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日本でもっと難民の話をしよう②-シリア難民の話

初回投稿から1か月空いてしまいました。この間、年末年始休暇で国外に出たり、引っ越ししたり、メインで受けている仕事がひと山迎えたりで、少しばたついていました。ようやくひと段落ついたので、今後はもっと短い間隔で定期的に更新できればと思います。


2017年1月24日、北欧フィンランドの首都ヘルシンキでシリア人支援に関する会合が行われ、閉会の記者会見の様子がインターネットでも配信されました(https://t.co/rQbfO7q7bK:英語音声・字幕なし)。

会見には、開催国フィンランド政府の代表と並んで、国連人道問題調整事務所(OCHA)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)の3つの国連機関の代表者が出席し、今年のシリア人および近隣国支援についての方針や展望を述べました。NGOの一員として難民支援に携わっていた筆者としては、会見の中で、シリアないし近隣国で支援活動を続けるNGOへの賞賛の言葉が一度ならず聞けたことは、大きな報いを感じるものでした。

と同時に、難民の7割は女性か子どもで、子どもの半分は学校に通えていないといった事実は、日本を含む先進国では大きく取り上げられていないように思います。いつだったか、日本で、シリア難民をモチーフにしたと言われる風刺画が物議を醸したことがありましたが、難民もわたしたちと同じように基礎教育へのアクセスなど基本的な権利を保障されるべき存在であるということは、誰も疑問を挟む余地のない事実であろうと思います。

シリアが内戦状態に陥ってから6年

ヨーロッパに脱出するシリア難民の数は落ち着いたと伝えられていますが、トルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトなど近隣国で避難生活を続けるシリア難民の数は今も490万人近くおり、これとは別に、シリア国内で支援を必要とする人の数は1,350万人に上るといいます。難民の数は増加の一途を辿っており、シリア内戦は今も世界最大の人道危機であり続けているのです。

筆者は2014年2月から6月にかけて、イラク北部クルド人自治区のシリア難民キャンプで活動していまいた。この記事で使っている写真はその時に筆者自身が撮影したものです。上の写真は3月下旬に北部ドホーク州で撮影したもの。イラクにいたと言うとしばしば「イラクなんて、危ない」という反応が返ってきますが、現在のクルド自治区に関して言えば、政情も治安も安定しています。山がちな地形もあって、新緑と色とりどりの花に囲まれる春は、ここが天国かと思うほど美しい土地です。

上述の会見の中でUNHCR代表のフィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官も述べているように、難民と呼ばれる人々のうち、難民キャンプで暮らしている人々は、ごくごく一部の少数派です。特に、シリア人は(他国出身の難民と比較して、という注釈つきになりますが)もともとの生活水準が高く、キャンプに入りたがらない傾向が強いと言われていました。資金のある家族はお金を払ってホテルやアパートに住み、親類がいるなどでつてのある家族は、そういった現地の家庭に居候し、難民登録することで受け取ることのできる物資を受け取って暮らすのです。

私が活動していた複数のキャンプの中には、支援関係者の間で「五つ星キャンプ」と呼ばれるものがありました。新しく整備された場所で、区画整備がきちんと行われ、世帯ごとに与えられるテントにはコンクリートの土台があって作りが頑丈でした。クルド自治区内の他の難民キャンプと比べると、その整然とした様は確かに目を見張るものでした。しかし、その無機質な様相は、やはり見る者に拒絶反応に近い感覚を起こさせる類のものでありました。(下の写真。手前の区画はまだテントが設置されていない。)

他方で、既存の建物を使って難民を受け入れているキャンプもありました。もともと政府関係の宿舎だったかの建物が使われず残っていたらしく、各部屋を家族に割り振って使っていました。しかし、もともとの用途とは違う上、設備も古いため、難民の人々は間に合わせに布で仕切りを作ったりして生活しており、この場所で長期間にわたって生活することを想像すると、心苦しいものがありました。(下の写真。壁を壊して新たに入り口を作ったように見える)

イラクでの支援を振り返ってみて感じることは、受け入れ側のクルド自治政府がシリア難民支援に強い意欲を持っていたこと。支援団体が一堂に会する調整会議にはクルド自治区政府の代表が必ず出席し、積極的に発言し、更なる支援拡大を呼びかけていました。クルド自治区に避難してくるシリア人は、クルド自治区住民と同じクルド系の場合が多いと言われていたので、同胞愛のような心理が作用していたのかもしれません。

とは言っても、キャンプを町から離れた土漠の真ん中に設置したりして住民と難民の接触を最小化しようとする傾向は見られたし、実際に、難民と地元タクシー運転手等の間でのトラブルは報告されていました。

難民の受け入れと言うのは非常にセンシティブな課題で、たとえ政府の主導で実現したとしても、受け入れ地域の住民ひいては受け入れ国の国民全体の間に、難民受け入れに対する理解や受容が醸成されていなければ、不信や不満を温床に軋轢が拡大していき、ちょっとした事件で国民感情が極端な方向に振れてしまう危険を孕むものだと思います。

ですから、「日本でも難民受け入れを」と言うのは容易いのですが、難民受け入れを持続可能な形で実現できるまでには、大きな壁をいくつも越え(あるいは破壊し)なければいけないのだろうと思います。

それでも、日本はそれに向けた努力をすべきだと筆者は強く思います。ヘルシンキの会見でも「難民支援にかかる負担の分担」という考え方が協調されていたとおり、現在国際社会は、上述した5か国を中心とする近隣国にばかり負担を強いている状態です。このままでは、ケニアがダダーブ難民キャンプの閉鎖を一方的に推し進めようとしたように、近隣国が疲れ果てて責任を放棄する方向に流れてしまったり、難民支援を外交カードとして使ったりしかねず、そうなった場合にその直接的な影響を被るのは、既に想像を絶する苦難を強いられている難民の人々です。国際社会は、これ以上難民を追い込んではなりません。

日本政府は、こういった場面では(昔も今も)資金拠出という手段に傾倒しがちなようですが、国際社会で真に主導的立場に立つ意思があるのなら、良くも悪くも難民に対する国民の認知度が上がっている今こそ、難民受け入れに向けた具体的な方策づくりに取り組む必要があるのではないかと思います。

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