「私、子ども欲しいかもしれない。」とわたしがなるまで(3/3)

こんなに長編になるとは思ってませんでしたが、「『私、子ども欲しいかもしれない。』とわたしがなるまで」最終回です!

これまでの記事はよければこちら↓からご覧ください。

「私、子ども欲しいかもしれない。」とわたしがなるまで(1/3)
「私、子ども欲しいかもしれない。」とわたしがなるまで(2/3)


・1人でなんだかすっきり。でも気づく。パートナーとの会話がなければ何も前に進まないことに!

前回のnoteで、とあるきっかけによって子どもを持つことに対して前向きな気持ちに変わることができた私。

しかし、ですよ。

当然なんですが、「私、子ども欲しいかもしれない!」と1人で言ってても何も前に進まないですよね。笑

パートナーである夫はどう思っているんだろう?彼との合意形成なくして、このプロセスは先に進めないということに今更気づきます。


結婚して約5年ほどになる私たち。2人での自由気ままな生活が居心地よすぎて、出産や子育てについて膝突き合わせて会話する、という機会もなんとなく逃してきてしまっていた。避けていたわけではないけれども、「いつかね~」なんて言いながら、ここまで来てしまった感。

これではよくない。2人でちゃんと話さないと!と思ったのです。

今までの私は、どちらかというと「自分のことは自分で決めて、自分で進める」タイプでした。だって自分のことだから。
なので転職しようとか異動しようとか、そういう話も自分で考えて1人で行動して、事後報告。

今まではそれでもよかったかもしれないけれど、今回ばかりは違うなと思った。1人で進められることじゃないし、仮にそうしたとしてもその先うまくいかないことが沢山出てきそうだなと。

子どもを持つということは私の中である種の「決断」=「決めて」「絶つ」ことだと思っていて、
・子どもを持つのだと「決めて」
・これまでの大人2人の自由な暮らしを一部「絶つ」
このことについて、夫婦2人でちゃんと合意形成をしたかった。

もちろん、ある日突然「授かった!」でも幸せだとは思う。
けれども、出産してからも仕事を頑張りたいと思っていた私にとっては、この「決断」を夫婦2人でしない限りは、納得感のある形で新しい家族の形への移行ができないんじゃないかと思った。なので、こればかりはちゃんとパートナーと2人で会話したかったのですよね。

この考え方に至れたのは、自分の中でも結構大きな変化だと思う。

・元旦の朝に

この話をいつしようか、いつしようか、と思っている間に徐々に2019年も終わりに近づいてきたころ。(本当はそんなに構える必要ないのにw)

新しい年の始まりの日に2人で話そう!と決めました。

※私たち夫婦には、ここ数年毎年元旦の朝は2人で夫の実家近くの山へ登り、そこで初日の出を見るという恒例イベントがあるのです。ちなみに、上るとめっちゃいい気分なんだけど、元旦のさっぶい5時半に起床する瞬間は毎回やってても心が折れそうになります。でも気持ちよいです。

2人して山を登って初日の出を拝んで、下山しているとき。ようやく自分から最近考えていることを伝えました。

・これまで2人で仲良く楽しく暮らしてきたけれど、出産や子育てみたいなライフプランについての会話が自然と少なくなってきてしまっていたね
・私は最近色々考えていて子どもが欲しいなって思えるようになってきたけれど、君はどう?
・家族としてこれからも幸せにバランスよく暮らしていきたいなと思ってるから、ちゃんとこれについては2人で話して決めたいんだよね

みたいなことを私から話した気がします。

彼は真摯に話を聴いてくれ、前向きな彼自身の意見も聞かせてくれた。
この話をしてくれてありがとう、とも。

この会話を経て、晴れて2人で今年は新しい家族を迎える準備をしていこう!という合意形成に至ることができました。

・まとめ

長々書いてきましたが、ここまで書いてきたことが、私の中で
「子どもが欲しいか分からない。そもそも、この問いにどう向き合ったらいいかわからない。」
という状態から、
「私、子ども欲しいかもしれない。」という状態になった過程です。

このプロセスにおける、自分の中で個人的にポイントになったことを改めてまとめてみるとこんな感じ↓だと思います。

・本や記事を通して、いろんな価値観を知る。いろんな幸せの形があることを知り、他人がどうではなく自分がどう向き合うかがあくまでも大事なのだということを理解する

自分の中のもやもやとした考えを、パートナーや友人など信頼のできる人に話してみる。それによって自分の考えがだんだんと言語化されていく

・最後はちゃんとパートナーと会話することが大事。1人の話じゃなくて、家族として今後どう生きていくかという話だから


振り返ってみると、自分の中では「かわいい赤ちゃんがほしい」「お母さんになりたい」というよりも、

「子どもを持つことによって得られる "初めて" や、それによって感じられる新しい幸せをパートナーと一緒に経験してみたい。"子どもがいる自分" がどんな自分になれるのか知りたい」という純粋な好奇心

が高まったことで、最終的に子どもを持つということに対して前向きな考えになったように思います。


まあ、エゴですよね。笑


でもそれでもいいと自分では思っていて、そのエゴによる決定を責任あるものにしたいからこそ、パートナーとの合意形成は必須だった。

ちょっとしたこと、当たり前なことかもしれないけれど、これについて自分で気づけたことや、パートナーと会話ができたことはとてもいい経験だったと思うし、今後もぶつかるであろう色々な決断の場面においてもこの考え方は大切にしていきたいと思えています。


自分でも思っていた以上に長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方いるのかな?w

「私はこう考えました!」という結果よりも、この思考錯誤の過程が何かしら読んでくださった方のヒントや共感に繋がればいいなと思い、noteをしたためてみました。


あなたの「私、子ども欲しいかもしれない。」「私、子どもがいない幸せを見つけられたかもしれない。」エピソードも、良ければぜひ教えてください!

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