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ハルビンを紹介します。北京からハルビンへ!

令和を迎える10連休ほどではありませんが、5月1日が国際労働の日で(労働節)、中国も4連休を迎えました。あっちこっち人で溢れてます。

お馴染みの万里の長城はこんな感じです。

人人从从众众众众

おかげでこんな表情包が流行ってます。

(出かける人多いだろう?僕の気持ち理解してくれるよね!)

ということで僕もちょっと出かけました。中国の北にある哈爾濱(ハルビン)というところに2泊3日の旅をして来ました。
(今日はただの旅行記なので気軽に見てください笑)

ハルビンに行くのは初めてではないので、前回に回った場所や中央大街以外には行きませんでした。ただ、すごく魅力と特徴のある中国の町なのでぜひ皆さんに紹介したいと思います。

ハルビンは中国の最も北にある黒龍江省の省都です。こう見ると、東京-ハルビンと北京-ハルビンは距離にするとそんなに変わらないですね。省は日本でいうと県と同じくらいですが、中国は広いですからこの黒龍江省の面積だけでも日本全土の面積を超えちゃいます😂

中国の最も北の省なのでロシアとも繋がっていて、昔からロシアとの貿易や交流などが盛んだったので、建物からもロシアに影響される雰囲気がぷんぷん出てます。
...え?ロシア行ったこと無いからそんなこと言われてもわからん?
なら、数年前に僕が弾丸旅行したときの旅行記も今度アップしますね。

北京からハルビンまでは約1240キロ離れていて、今回は中国の新幹線である「高鉄」で行ってみました。

中国は近年、高速鉄道の建設に合わせて街に列車の駅が増えてます。(なんだろう、複数の列車用駅が街にできるって言えば伝わりますか)一般的には町の名前そのままの駅は前からある駅で、新設の駅は大体設立される場所によって「町の名前」+「方向」の場合が多いです。まさか街に何個も駅作ることになるとは、ていうのをあまり考えて無かったのかも。

例えば今回は「北京南駅」(北京の南にある)から出発で「ハルビン西駅」(ハルビンの西にある)に到着します。中国の列車のチケットは実名制となってて、乗車前に本人確認が必要となります。新設の駅は大きくて綺麗で設備もいいです。中国人の場合は切符を購入する身分証明証でピッてやれば乗車することができ、本人確認も顔認証システムで済みます。外国人の場合はまだそれができなくてスッタフのいるところから通ればokです。

そうそう、北京でも北京西駅はローカル感すごいので中国初心者が行くとハマりますよ。初めて使ったときに、僕もいろいろなトラップに引っかかって1分前にギリギリ乗車なんてこともありました。

ホームに着きまして、列車はこんな感じです。

運行時間は6時間半弱で普通車の料金は540元くらいでした。中も普通にキレイですよ、日本の新幹線となんら変わらないです。

席に座ったら向こう側の復興号がとっても格好いいじゃないですか!

(中国の高速鉄道は和諧号と復興号の2種類があります。これもまた別の機会でお話ししたいと思います。)

しばらくこのような風景を見たら無事にハルビン西駅に到着しました。
朝に出発して、昼過ぎに到着で予定通り。

今回は観光目的というより、友達と観劇の約束があってそれ以外にはフラフラしてました。友達もまた他の町から後に来るのでとりあえず待ち合わせ場所のハルビン駅までに移動しました。ハルビン西駅とハルビン駅が違うというトラップ。

これもまた再建設され、前回に来た時と違って立派に建てられましたね。

昔からハルビン駅に伊藤博文の射殺された跡地があると聞いていたので、せっかくなので見に行こうと思いました。

ハルビン駅の南側にこんな記念館を見つかりました。

え?まさかの工事中?と思いきやちょっと回ったら普通に入れます(;^ω^)
何の表示もないところが、なんだか中国っぽい。

そして伊藤博文を射殺した安重根は朝鮮人で中国では義士として記念されてますね。あまり知らない人にwikiのコピー貼っておきます。

伊藤 博文(いとう ひろぶみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年)10月26日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。諱は博文(ひろぶみ、「ハクブン」と有職読みすることもある)。幼名は利助(りすけ)、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔(しゅんすけ)とし、さらに春輔(しゅんすけ)と改名した。号は春畝(しゅんぽ)で、春畝公と表記されることも多い。また小田原の別邸・滄浪閣を所持していたことから滄浪閣主人(そうろうかくしゅじん)を称して落款としても用いた。周防国出身。
長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監、元老を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印により朝鮮の独立を清国に認めさせた(第一条)ことが特記できる。
1909年、ハルビン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人・安重根に暗殺された。

身分証明証を提示すると無料で中に入れます。中には安重根の銅像や、生い立ちの紹介、書道作品なども展示されてます。

伊藤博文が射殺された場所は、今は使われていないホームで、記念館の外にあります。(左側の写真)記念館内には現場を再現するマークがあります。(右側の写真)実際にどのくらいの距離だったかを体験できます。


当時の写真やどんな銃が使われたかの説明、事件発生後の新聞などの説明資料が中国語と韓国語で書いてあります。日本語はありません笑
ものすごく歴史を感じますが、ここに見学に来る日本人はそんなに多くないですかね、初代総理大臣ですけど。

午後の4時閉館だったので、ギリギリで見終わって友達と待ち合わせしてホテルに向かいました。ハルビンの町が松花江という川で分けられてます。南側は昔から賑やかです。夕日がBeautiful !!

続きます

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