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"年”をとるのが楽しみで仕方がないpart2


part2になります。part1をまだご覧でない方は、こちらも読んでいただけると幸いです。


「親への感謝」を考える上での「今ならわかる」は現在から過去を見た時に発する言葉になります。子供の頃を振り返り、「親のありがたみが21歳の今になってやっとわかる」というのは、ある意味偶然的な発見なわけです。
私はそれに加えて、現在から未来を見て「いつかわかるであろう、その日のために…」ということで意図的な「発見の誘発」もとても重要だと考えます。

どういうことかと言うと、これもpart1の「鮮明に記憶するのが大事」につながるわけですが、現在、自分の中で整理されていない事柄や、今の知識では理解できないような事柄を、「仕方ない、捨てるか」と言って記憶から消し去るのは勿体無いと言う意味です。

「今は理解できないが、今記憶しておけばいつか分かる日が来るんじゃないかな」
そういう気概を持って過ごすことが大事だということです。
つまり、未来の自分にバトンパスするわけです。
「これ、記憶しといてやるから。いつかの私、よろしく。」

私は建築学生なので、ここらで建築の話も織り交ぜておくと、、、
建築の法律や、構造など、教科書を読めば得られるような知識は21歳の私でも理解ができ、整理がつきます。
しかし、建築界の巨匠、ル・コルビュジエの思想が理解できるかと言うと、おそらく現在21歳の私は不可能でしょう。

本を何冊か読めば"分かった気"にはなるでしょうが、それはあくまで書いてあることが分かったに過ぎず、思想が理解できたとは到底言えないでしょう。

では現在の私に何ができるかと言うと、しつこいようですが「記憶」になります。
コルビュジエの建築作品をたくさん見て、映像として記憶しておくのです。

そしてこの先、私が年をとっていき、建築の知識のみならずあらゆる分野の教養が身についていった時に、ふとコルビュジエの思想と共鳴する瞬間が生まれる(ことを期待したい)のだと思います。

その来たるXデーのために、記憶を蓄積しておくことが重要なのです。

こうして私は、「年をとるのが楽しみで仕方がない」と思うのです。

まあ、これも単純に言えば「歳とれば知識も身について色んなことがわかるようになるだろうから楽しみだ」ということですが、また長々と書いてしまった。。。

なんでこんな小難しく考えたがるのか自分でもよく分からない、、、
よし、分からないことは未来の自分にパスだ!



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