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映画『天使のたまご』(1985)を観た。

卵という殻の内側に、自己を見る、外の世界を見る、というシーンが面白かったかもしれない。
空っぽの丸いガラス瓶と、彼女が温めてきた卵。
一体何が違うのか。本当はどちらも同じかもしれないのに。
その中身を見ようとしないからそれは卵であり、
その中身を直視するときそれはガラス瓶であるのかもしれない。

夢を夢と気づくのは夢から覚めた時だけで、
つまり自らが目覚めようとしてみなければその夢が現実か反証することはできない。
それならば一度割ってしまうしか確かめる術はない。ということか。
めちゃくちゃ押井守が言いそうだな。
(ビューティフルドリーマーしか観たことないけど)

どちらが影なのか、水面に反射した姿なのか、分からなくなるシーンが良かった。
卵を割ってしまう彼は、水に沈んだ都市へも、陸へも行けるのはそういうことなのか?
と思ったけど、彼があの鳥を見たのは陸で、でも彼はそれを夢だと言っていて……
何か願うこと。それを信じること。
それは時に私たちを一つの世界から捉えて離さないのかもしれない。

攻殻機動隊すら見たことないのだけど、
でっかい機械が出てくるのに、毎度出てき方がカッコ良かったです。
ガンダムともエヴァとも違って、これが押井守か〜となった。

途中ノアの方舟の話してるな〜と思ってたけど、具体的にどれがどう暗喩的に描かれているのかは多分理解しきれていない。
が、卵を温める少女とそれを破壊する青年という対比が、創造的な母性と破壊的な父性っていうのを強調してくれてる感じでわかりやすい。
その対比から、創造的な母性であるはずの少女が現実を直視せず、その破壊的な父性で以て現実を突きつける、というのもなんか面白かったな〜。

もし仮に、押井守が処女性をこんな風に卵を温める守る、tenderness的に捉えてるのだとしたら、それを銃で割り、潰す描写はエグすぎるだろ、と思いません?
それで処女喪失で水面に飛び込み、大人の女性の姿になるんだからまじ日本のアニメ界の男はぐつぐつとした気持ち悪さがある(ギリ褒めてない)、のでそうではないことを信じたい。
大事なものはお腹にしまっておかないと、とかも美化すぎてる故の気持ち悪さがある。

改めて調べてみて、ノアの方舟がアララトに辿り付かなかった世界線の話的な解釈もできるっての見て急に泣けてきた。
有り余る母性をどうしようもすることのできない女性が逃避的に幼児退行して、ただ母性という愛を発散できずにただひたすらに夢の中で待つなんて、酷い、
この解釈の方が感動するかも。

生まれるはずだった命を抱えて生きるって確かにすごい宿命だな。
最近は地方でなければコドモウメウメ言われることってだいぶ減ったんだろうけど、今この自分は卵を抱えているけれどそれを生み出し愛すことはできない理由があった時、得体の知れない喪失感があるな。

それを男性である押井守が脚本で書いたってすげー……空っぽのガラス瓶を並べてるシーンとかも排卵に見えてこないでもないしすごい、すごい
意図的にどうとでも解釈できる余地を残して作ったぽいけど本当にその意味がわかるね〜

TikTokでめちゃくちゃ流れてきて、見ちゃったので仕方なく見たよね。観るのとっておいたのに。パンチラインのとこ音源に使うのやめて。
内容の濃度がギュッとまとまりすぎてるからか、夜中3時から見たら静かなシーン、めちゃ眠くなりました。が、見終わって外が薄明るくていい感じです。

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