「今日のらんまん」感想つぶやきの方針
NHK朝ドラ「らんまん」について note でつぶやきつづけて3ヶ月たちました。
ちょっとここで、どんな方針でつぶやいているか、まとめてみたいとおもいます。
……え、なんで?、って、自分でもなんかねらいとか基本的な決めごととかがごちゃごちゃしてきたので (^_^;)、自分のために、です。
また、「note のつぶやきをつかいこなしたてみたい(๑•̀ㅂ•́)و✧」というひとにとって、なにがしかの参考にしてもらえるものがあったらいいな、とおもってます。
・◇・◇・◇・
① なぜ note でつぶやくか
単純に、
うつだから
です。
メンタル、つまり脳みそにに負荷をかけすぎないために、Twitter をえらばずに、note のつぶやきをつかってます。
まずひとつめに、複数のSNS や複数のアカウントの管理は脳にとって負担になる、ということ。
それと、他者との活発な交流もメンタルへの負担になるのでいまはあまりもとめてない、ということ。要するに、Twitter の「らんまん」界隈はにぎやかそうだし、否応なく他者が絡んでくるだろうからさけたい。とはいえ、壁打ち、というほどの孤独はさびしい。
note ならネットニュースの Twitterまとめみたいな記事にひろわれる心配もないし。ここでの壁打ちにちかい状態がいまは居心地いい、ということです。
単純でないほうの理由は、
カッコつける必要があるから
です。
これは、オシャレにキメるとか、気のきいたことをいう、ということではなく、そのひとなりの視点やこだわりが見える、ということ。
なんだかんだいっても note はクリエイターむけのプラットフォームであるだけあって、ここにくるだけで、自然とクリエイティブであることや、アーティスティックな感覚を持つことが要求されます。だから、一般的には敬遠されそうだな……と感じるような硬いものや尖ったものも投入できるし、おもいきって針をふりきったものにも挑戦できる。
だから、もし、メンタルが元気だったとしても、私は note でつぶやくほうをえらんでいたとおもいます。
実利的なところでは、
記録に便利だから
です。
タイトルやヘッダーをつけて記事にする、というほどの労力をかけずに、しかし、つぶやくことでひとつ記事ができてしまう、というのは、毎日の放送内容を記録するうえで、とても便利なのです。
しかも、140字にまとめよう、という指向性が働くのがいい。
そのうえ、コメント欄の500文字をつかって、補足もできる。これ、メモ用としても便利だし、コメ欄で補足できる、という安心があるから、言葉足らずでもいいからとにかく140字にしてしまおう、という指向性がより強く働く。ノリ的には、140字で俳句をつくって自分で解説を書く、みたいなものなのですが、このよさは、Twitter にはないです。
後日、まとまった記事にまとめ直すときも、つぶやきが要約、コメ欄が詳しいメモ、というふうに役割分担してくれるので、使い勝手がいいんです。
② なぜ土佐弁で書くのか
そりゃあ、ズバリ、
チャンスだから
です。
基本的に、公共の場での書き物で方言を用いることは禁忌とされています。
だから、こんなときでもないかぎり、方言を使いまくって書きまくってみる、なんて試み、大目に見てはもらえません。
これは、ポピュラーで大衆にウケるし伝わる音楽を作る、というようなことではなく、他人がついてこれようがどうしようがおかまいなく自分の世界をガンガン構築することに邁進する、現代音楽を作曲するようプロジェクト(こりゃまた大げさな……)だととらえています。
こーゆーバカな試みも、note という場だからできる、と考えています。
せっかくなので、この 3ヶ月での気付きもすこし。
メモとして。
書くうちに痛感するのが、イントネーション込みでないと、方言って、伝わらない……ということ。やはり、方言はしゃべるためのことばなんです。
とりあえず「らんまん」が放送されている間は、万太郎の土佐弁から、「こーゆー抑揚でいいのかな?」と想像しながら読んでもらうことが期待できるので、ギリギリでセーフ……と思ってます。
それと、方言は感情を伝えるものであって、硬い内容や理屈を述べるのにはむいてない……というのもつくづく感じます。
いま、世界の最先端の議論に触れようとすれば、英語で交流することなしにはありえない時代になっていますよね。それと同じ構図が、標準語と方言の間にもある、というのは、書けば書くほど痛感します。
とはいえ、ふだんは、硬い内容でも家族とはバンバン方言でやりとりしてるはずなんですけど……おかしいなぁ(^_^;)
また、標準語の読者にむけて書く方言は、日常会話の方言とは、やや異質なものになっていく、ということも感じます。話し言葉としての方言と書き言葉としての方言は、別物にならざるをえないようです。
方言だよ〜(^_^)/、ということを強調するために、特徴的な語尾をあえて足したり、ふるめかしさをだすために古語をまじえてみたり、本来の発声のまま表記すると字面がわるいし、意味が伝わらないから断念、っていうのもあります……たとえば、「ふたり」は「ふたぁり」になりがちだし、「昨日」はときどき「きにょう」といってみたり、なんてのはさすがにそのまま表記できないのです。
あらかじめ、自分の記事で土佐弁の特徴をアナウンスしておいたことで、「さしすせそ → はいふへほ」になりがちな法則が使いやすくなったことや、その他もろもろにはたすけられています。
あとは……そうですね、地の自分で note を書く、ということを繰り返しているうちに、こうやって標準語で書く自分のほうが実は偽りの自分、粉飾された自分であった、ということに気がつき、そーゆー欺瞞性を強く感じる時期がありました。
この記事ではさいわい、そーゆー症状はでてませんが、またどこかで感じることがあるかもしれません。標準語で書く自分、をいかに自己の一部として統合していくか……というより、標準語の書き方自体が統合をめざして変容せざるをえないし、変容しつつある途上なのだとおもいます。
それから、漢字とカタカナの交え方、ひらがなの比率、なんてのも、方言らしさをだしつつつぶやきの主題にふさわしいものにしないといけないので、標準語ですでに確立している書法の法則をあらためて再構築しないといけなかったり、イントネーションを字面でも再現できる表記を工夫したり、まあ、やらにゃいかんかったことはいろいろあってですねぇ……
みんなぁ、チャンスがあったら、
いっぺんやってみぃや!(๑•̀ㅂ•́)و✧
とゆうのが、いまのところの感想です。
そうそう、土佐弁話者の登場人物の内面の考察を土佐弁でできる、っていうのは、その人物の内面で渦巻く土佐弁を標準語に翻訳せず、ダイレクトに言語化できる、ってこともあって、サイコーになまなましくて、なかなかの醍醐味だったりしますき。
③ いつつぶやくのか、と、ネタバレについて
朝の本放送を見れた日は、午前もつぶやくし、寝坊して見れなかった日は、昼の再放送を見てから、午後につぶやきます。
そう、午前につぶやきが流れてこない日は、
コヤツ、寝過ごしたな……( ̄ー ̄)フッ
と見なしてくださいませ m(_ _;)m
というのも、「らんまん」を見るのは、義父が亡くなったダメージからすっかりくるってしまった生活リズムを立て直すためのインセンティブにする、という目的もあって。
だけど6月は、早起きするのに息切れしてきています……がんばらねば (_ _;)
基本的に、手が空いたとき、ネタを思いついたとき、に書いています。思いつきさえすれば、夜中でもつぶやきます。
note のつぶやきは保存ができないので、書いたらすぐに流しています。これもまたいいんですよ……なんだかかぎりなく一発書きにちかい緊張感があって。で、あとから修正可、っていうのもたすかってます。保存が効くけど修正不可、の Twitter よりよほど集中して磨きをかけることができます。
午前のつぶやきは、朝は見ずに再放送から見るひとの楽しみを奪わないように、極力ネタバレを回避するようにしています。
また、連続して視聴するのがダルくなってきたひとが興味を再燃できるように、とか、「再放送を見るときは、ココをチェックしたら面白いよ!」というような視点を提供することも意識しています。最近でいうと、「分家キター!」とか「分家カッコえい!」なんかがそうなります……いやぁ、分家、マジでえいき。あの土着性がムンムンしちゅうところがたまらんき。
逆にいうと、午後のつぶやきは、ネタバレ上等!、考察上等!、の姿勢で書いています。
④ ソースは放送オンリー
せめて公式Twitter と牧野植物園のインスタぐらいは確認したいのですが、情報がたくさんはいってくるとそのぶん脳への負担もおおきくなるので、うつからの回復のためにも、放送以外の情報は基本的に遮断しています。
あとは「あさイチ」の出演者インタビュー……その日、早起きできたら、ですけど。
予告編やネタバレ記事も、事前には目に入れないようにするタイプです。土曜日の週まとめもほとんど見ません、というのも、うっかり来週の予告を目に入れてしまうのでこわいから。もちろん、ノベライズやムック的なものも読みません……だって、本放送を見る楽しみが減る!(๑•̀ㅂ•́)و✧
牧野富太郎の伝記は、いま現在頭にはいっているものから更新してないです。だけど、そろそろなにかひとつ読んでもいいかなぁ……とはおもってます。
ドラマ自体の情報にはあまり接触しないようにしていますが、モデルになった人物については、ちょこちょこ検索して楽しんでいます。とくに、矢田部良吉氏については、子どものころから「牧野のおじいちゃん大好き!♥(ӦvӦ。)」すぎて、完全に敵視していたので(いまだに「牧野のおじいちゃんをイジめたイヤなおじちゃん!(●`ε´●)」のイメージが拭えないんだもん……)、さすがにもうちょっとフェアな視点で、ひとりの植物学者としての人物像をもってないと「牧野出禁」がドラマとしては楽しめないだろうなぁ……という気がしてきて、おくればせながらインターネットでかなり情報をひろい漁りました。まぁ、とにかく、この人物については、ドラマ化にあたって、子どもの時分から牧野富太郎の伝記で慣れ親しんだたぬき親父的肖像写真が要潤さんのキラキライケメンへ、とビジュアルのギャップが激しすぎて……いまだについていけんのです(*_*; 。
ネットニュースの速報は、セリフを確認するために見ることが多いです。記憶だけでセリフを起こすと、やはり、勘違いは避けられないので……めっちゃたすかっています m(_ _)m
あと、ネット系では、リアルサウンドの記事が読みごたえがあるのと、自分にはない視点を得られることもあるのでよく見ています。
気持ちをかき乱されるとしんどくなるので、他の人の「らんまん」についての Twitter や note は目にいれないようにしています。もちろん、反応することもなるだけしていません。
インターネットで多様な情報が手に入れやすくなった時代なのに、ブラウン管テレビの時代と同じくらい、情報をいれないまま視聴しています。
そのぶん、妄想で補うことになるので、これはこれで性にあってるんですけどね。
⑤ ふつーのことはつぶやかない
やはりここは note という場なので、
Twitter でみつけれそうな、
ふつーの反応はつぶやかない
ようにしています。
ふつーのミーハーな反応……最近でいうと「万太郎の手が指先まで綺麗」(いや、あれはマジでミケランジェロの彫刻かなんかみたいで、綺麗すぎてあっけにとられた……)なんてことも、そこには万太郎の育ちのよさや、身分格差が残る社会であることが反映されていることを絡めたりして、ふつーのままではつぶやかないようにしています。
土佐弁ネタをつぶやく、というのも、意識してつとめています。
土佐弁ネタって、一般的な情報としては、まず流通しないですよね。だって、高知ゆかりのライターさんじゃないと書けないだろうし、もし、高知ゆかりのライターさんがいたとしても、編集長が企画や原稿を通すか、というと、ニッチ過ぎてなかなか無理なんじゃないかな、と想像してるので。
これは、在野で気楽にやいやいやりゆうもんの強みですよね。
土佐弁に横文字をまぜるとどうなるか、とかも、機会があったらまた試してみたいですしね。
それから、植物ネタ。
ドラマに出てくる野草は、どこか遠くの別世界に生えているものなんかではなく、手入れを怠れば雑草として庭にふつーに生えてきたりするよ、ということは伝えたいし、また、ドラマに用いられているレプリカがスゴイことも、もうすこし力をいれて伝えていきたい。ほんまはヒルガオのレプリカがお気に入りだったんですけど……余裕がなくて語れなかった、っていうのもあったりするんです。
さらに、こんなことだれもつぶやかなさそうなことも。
綾と役人の押し問答をみながら、親から聞いた密造酒のドブロクの話をおもいだすとか。吉田類の「百低山」から「らんまん」につながる昼の再放送の流れはサイコー!だとか。
それと、脚本や役者さんの素晴らしさは、ガンガン伝えていきたい。
というのも、最近、視聴者が目利きでないと、ドラマ制作側も質の良いものを作れない、ということをひしひしと感じてて。先日、田中泯さんがカンヌについての記者会見で、制作側の過剰な視聴者迎合について苦言を呈されたことについては、テレビを見る側も田中さんに試されているのだ、と受け取っています。
うちのつぶやきを見て、ネットニュースのライターさんがネタをパクってるとしたら腹が立つけど、うちのを見て、「ちくしょう! こんな視点もあるのかっ!」と奮起して、得意分野を加味してさらに上手の記事を見せてくれるなら本望だし、そこから広範な視聴者が「あ、もやもやしてた私の気持ちが言語化されてる!」「なるほど、役者の演技を読み取るとはそういうことか」と感じ、より深く視聴する輪がひろがっていったら、すごいやないですか。
自分が目利きといっていいのかどうかは知りませんが、個性だけはあるらしい、ということはわかります(あ……うん、田邊教授に「植物学教室の帝王カラヤン」とか「少女漫画の夢的架空の存在のハイスペイケメン」とかって勝手にあだ名をつけるとか……ですかね)。こーゆー視聴者がおるなら、おちおち手抜きをしてられんな、と各方面が刺激を感じてくれて、それが、質の高いドラマが制作されることにつながっていってくれたら、万々歳やとおもってます。
この数年くらいになって、やっと能楽や狂言、歌舞伎や文楽のおもしろさがわかるようになってきたのですが(最初はよくわからなくて、豪華な衣装とか派手な演出、凝った仕掛けとかしか目に入らなかったのよ……)、これらの伝統芸能のように、目の肥えた鑑賞者を育て、視聴者のレベルを上げてくれるようなコンテンツ、「つかみ」から「深み」まで揃った番組って、いまのテレビのなかにいくつあるのかな?……と疑問を感じています。
逆に、良質なテレビ番組を育てていくような声かけを、私ら視聴者はできてるのかな?……という疑問も感じています。
とまあ、こんな壮大なこともイメージしつつ、いらんちゃちゃをいれてまぜっかえすようなことはせず、良いものは良い、面白いものは面白い……一見おもろなさそうでも、こう見たらおもろなるんやで!、ということを、きっちり伝えていけたらな、と考えています。
そのことをつうじて、自分も視聴者としてレベルアップしていくし、うちのつぶやきを目にしてくれるひとも視聴者としてレベルアップできる、そんな境地をめざしていきたいとおもっています。
いまの SNS 界隈って、
「引き上げる」より「引きずり下ろす」
ばっかりやないですか。
それにイヤ気がさして「欠点を批判しない」と口をつぐむのもどうかとおもうんですけど。
まっとうな批判ができる言論空間をつくるためにも、
「よいものは引き立てるし、
低いものは引き上げてよりよくする」
ことは指向しながらしてやっていきたいとおもいます。
・◇・◇・◇・
いまのところ、こんなかんじかなぁ……。
また思い出したり、思いついたりしたら、こそっと追加するようにしまーす(^_^)/
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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。