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一心同体だった

[読書感想文] 一心同体だった・山内マリコ


山内マリコさんの『ここは退屈迎えに来て』を以前読んだことがある。
その時に思ったのは、口には出さない、出せないと言った方がいいかもしれないが、そんな微妙な違和感を表現するのが上手い方だなと。
この作品にもそれは健在だ。
地方に住む若者と都会にむ若者の愕然たる違い。
地方から都会に出て行った若者と、生まれつき都会に住んでる若者の違い。
そして都会に出て行ったがUターンして地元に戻ってきた者の心情。
着ている服とか食べる物とか遊びに行く場所とか、そういう物理的なことではなくて肌で感じる微妙な違いなどが手にとるようにわかる。
そしてそれが女同士のことならなおさら。

物語に出てくる女性たちはみんな1980年生まれ。
10歳の少女時代から始まる。
1話の主人公の友達が2話の主人公になり、そしてその友達が3話の主人公になるという繋がりがある。そして当たり前だが徐々に年齢も上がっていき、40歳になるまで続く。
それぞれの年代にそれぞれの格差が生まれ、それぞれの感情が置き場のない複雑さを含んで語られていく。
読み進めながら私の子供時代や学生時代を思い出していた。どの部分読んでも「あったな、こういうの」ということばかりだ。
確かに苦しかった。まだ男は男、女は女という役割分担がはっきりしていた時代で、女は何をするにも男の影がそこかしこにあった。女友達といえば、友情だの親友だのと綺麗な言葉で飾ってはいたが、そこには少なからず格差が存在していて、今から思えば「なんてバカな思考だったんだ」と思うけど、それが当たり前だった。やっと見つけた無二の親友と呼べる相手もちょっとしたことが原因で離れ離れになる。あの当時はそんなもんだった。

10歳の女の子が言う
『体育で二人一組になるとき、自分から相手を選ぶ子と、だれかから選ばれるのを待つ子がいます。わたしは選ばれるのを待つ子です』

25歳の女性が言う
『スタバで楽しくしていると、普通の女の子に上手に擬態できてる気がして、あたしはなんだか満たされる。いつもスタバの前を通り過ぎるとき、心の中で「阿呆どもが」って毒づいているけど…』

34歳の女性が言う
『え、それは無理ですよ』
思わず上司に、真顔できっぱり言った。
『無理ですよ私、東京以外に住むのは無理です』
『小林さん、房総の出身でしょうが』
上司はハハハと笑いながら流した。

40歳になった女性は言う
『私たちって、差別される側だったんだってこと。
 誰よりも本人たちが、そのことを知らずにいる危うさ』

若い時はいかに人生を楽しく過ごすかが生きるテーマとなるが、年齢が上がってくると、結婚とか出産などの話が話題ののぼる。いつまでたっても女っていうのはそういうものに人生を搾取されながら生きなければならないという重い話になってくる。
そして子育てをする立場になって思う。
友達との時間は密だった。
なんだかんだと嫌なことはあったけどどうしているのかと懐かしむ。

読みながら私も友人たちの名前を思い出していた。
会いたいとは思わないけど、どんな癖のある子でもそれなりに苦労をして何かしらの大人になっていることだろう。そう思うことでもういい。
友達との関係が希薄になっている今、これからを生きる子供たちが大人になったとき、どんな世界になっているのかと…少し危惧する。

この本を読んで面白かったのは、やはり女という生き物は10歳であろうと、40歳であろうと、その核心は同じなのかもしれないと再確認したこと。
でも現在は、男女平等、ジェンダーレスの時代。
私が思ったその核心も徐々になくなってくるかもしれない。
それはそれで、いいのだ。

We were friends, seriouly.

女性たちはリレーをしている。
自分の代でなにかをほんのちょっと良くする。
そうやって、次の世代にバトンをつなぐ。


怖さを含んだ蜜な関係…



一心同体だった・山内マリコ



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