてます。
 また、交響曲 第4番以降、ニールセンはだれも真似できないような打楽器使いをし、極めていくのですが、そこに目をつけるセンスも、軍楽隊でつちかわれたものではないかと思っています。

 

 ニールセンより5歳年上のマーラーは、交響曲の中で、しばしば軍隊のラッパや行進曲を思わせるメロディを使用しています。歌曲集「子供の不思議な角笛」も、兵士の哀歓を歌ったものが数曲あり、歌曲としてはかなり異色です。
 マーラーは兵営の近くで育ち、聴こえてくる音楽をアコーディオンで弾いていたそうです。いわば、子ども時代のノスタルジーとして軍隊や軍楽を引用しているのだと思われます。しかし、ニールセンは、自らの軍楽隊員としての経験を、自分にしか作れない新しい音に昇華しようとしているように思われます。
 今度のクラシック音楽館のN響コンサートは、まさにマーラー「子どもの不思議な角笛」とニールセンという組み合わせになっているので、その類似と対比も聴きどころのひとつになるかもしれません。

 また、このふたりは、田舎の庶民出身で、かつ、正規の音楽教育のルートに斜めからやってきて、その時代、その国のクラシック界に君臨した(マーラーはこの時代のウィーンで、ナンバーワンの指揮者であり、一時はウィーン・フィルの指揮者でもありました)、という点でも類似しています。
 たぶん、番組冒頭に指揮者のパーヴォ・ヤルヴィのトークが流されると思いますが、「なぜこのふたり、なぜこの曲の組み合わせか?」ということも語られると思うので、ここは絶対に見逃せません。

 

 それと、これはほんとうに仮説なのですが。

 ニールセンが交響曲で実現したかった音は、パイプオルガンの響きなのではないか?

 と、私は思っています。

 そのことを顕著に感じるのは第4番で、「この響きはパイプオルガンにしか聴こえない」という部分が何ヶ所もあります。
 「四つの気質」が金管楽器強めなのも、パイプオルガンの重低音や、建物をゆるがすような圧を出したかったのではないか、その実験だったのではないか、と考えています。

 このアイデアのきっかけとなったのは、この電子オルガンの演奏です。

 「四つの気質」を「ニールセン未満」と評価していることからもわかると思いますが、この交響曲は、どちらかというと私の好みではありません。だから、もともとあまりまじめに聴いてなかったのですが、このオルガン演奏を聴いてから、評価が変わりました。

 この演奏についてはとにかくすごいから聴いて、としかいいようがありません。途中をカットして短く編曲してありますが、迫力といい、音の捉え方の的確さといい、「四つの気質」の本質に迫っている素晴らしい演奏だと思います。この曲については、これがイチオシの演奏です。
 そしてなによりも、いままさに、この曲の響きににもっとも似つかわしい楽器にアレンジされ、演奏されている、音楽が水を得た魚のように本領を発揮している、ということがビンビン伝わってきます。

 さらに、晩年のニールセンはパイプオルガンの楽曲を数多く残しており、最後の最後、自らが没する1931年に残したのが、パイプオルガンの大作「コンモツィオ」です。
 このコンモツィオという単語、グーグル翻訳にかけたら、「脳震盪」って出てくるんですよね……。イタリア語では「振動」を意味するようなので、心のなかでは「(卒倒するくらいの)大振動」と翻訳しています。
 まだまだ聴き込みの足らない謎の楽曲なのですが、ニールセンが最後に行きついたのがここである、ということは、示唆に富んでいると思います。

 

・◇・◇・◇・

 

 ……と、こんなふうにいろいろと書いてきましたが、ニールセンの交響曲がはじめての人には、まずは「聴衆を文句なしにハッピーにする」というニールセンのノリを感じてほしいと思います。この幸福感は、ジブリ映画を見たあとの心がほっこりする感じとよく似ています。

 また、ニールセンの交響曲は、ニールセン自身が、体ごとノって、いっしょに歌うことを求めている、と感じる瞬間がちょくちょくあります。クラシックだからと身構えて謹聴するよりも、歌って揺れて、全身で楽しんでくれたほうが、絶対にニールセンもうれしいはずです。
 特に第2楽章のメロディは覚えやすく親しみやすいので、鼻歌つき視聴にはぴったりです。コンサートホールではご法度でも、テレビの前なら声援付き上映会みたいににぎやかにやるのはオッケーなので!

 

 あとは、N響がこの良さ、描写の的確さをどこまで表現できるかです。前回の第5番のときは、奏者の気迫がいまひとつで物足りなかったので……ここがちょっと心配なところなんですよね。
 また、「四つの気質」はティンパニの聴かせどころが何ヶ所もあります。N響のティンパニは存在感のあるいい演奏をするので、どんな音を聴かせてくれるかも注目です。

 それにしても、こうやって放送を通して、日本全国津々浦々に文化を届けてくれるNHKは、ありがたい存在です。


 

次回はこちら↓

 

記事は毎回、こちらのマガジンにおさめています。



 

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。